マクロン大統領は6月26日から29日の4日間、G20サミット出席のためにブリジット夫人と共に日本を訪問しました。

G20サミット前の2日間、マクロン大統領は安倍首相と日仏首脳会談に臨み、また、天皇皇后両陛下と昼食を共にされました。

私は今回のマクロン大統領の訪日での最も重要なイベントの一つが、今回紹介する友禅染の人間国宝でいらっしゃる森口邦彦氏との京都での面会だと思っています。しかし、残念ながら日本ではあまり報道されておりませんので、この歴史的な面会を詳細に記録した仏リベラシオン紙Rafaële Brillaud記者の記事を皆様に紹介したいと思います。

※もしかしたら、翻訳が完璧ではないかもしれないですがお許しください。

 

この記事の紹介の後に、私の解説も載せますので、そちらもお読みください。

https://www.liberation.fr/planete/2019/06/28/macron-a-moriguchi-n-etre-jamais-satisfait-il-parait-que-c-est-le-propre-du-talent_1736770

 

 

 

Macron à Moriguchi 

≪決して満足しないことは、その人の才能かもしれない≫

 

G20大阪の合間に、フランス共和国の元首は、京都にて、着物の染織家で≪人間国宝≫の森口邦彦と2時間以上も過ごした。芸術、幾何学、忍耐についてのやりとりの記録。

 

それは扉の後ろでザワザワと音を立てていた。梅雨、文字通りの≪梅の雨≫が、これから幾日に渡ってびしょ濡れとなる京都に降り注いでいた。畳は干し草の香りがし、衣服は乾きづらい、書物のページはたわんでしまう。古の帝都の中心、二条城近くの路地に人影はなかった。慎ましいマチヤ、木造の伝統住宅の中は、翌日からG20がはじまる隣町、大阪の喧騒とはかけ離れており、そこで森口邦彦はフランス大統領を待っていた。

 

着物の染織家が≪人間国宝≫の一員となるのはとてもめずらしいことだ。人間国宝は日本に100名ほど存在し、その技術、芸術性は卓越している。また、本人自身が文化財でもあると同時に、触れることのできない重要文化財の守護者でもある。森口は友禅の技法によって功績が認められた。友禅とは18世紀に誕生した織物への染色技術である。人間国宝であるほど名誉ではないかもしれないが、彼の心の高ぶりは明白であった。≪大変光栄なことです。≫彼は申し分のないフランス語で言った。≪私はようやくフランスに感謝することができます。1960年代という海外渡航が極めて難しい時代に(フランス政府)奨学金が下りたからです。≫

 

京都芸術大学の日本画(鉱物源の塗料による絵画)選考の学生は22歳で国立パリ高等装飾美術学校に入学する。指導教官、バウハウスのジーン・ウィドマ―を介して、批評家のガエタン・ピコンや画家のバルテゥスと親交を結び、バルトゥスからは図案を学び、共に知性を高め合い、共に夜遊びをし、そしてヴィラ・メディチへも招待され滞在した。

森口は現在も自身の創造の源には、1941年に彼が生まれ、命を懸けて仕事を続ける町とはかけ離れた、常軌を逸した自由のなかで過ごしたこの3年間があると明言している。

 

 

Hasard objectif 客観的偶然

 

ある噂がざわめきの中、外からやって来た。≪歩いてきたよ!≫森口邦彦は、この会見に歩いてやって来るエマニュエル・マクロンを見るために頭を傾けた。挨拶の握手を交わし、黒いネクタイに背広を着た招待客が尋ねた。≪どこに靴を置けばよいでしょうか?≫そして、少人数のエリゼ宮の一団が、この巨匠の住処へと靴下で流れ込んだ。今回の出張に関する政治や経済の心配事がある中で、フランスの国家元首は≪芸術の糸≫をたぐることを熱望していた。≪森口は私たちの芸術家と架空世界の対話の模範だ。そして、私はバルトゥスを敬愛していますし、ピコン傑作の『Admirable tremblement du temps 』も読みました。私はここに“客観的偶然”があると思っています。≫と彼はアンドレ・ブルトンを仄めかしながら自身の考えを話した。

 

身をすりよせて慎ましく並んでいた家族の紹介がはじまった。森口の妻、長男。勝手口に飾ってある3枚のサーフボードは彼のものだ。義理の娘、そして10歳の孫。部屋の奥には白と黒色の正方形の斑点が染めてある着物が、両腕が開かれた状態で衣桁に掛けられている。衣桁とは威厳のある着物をTの字に吊るす伝統的な台だ。≪最近の作品の一つです。雪が踊っている時、2016年末のパリ日本文化会館の展覧会のための作品です。製作するのに6か月。研鑽を積むのに何年もかかりました。≫そのことを理解するために、靴下たちはアトリエへと続く狭い階段を上りはじめた。

 

Ombres et perspectives 影と遠近

 

低い天井。壁に掛けられている筆の数々。竹の枠の中に納まった生地。書物と下絵の数々。日の光は入らない。部屋の片隅に、蛍光灯の光が照らされた小さな作業台があった。

≪こちらが現在進行中のプロジェクトです、六角形と正方形、こちらの角度は120度で、こっちは90度、かれらはあまり仲が良くない、だけど、私はかれらの中に一つの調和を見出そうとしています。≫皆は不意に、これが日本とフランスの寓意ではないかと自問自答した。

 

 

-≪こちらの型では、正方形は飛び出そうとしていて、こちらでは元に戻ろうとしています。≫森口は切り出した。

 

-≪ええ、あなたは陰を逆さにしている。だから奥行きがある。≫マクロンは続けた。

 

-≪あなたの訪問のお陰で、作業がよく進みました。だけど、まだ私は満足していません。結果は2、3年後に分かるでしょう!≫

 

大統領は作業机のまわりに整理された紙に目を向け≪おや、ここに没になったアイデアのファイルが全部ありますよ!≫と笑いながら言った。森口は紙の束を丸めた。

 

-≪女性が着たときには、全く変わってしまいます!≫

 

-≪あなたは着用パターンを考えているのですか?≫

 

-≪はい、パターンは無根拠ではありません。美しい型。美しい鳥。美しくなければ、何も意味がないのです。だから私は女性をよくみています。≫

 

-≪あなたは着物をみている。≫彼の賓客は訂正した。

 

-≪はい、ありがとう、そう言うほうが良い!≫

 

 

Tradition et modernité 伝統と現代性

 

マクロンは質問を続けた。≪あなたの制約の度合いはどれくらいですか?≫森口は質問の真意がわからなかった、この時、彼は一度だけ、黙って会話を聞いていた通訳に助けを求めた。その後、彼は緻密な言葉でその部屋を満たした。

 

 

≪私はこの伝統を守らなければいけません。常に、この世に存在せず、よりオリジナルのものを生み出すのです。なぜなら、私が創造性を失うことは、職業人としての死を意味します。≫

 

-≪伝統と創造の間の緊張の中にいるのですか?≫

 

-≪伝統というのは重いです。邪魔かもしれません。もし伝統によって食い物にされると、あなた自身とは全く異なるものになってしまうでしょう。伝統から解放されなければいけません。新しいヴィジョンをみつけ、あなた自身へと戻るのです。創造的でありながら職人であり続けるのです。≫

 

全く充分ではない解放、彼は若かりし頃、朝から晩まで作業椅子に釘付けになっていた。

 

≪コーヒーを飲みますか?≫友禅染の異なった工程を、自身の弟子であるアシダタカシ【※漢字がわからなかったので片仮名で】と共に紹介した後に、森口は誇らしげに切り出した。一階のテーブルの上には、森口がセーブルの職人と共に製作したマグカップが置かれていた。日本では茶を汚すことは珍しい。それは徒労だった。大統領はハーブティーを選び、お菓子を味わった。抹茶色をしたエメラルドグリーンのバームクーヘンと、蒸された米の生地の上にこし餡がまぶせられた水無月であった。

 

-≪6月の終わりに食べるお菓子です。直角三角形のこの形は(暑気を払う)氷を意味しています。≫森口は説明した。

 

-≪あなたは幾何学様式に取りつかれている!≫マクロンは声をあげた。

 

-≪その通りです。≫

 

家族みんなが畳の上にひざまずいている一方、染色家と大統領はテーブルで会話をしていた。唯一、こういった場所の常連であるローラン・ピック大使だけが、彼らの横に座った。

 

-≪あなたの目標は何ですか?究極の作品?≫マクロンは再び尋ねた。

 

-≪難しいです。≫長い沈黙の後、職人はそっとつぶやいた。

 

彼は自身の父親の作品集を求めた。彼の父、森口華弘もまた人間国宝である。ページを捲った。桜木の枝、波が華美に生地の上で揺れ動いている。≪これは本当に素晴らしい。これは私が決して辿り着けない境地です。私が持っていない自由がそこにはあります。なぜなら私は幾何学に頼っている。私の作品では空白が大事なのですが父の作品ではその空白が波となっていて、それがいっぱいに満ちている。≫息子が言った。

 

 

Géométrie et abstraction 幾何学と抽象

 

父親はもうこの世に存在しない。だが、息子との緊張関係は常に存在している。彼のことをよく知る、かつてドキュメンタリー映画を撮り、また現在は彼の自伝を準備しているMarc Petitjeanはこの“相違”について力説した。≪当時、開業したばかりの新幹線ひかりから名付けた最初の作品から、彼は正方形にこだわっています。彼はすぐに友禅染の中に現代を取り入れることに努めてきたのです。≫、≪私が幾何学模様と抽象の世界を創造した理由の一つは、その世界を誰にも邪魔されないようにするためです。≫当事者は控えめに語った。

 

 

マクロンは質問をつづけ、森口は幸せそうに話した。

 

-≪あなたは、時おり完璧に近づいたという気持ちを抱いたことがありますか?≫

 

-≪けっしてないです。研鑽を積んでいる瞬間にはあるかもしれない。わたしが求め続けるものを超越することはあります。≫

 

-≪だけど、あなたが成功したと思える瞬間とはどういう時ですか?決して満足しないのですか?≫

 

-≪もし、満足してしまうと、そこから前へは進めません。≫

 

-≪決して満足しないということは、その人の才能なのかもしれない。≫マクロンは締めくくった。≪制約の中に発明の自由があって、それによってもたらされる絶対的自由を私はよく理解しています。ボードレールも14行詩の型について同じことを言っていました。ロンサールも同じです。純粋な表現とは形式的な制約の中のみでしか誕生することができない。≫

 

写真撮影が続いた。大統領はピアノを嗜む森口の孫が、ショパンを演奏する動画を見ていた。目が飛び出た小さな飼い犬まで家族の皆は大統領に紹介した。≪ゴルティエのポロシャツみたいだ≫と飼い犬の衣服を見ながら微笑んだ。時間が押していることが何度も伝えられた。マクロンは本来19時に出発しなければならなかったが、すでに20時を過ぎていた。≪G20に行くよりも、この場所に居続けたいです。。≫マクロンはこうもらした。だか、彼は立ち上がった。≪私たち両国は全く異なりますが、ともに技術を愛しています。私たちは共に働かなければなりません。≫と大芸術家が明言した。森口がヴィラ久条山の企画団の一員として12月に訪問するパリで再び両者は会う事となった。

 

≪あなたを我が家に招くことが出来て私はとても感激しています。≫別れ際、森口は言葉を発した。≪いや、私たちが皆様の貴重な時間をたくさん頂いたのです。≫マクロンは応えた。外では日本のテレビ局のカメラの光が、暗いスーツと傘でできた人だかりを呼び寄せていた。近隣の人々は路地の真ん中にいる有名人に驚いた。森口は戸口で幸せそうに佇んでいた。エリゼ宮の一団は梅の夜へと姿を消していった。

 

※フランス大統領宮のHP上でこの時の様子の素敵な写真を公開しています。是非ご覧ください。

https://www.elysee.fr/emmanuel-macron/2019/06/27/a-kyoto-rencontre-avec-un-tresor-national-vivant-lartiste-japonais-kunihiko-moriguchi

 

Rafaële Brillaud à Kyoto

Traduction: Hiroki Shoda

 

【解説】

このリベラション紙の記事を読んだときにある種の衝撃を私は受けました。記事の内容はもちろんのこと、アルファべを追っていくと同時に、まるでマクロン大統領と森口さんのやりとりを傍で目撃しているようで、新聞記事ではなく一幕物の芝居や短編映画を観ているかのような気分にさせてくれました。こういう記事をサラッと書かせるフランス社会がいかに文化水準の高い国家だと思い知らされます。実はマクロン大統領は日本にはあまり関心がないと言われていました。歴代のフランス大統領の中でシラク大統領の日本文化贔屓は別格で、その後のサルコジ大統領やオランド大統領と同様に、マクロン大統領も日本について言及することは極めて少なかったのです。そんな状況の中、どうしてマクロン大統領は、日本の人間国宝である森口邦彦さんと2時間以上にわたって、京都の自宅兼作業場で話をしたのか?それは、人口6600万人の大国フランスの国家元首、片や、18世紀から続く友禅染の職人と、まったく立場の異なる2人が、実は共通する命題に対峙しているからだと私は思いました。その共通する命題と言うのが『伝統という制約のなかでいかに新しいものを生み出していくか?』です。マクロン大統領は2017年の就任以来、数々の政治的制約のなかで新しいフランスを生み出そうとしています。一方、その急進的な政策は黄色いベスト運動などの形でフランス国民から猛反発をくらっているのです。私もフランスに住んでいてわかりますが、やはり、この国は開かれているようで閉じています。それはよく言えば伝統であり、悪く言えば制約なのです。例えば、パリなどの都市開発を考えてみてはどうでしょうか。日本の主要都市、特に東京は関東大震災や東京大空襲で完全に破壊されました。そして、その廃墟の中から新しい東京という国際都市が生まれたのです。一方、この国では19世紀半ばにナポレオン3世とオスマン男爵によって創造された社会インフラの上にパリという都市は成立しています。そんな伝統という制約の中、マクロン大統領は新しいフランス像を模索しているのです。だからこそ、マクロン大統領は森口さんの作品に触れたり、直接会話することで様々なことを感じたのではないかと思います。また、日本とフランスの二国間外交を考えれば、森口さんとマクロン大統領の面会はとても有意義であったと思うのです。マクロン大統領は政治経験も浅いので、日本側とのパイプが豊富にあるとは思えません。しかし、今回の来日でいくら人間国宝と言えども、一民間人の私邸で彼が2時間以上も過ごしたことは異例中の異例ですので、森口さんとマクロン大統領の友情がこのタイミングで築かれたことはもっと報道されるべきです。もちろん、文化外交やソフトパワー外交が日本とフランスの間にまたがる様々な係争を直接解決することはありません。しかし、この森口さんとの友情を通してマクロン大統領の日本理解がより深まっていくだろうことは否定できないからです。

だからこそ、今回のこの“客観的偶然”を日本のメディアはもっと伝えるべきだと思いますが、あまり話題になっていないようなので、私が微力ながら紹介しました。少なくとも、私のブログを読んでくださったり、動画を真剣に観て頂いている方に少しでも伝わったら大変うれしく思います。