最近いろいろと音楽を聴くと、
なぜだかベルばらのいろいろなシーンと結びついてしまい
唐突に開催してしまう
大妄想劇場
(笑)
日本の歌謡曲の中に、
なんだかベルばらっぽい(アンドレっぽい)曲があるぞ!
といった妄想をひたすら広げていくというこの企画
相棒のおかげで(せいで?)やってきた、
第2期マッキー(槇原敬之)ブーム☆
ことのいきさつ👇
まだまだアルフィー熱は健在なのですが、
現在すでにアルフィーとマッキーの音楽鑑賞率
5分5分になっております…
^_^;
わたしの第1次マッキーブームは10年前。
ブームがかなり短期間で、
なので
聴いていた曲はむかーし聴いた曲のみで、
そのままブームが終わってしまったのです。
なので今回初めて聴く曲がたくさんあるのですが、
まあ、名曲が目白押し♪
マッキーの曲はメロディーも個性的で、
歌詞がめちゃくちゃ優しくて繊細で、
そしてマッキーの声のよいことよ🌸
一つ一つの楽曲が全部芸術的なところ、
アルフィーと共通してるわ(自分の中で)
...ということで、
マッキーの今までに聞いてこなかった作品を
いろいろ聴いているのですが、
その中で出会った、
心わしづかみにされたパフォーマンス動画♪
それがこれ👇
まさかの、
マッキーの楽曲ではないのですが(笑)
中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」を
マッキーが歌っているパフォーマンス映像♪
さてさて、
中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」♪
2003年の楽曲で、
テレビドラマ『Dr. コトー診療所』の
主題歌として創作された作品ということで、
歌詞の意味はそのドラマの主人公である医師について書いているようです。
曲のテーマは、
力のない主人公が
自分の非力を嘆いてたのだけれども、
そんな力のなさや傷跡を力に変えて
人を癒しに行く🍃
そんな印象です。
マッキーの優しくも情熱的な声で歌い上げられたこの楽曲を聴いていると、
またまた思ってしまった…
あっ、なんだか、
アンドレっぽいわ…
(笑)
あれですね。
自分は身分がないから、
力がないから、
オスカルに自分の気持ちを気づいてもらえることだけを
待っているとか言っていたアンドレが、
非力だけれどもついに
自らオスカルに愛を伝えたりとか、
オスカルの苦しみに寄り添ったり、
その苦しみを救ったり、
なんかそんなことを想像してしまいました。
そして全体的に曲を通してなんだか思い出してしまった、
アンドレのオスカルへの例の怒濤の愛の告白シーン
(笑)
ということで、
一旦この曲の歌詞の紹介と共に大妄想劇場☆を開始して、
その後、
この曲にインスピレーションを受けての、
アンドレの例の怒濤の愛の告白シーンを
ちょっとだけ妄想してみたいと思います。
ではでは、
「銀の龍の背に乗って」♪で大妄想劇場☆
開催です!
銀の龍の背に乗って(作詞・作曲:中島みゆき)
1.あの蒼ざめた海の彼方で
今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
【ベルサイユのばら 電子版 3巻】
急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
夢が迎えに来てくれるまで
震えて待ってるだけだった昨日
明日 僕は龍の足元へ崖を登り
呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
???(笑)
♪ 銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
2.失うものさえ失ってなお
人はまだ誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は
人が人の傷みを聴くためだ
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
わたボコリみたいな翼でも
木の芽みたいな頼りない爪でも
明日 僕は龍の足元へ崖を登り
呼ぶよ「さあ、行こうぜ」
【ベルサイユのばら 電子版 7巻】
♪ 銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
(間奏)
♪ 銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
(間奏)
♪ 銀の龍の背に乗って
銀の龍の背に乗って
銀の龍の背に乗って
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を
妄想できたでしょうか??
(笑)
この曲の歌詞にある、
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
夢が迎えに来てくれるまで
震えて待ってるだけだった昨日
アンドレって、
ロザリーに自分のオスカルへの恋心をカミングアウトしたとき、
身分違いを呪っているって言っていました。
これ👇
【ベルサイユのばら 電子版 3巻】
自ら身分の一線を越えようとは思っていなくて、
徹底的に受身体制でした。
でも、例の愛の告白を決行したとき、
その一線を超える何かが彼の中に芽生えたということでしょうか。
これまでこのシーンの妄想・考察、
これでもか!としてきたのですが(笑)
あの時のアンドレの原動力になったのは、
もう爆発寸前の秘めに秘めまくったオスカルへの恋心だったり🌸
行き場を失い続けてきた性的なエネルギーだったり
フェルゼンに対する嫉妬だったり
ベルナールの話を聞いて彼の中に芽生え始めた
啓蒙思想に基づく革命精神だったり
まあいろいろ考えられるのですが、
たぶんあれもですね。
身分違いゆえオスカルに愛を伝えられなくて
力のない自分が悲しくて苦しみ続けたその苦しみと、
写し鏡のように苦しんでいたオスカルのその苦しみに
彼の魂が反応した
とも言えるのかも。
オスカルはフェルゼンへの片思いに苦しみ続けてきたのだと思うけど、
それはただフェルゼンには愛し合っている王妃さまという存在があったという
ただの三角関係のお話だけじゃなくて、
オスカルは女性なのに軍人として男として生きてこざるを得なかった
そういった背景もあって、
恋愛ごとに飛びこむには
一般の女性よりもずっと障害やら制約があったのでしょう。
そのため自分の思いも自分自身で押し込めて生きるしかなくて、
たぶん心も体も
解放されずに来てたんでしょうね。
それはたぶんアンドレも同じで、
たぶんだから、
オスカルが苦しむ顔を見て
アンドレの何かのスイッチが入ったんじゃないかしら?
なーんて妄想してしまいます
あっ、これですね👇
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
オスカルはジェローデルの求婚を断る際に、
アンドレと青春を分かち合って生きてきた、
と語っていましたが、
2人は楽しいことも苦しいことも、
口にしなくてもきっといろいろ分かち合ってきたと思うので、
このときアンドレはオスカルの心の痛みも
自分のことのように感じてしまって、
余計に自分の情熱を燃え上がらせてしまったんじゃないのかしら?
なーんて好き勝手に妄想してしまいます
上の歌の歌詞♪
まだ飛べない雛たちみたいに
僕はこの非力を嘆いている
これで妄想が加速してしまったのですが、
この愛の告白シーンのとき2人はもう30歳を越えていて、
身体的にはもう十分に成熟した大人です。
でもなんだかこのシーンの2人を見ていると、
もっと幼い感じがします。
【ベルサイユのばら 電子版 5巻】
アンドレの真っ青具合よ…
まあ死を覚悟するレベルでの覚悟でこの愛の告白を決行したと思うので
真っ青になるのは理解できますが、
頬はうっすらと赤らめているのね
こういったアンドレの様子をみていると、
相手がずーっと片思いしてきたオスカルだから緊張している
だけじゃなくて、
女性を抱きしめることすらもなんだか慣れていなさそう❤
と思うのはわたしだけでしょうか…^_^;
そしてそんなアンドレと同じく
こういった状況が初めてなのであろう
フリーズしちゃってるオスカル…
2人とも年齢は重ねていますがたぶん、
こういったある意味性的な接触自体初めてなんじゃないかしら。
あっ、アンドレは18歳で経験済みらしいですが(笑)
そのときの状況はともあれ、
たぶんこういうの手慣れてない感じに見えてしまいます。
お互い大人の世界(?)未経験の
(アンドレ18歳うんぬんはとりあえず置いておいて…(笑))
幼い感じというか、
雛感??
二人ともまだ大人の世界に押しを踏み入れ切れていない
力弱き雛たち
飛べない雛たち。
でもこのときのアンドレの決死のアクションによって、
たぶん2人は大人の階段を一緒に
一歩だけ上がっていたんでしょうね。
ショッキングなシーンですが、
見方によっては
初々しいです(?)
♪ 急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
♪ 銀の龍の背に乗って の歌では、
非力で傷を負った主人公が
その傷を翼に変えて、
雨雲の渦を運んでる。
そして、
命の砂漠に運んでる。
なんだかオスカルを助けに来る
アンドレを想像してしまいました。
♪ 急げ傷跡 羅針盤になれ
羅針盤とは、
航海などで方向を知るための装置
ということです。
簡単に言うと、
「道しるべ」ですね。
アンドレは原作上で、
オスカルを引っ張っていく役割ではなく、
徹底したサポート役でしたが、
彼の数々の行動は確実に
オスカルの生き方の道しるべになっていたんじゃないかと思います。
彼の行動に心や魂が揺さぶられて、
いろいろと目が覚めるオスカル。
ぐいぐい引っ張てくれて道しるべになりそうな
フロンティア精神旺盛な軍人貴族フェルゼンでは、
いろいろ生きづらさを抱えた
愛に臆病なオスカルの心を揺さぶり切ることはできなかったのかもです。
なんだかいろいろとおもしろいです(笑)
ああ…
永遠に書いてしまいそうなので
このあたりで切ります^_^;
素晴らしい音楽は
心に響きますね🌸
そして感覚が研ぎ澄まされて、
ついベルばらと結びついてしまいます(笑)
🌸