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私にとっては これは
Dinah Washington. です。
1933年 、ジェローム・カーン の作曲により、ミュージカル の『ロバータ』(Roberta )のショー・チューン として書かれた。作詞はオットー・ハルバック(Otto Harbach )。
同年10月13日 に、ガートルード・ニーセン(Gertrude Niesen)により最初のレコード録音がなされる。1946年 には、ナット・キング・コール もカヴァーする。
1958年 に、コーラスグループのザ・プラターズ によって、リバイバル・ヒットする。
by wiki.
Platters の きっと よく知られているほうで
歌詞がついています。
埋め込めるかしら。
できなかったら すいません 笑
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なんでかっていうと
今日の 帯津先生の お話にも
やっぱり かなしみ が 語られてね。
すこし ちがうけれども
先日 ご相談にのっていたとき
この曲を 想いだしててね。
よく 聞いてみると
このスタンダードナンバーの 主人公は
かなり 思い込みが 激しくて
切ない 勘違いを してた 可能性も あるね? と
思ってみたのです。
いわゆる 遊ばれてる とか
騙されてる とか
KY だとかさ。
でも これは 世にも美しい曲で
たくさんの アーティストに 歌い継がれている。
ただ 「 愛の炎が 消えるときには
煙が 目にしみるものなのよ 」 って。
あっぱれだなあと 思いました。
損か 得か とか。
ひとりよがりか 恥ずかしいか
そんな 空気は 微塵もない。
ただ 愛しただけで
哀しいだけで
それが 美しい曲になっている。
意味があるか ないか
ほんとうだったのか
そういうことを 問うことのほうが
下賤なようにも 感じられてくる。
それくらい Dinah や Nat King Cole の 声は
優しいし 清々しい。
ひょっとしたら 今なら
ストーカー扱いされてるかもしれない
この歌の 主人公は
愛したけど うまくゆかなくて
だからこそ こんな曲が 生まれて
曲は ずうっと 愛されている。
愚かしいかもしれないけど
愛され続ける 名曲を 生むようなことって
にんげんにしか できないよね。
それは うつくしくて
間違いなく ゆたかな 世界だと 思う。
と。
伝えたくなりました。
おやすみなさい。
拝