ついにこのテーマについて書く日が来たか…
(笑)
オスカルが民衆側に寝返った後にいろいろなものに別れを告げたとき、
最後に別れを告げたのがフェルゼンだった件
今回壮大にいろいろ書こうと思ったのですが、
さあ書こう!
と思って完全版開いた瞬間、
なんだか急にインスピレーションが湧いたので、
そのインスピレーションのまま
書いておきたいと思います。
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では、行ってみましょう(・ω・)ノ🌸
では、例のシーンですね☆
これ👇
【ベルサイユのばら 電子版 8巻】
オスカルがこのシーンで別れを告げたものたち...
自分のお部屋
両親
王妃さまと2人の子どもたち
そしてフェルゼン伯
まず今回ひらめいたのが、
これ、
最近のものから過去のものたちへと
時間をさかのぼって思い出しているのかも
ということ。
まず自分のお部屋ですが、
オスカルは小さい頃の早い段階から、
同じあのお部屋で暮らしていたんじゃないかしら?
と思うのですが、
オスカルにとってあのお部屋は、
前の晩にアンドレと結ばれた場所でもあるし、
たった今自分と行動を共にしているアンドレとイコールくらい、
まだまだ記憶に新しいものなんじゃないかと思います。
そして両親🍃
このあたりは身内ですね。
この日の朝まで一緒に過ごしてきた家族、両親。
その後にオスカルが別れを告げた王妃さまと2人の子どもたち🌸
まず子どもたちですが、
この2人とオスカルが最後に会ったのは
いつだったんでしょうね。
オスカルは近衛連隊長をしていたときは
王妃さまのすぐ側に仕えていて、
アントワネットの2人の子どもたちを、
手慣れた感じで世話をしていた感じでした。
でもオスカルは衛兵隊に移動してしまって、
その後オスカルは、ジョゼフ王子をお見舞いすることがあっても、
他の2人の子どもたちとはあまり接触する機会もなかったのかもしれません。
でも以前は、
きっと2人の誕生から側で見守っていたと思うので、
この2人もオスカルにとっては
特別な存在だったのでしょうね。
アントワネットの分身でもありますからね。
そして王妃さま
アントワネットとオスカルが最後に会ったのは、
逮捕された衛兵隊員たちがアベイ牢獄から解放された直後。
例の最後の2人の語らいのシーン
たぶんパリ出動の2週間くらい前です。
オスカルにとってアントワネットって、
ある意味14歳の頃からの青春時代を共に生きてきた存在でもある。
お仕えするだけではなく、
側でアントワネットの悩みや葛藤も見てきたと思うし、
オスカルはアントワネットに助言もしていました。
そんな中でアントワネットは一人の女性として恋をし、
フェルゼンと愛し合い、
オスカルは彼女がフェルゼンと離れている間
一人で耐えているのを見てきたと思うし(4年+7年も!)
オスカルもフェルゼンに対する恋心を胸に秘めているので、
変な意味、
運命共同体ですね^_^;
この2人も青春を分けあって生きてきた存在と
言っていいのかもしれません。
王妃さまは20代で妊娠出産し、
母親として子どもたちへ愛情を注ぐという変化も見せて行った。
オスカルが経験してこなかった女性としての人生を
オスカルの目の前で生きているアントワネット
アントワネットってオスカルにとって、
軍人として男として生きているために自分は経験することができなかった
当時の王侯貴族の女性の典型的な人生を生きていた存在だったのでしょう。
そんな彼女の側に仕えていたオスカルは、
側で彼女と一緒にいることで、
自分が女性として生きていたら体験していたであろう女性としての人生を
疑似体験していたのかもしれませんね。
王妃さまとオスカルは同い年だし。
2人は性格がかなり違いますが、
お互い「こう!」と思ったら突き進んじゃう性格(笑)
なんとなく似たところもあって、
違うところや尊敬できるところやうらやましいところもある。
オスカルにとってアントワネットって、
一緒にいて結構刺激のある存在だったのかも。
そしてこの2人の間には、お互い口にはしないけれども、
強い信頼関係で結ばれていたんじゃないかと思います。
...で、
最後のフェルゼン伯🌳
よく見ると、フェルゼンの姿が
長年お仕えした王妃さまより大きくイメージされているという奇跡(笑)
はい、映像ドーン!👇
一瞬、王妃さまの胸の谷間に目が行ってしまいましたが(笑)
(今回初めて気がついたわ…)
フェルゼンはある意味、
この中では一番過去の人ですね(笑)
例の舞踏会でドレス姿でフェルゼンと踊って、
その後彼にこてんぱんにフラれたあの事件は
パリ出動の約2年前です。
あのときフェルゼンに「もう二度度会えない」なんて言われて(泣)
壮大に去って行かれてしまった…🐎
その後、パリで民衆に襲われたときにたまたま出会って
自分とアンドレの命を救ってもらいましたが、
再会はほんの一瞬のことだったし、
そのときのオスカルの頭の中はアンドレのことでいっぱいだったし、
なので、
たぶんこれまでのしばらくの間、
フェルゼンの存在ってオスカルの頭の中にはあまりなかったのかも(笑)
はい、過去の人です!
(笑)
でもたぶんオスカルにとってのフェルゼンって、
彼女にとっての「青春」のすべてだったのかも
とも思います。
オスカルって凛々しいからよくわからないかもしれないけど、
たぶんものすごい心の中は女性で、
しかも受身タイプの恋愛する人だったのかもしれないと思っていて、
好きになる相手も初めの頃は、
「頼れる人」「リードしてくれる人」というか…
実際に軍人として軍隊を引っ張っているオスカルと、
実際の女性としてのオスカルって真逆で、
それを理解していたのはアンドレだけで…
何が言いたいかというと、
「受身の恋をする」タイプの本来の自分、
女性である自分でいられたのが、
女性としてのアイデンティティーを保させてくれていた(とオスカルが思っていた)のがフェルゼンに恋をしているその瞬間だけで(ばあやさんとかアンドレがいるけど)、
フェルゼンへの恋心
=本来の自分の姿
=自分にとっての青春のすべて
と思っていたのかもです。
フェルゼンへの恋心をあきらめて、
さあこれからは軍人として男として生きて行こう!
と思っていたところでフェルゼンにフラれて、
女性としてフェルゼンの前に存在しなかったために
フェルゼンに恋してもらえなかった
と解釈しちゃったオスカルは、
自分のアイデンティティーも揺らいだと思うし、
それまで女性としての自分でいられた
フェルゼンへの恋の瞬間瞬間が、
フェルゼンの前であぶりだされて、彼に拒絶されて、
受け入れてもらえなかったという体験を通して、
あまりにつらくてオスカルは、彼との日々を、
自分の中でなかったものにしてしまったのかも…
なんて想像してしまいました。
確かアンドレに愛の告白をされる直前、
2人で暗闇の中でおしゃべりしていたときに、
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
このコマ👆
楽しかった子ども時代と苦しみも経験する大人時代の間にある
彼女の青春時代が、
ごっそりと抜け落ちているというか、
なんだかオスカルの中でなかったものになっている感じ…
たしかジェローデルとの結婚話が出たときに描かれていたけど、
【ベルサイユのばら 電子版 6巻】
自分の青春、なんだったんだ!?と、
青春=ただただつらかったもの
=自分にとっては都合の悪いもの
=意識から排除した方がいいもの
→ 失った過去、青春時代
みたいになってしまったのかも。
でもジェローデルへ求婚断るときにオスカルが言っていた通り、
アンドレの存在がオスカルの中に大きく意識されるにつれて
アンドレと共に過ごしてきた時間がオスカルにとっての「青春」になり、
青春時代がオスカルの中で新たに再構築されたのかもです。
妄想するに、
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
👆 もうこういうのもオスカルにとっての青春の一部になったのかも(笑)
そしてアンドレと愛し合って、
そこで遅めの青春をアンドレと短かったけども一緒に謳歌して🌸
心に余裕ができたときに過去を振り返ったとき、
フェルゼンという自分の青春のすべてだっと思っていた人、
自分の意識の中から消そうと思って頑張ったその彼も、
旧体制側のすべてを捨て去って民衆側に寝返ったときに、
自分の過去として青春時代の大切な思い出として
受け入れられたのかも
なーんて妄想してみました。
アンドレという愛する人を得て、
彼と愛し合ってすでに心が満たされていたから、
オスカルは、
フェルゼンへ恋することによって苦しかった思いや
大変だった過去も、
受け入れて手放すことができて、
ものすごい思いで封印していたからこそ、
思い出したり自分の物と認める瞬間が来たときに、
とても大きな存在として感じたのかもしれません。
それにしてもアンドレ、すごいなあ…
あそこでアンドレがもんのすごい愛の告白をして
30歳を超えたオスカルが新たに自分自身の青春を生きる機会を
アンドレが作ってくれたとも言える...
その新たな青春の登場人物は、
フェルゼンじゃなくて、
オスカルとアンドレ🌸
アンドレも身分違いのオスカルとの秘めた片思いゆえ、
オスカルと同じ時間、
ながーい時間、
自分の青春時代を生きられなかった
オスカルとは同じ運命共同体。
だからと言うわけではないとは思うけど、
たぶんこの2人、
失われた青春時代を一緒に
一からやりなおしたのかもしれません。
いいぞ(・ω・)ノ
(笑)
なんだかフェルゼンのこと書いているうちに、
アンドレの話になってしまいましたが(笑)
自分の心が癒えたとき、
背負ってきた思いを手放すことができたときに初めて人は、
過去を過去としてそのままで
受け入れることができるのかも、
なーんて妄想してしまったわ。
オスカルにはそんなタイミングがこの民衆に寝返ったときで、
自分の中で眠っていた過去の必死に生きた大切な思い出、
その思い出の中心にいたフェルゼンという人物が、
オスカルの中で大きく感じられたのかもでーす
以上、
現時点でのインスピレーションに基づいた
このシーンの解釈です
続きます