先週は、米朝首脳会談がシンガポールで開催されたり、サッカーW杯がロシアで開幕したりと、ニュースが盛りだくさんだった。

 

そんな中、一人のフランス人ラッパーを巡って国内メディアの報道が過熱。そのラッパーこそ35歳のMédine(メディン)である。

今年、彼の全国ツアーがフランス主要都市で開催され、パリ公演の舞台に選ばれたのが2015年11月13日に90名ものテロ犠牲者を出したバタクラン劇場であった。

 

 

 

そのバタクラン劇場公演は10月19、20日の2日間に渡って行われる予定で、チケットの売れ行きも好調であるという。

 

しかし、このバタクラン公演開催に対してフランスの保守・極右政治家が待ったをかけたのだ。

 

国民戦線党首であるマリーヌ・ル・ペン氏は先週日曜日(6/10)、自身のTwitterでこうつぶやいた。

【どのフランス人も、大量殺戮がおきたバタクラン劇場にクソを流し込もうとするこういうタイプの野郎(Médine)を受け入れることはできない。自己満足も甚だしい。イスラーム原理主義を煽るのはもうたくさんだ。】

 

共和党有力議員のエリック・チオッティ氏も自身のTwitterでこうつぶやいた。

【バタクラン劇場でのラッパーMédineの公演は2015年11月13日の犠牲者に対する耐えられない侮辱だ。】

 

彼らのtwitter上での発言は瞬く間にフランスSNS上で拡散。そして、Médineのバラクラン公演についての賛否がSNS・メディアでこの一週間議論されつくしたのである。

 

では、どうして保守・極右政治家はこの公演に対して反対しているのだろうか?

 

その質問に答えるためにはMédineの経歴と歴代楽曲を振り返る必要がある。

 

Médineは1983年フランス有数の港町ル・アーブルで生まれた。ちなみにこのル・アーブルはフランス首相エドワード・フィリップ氏の地元でもある。アルジェリア出身の両親の下で生まれたMédineは音楽に興味を示し、2004年にファーストアルバムをリリース。そして、今回のバタクラン騒動の争点の一つになった楽曲が2005年に発表された≪Jihad le plus grand combat est contre soi-même ジハード 最も重要な己との闘い≫だ。

 

 

ジハードというイスラーム原理主義者を連想するような楽曲を歌う歌手をバタクラン劇場で歌わせてはならいとMédineは批判された。

 

ちなみに、ジハードとは2001年のアメリカ同時多発テロ以降、『聖戦』と訳され、イスラーム教徒が異教徒に対して武力をもって攻撃するというイメージが根強いが、本来は自身の心のうちに潜む邪悪な考えを克服しようというイスラーム教独特な概念だ。

 

また、この楽曲が世に出た2005年当時、世界的にイスラーム教徒への風当たりが強かった。2001年のアメリカ同時多発テロでイスラーム教と西洋との対立が激化。また、フランスでは1960年代の高度成長期に国内で不足する労働力を補うために、中東・アフリカからやってきた移民の2世、3世が社会差別と就職難を理由に全国で暴動をおこしていた。さらに、10月には当時フランスで最も見捨てられた地域(クリシース―ボワ)で警察に追われて発電所に逃げ込んだ北アフリカ出身の少年2人が感電死し大問題となった。

 

このような経緯で、当時、イスラーム教徒は悪だという風潮がフランス社会で蔓延していたのである。そういうフランス社会を皮肉るためにMédineはこの楽曲を発表したのだ。

 

それから10年後の2015年1月2日、風刺週刊誌シャルリーエブド本社でテロ襲撃事件があったわずか5日前に発表されたMédineの楽曲≪Don’t laik (ライシテ嫌い) ≫も今回の騒動で槍玉にあがっている。

 

以前のブログで紹介したように、ライシテ(政教分離・無宗教主義)とは、いわば、フランスの国教でありタブーだ。そのライシテをこの楽曲内でMédineはこう歌っているのである。https://ameblo.jp/palmehiroki/entry-12367451336.html

 

【Crucifions les laicards comme à Golgotha (ライシテを信仰する奴らをゴルゴタの丘みたいに磔にしてやろうぜ!)】

 

この歌詞はフランスという国家への侮辱だと保守・極右政治家は批判している。

 

一方、バタクランで犠牲となった方々の遺族は今回の騒動についてどうコメントしているのだろうか?

 

どうやら遺族の中でも意見が二分しているようで、Médineのバタクラン劇場公演中止を促す法的手続きを開始したグループもいる一方、最大グループであるLife for Parisは国民戦線のマリーヌ・ル・ペンがtweetした翌日に以下のようにコメントしている。

 

【Médine氏のバタクラン公演に関して、Life for Parisはこう考えます。バタクラン劇場も2015年11月13日のテロ襲撃の被害者であり、パリ警視庁管轄の下、バタクラン劇場はそのプログラム編成に関しては自由であるべきです。また我が団体は検閲機関でも政治団体でもありません。そして、今回の騒動のように、一部の政治家によって、テロ事件の犠牲者の記憶が政治利用されることを望みません。】

 

一方、政府として今回の件にどう対応するのか迫られた、Médineと同郷のエドワード・フィリップ首相は国民議会ではこう見解を述べた。

 

【私はあなた方の怒りがよくわかる。私たちは完全にそれらの歌詞(Médineの楽曲)によってショックを受けた---しかし、この場合も---私たちは法を順守しなければならない。法にはなんと書かれているか。表現の自由を守ること、そして、法は、その公演によって公共の治安が乱される恐れがある万が一の場合のみ当局が介入することを認めている。---また、人種差別を煽るような運動と公共の治安が乱される場合のみ当局は特定の措置を講じることができる。だからこそ、私たちは誠実に表現の自由と法を守るのである。】

 

それでも、どうしてMédineがそこまでして、バタクラン劇場でコンサートを行いたいのかが疑問であった。そこは、今からわずか3年前に90名もの一般市民がテロ襲撃によって無差別に命を落とした場所なのだ。

 

バタクラン劇場

 

アフリカ・トーゴ出身でMédineの友人でもあるラッパーの一人Rost氏はテレビの討論番組でこう訴えた。

 

『ラッパーにとってバタクラン劇場は聖地なんだ。すべてのラッパーは別にオランピア劇場(パリオペラ座近くにある老舗ミュージックホール)でコンサートをしたいと思っていない。私たちラッパーが最もコンサートを開きたい憧れの場所、一番最初に思いを馳せる場所、それがバタクラン劇場なんだ。』