4月9日夜、パリ市内のカトリック教会の集会にてエマニュエル・マクロン大統領が以下のように発言した。

 

≪ カトリック教会と国との関係が傷んでいると私たちは感じている。そしてあなた方と同じように、私もこの関係を修復することが重要だと思っている。≫

 

この発言はフランス国内を揺るがせ、多くの物議を醸している。

 

なぜ、この発言がこれだけの注目を浴びているのか?マクロン大統領が教会との関係を修復することに何の問題があるのか?

 

それは、フランスという国家が世界中のどの国よりも政教分離 (ライシテ)に厳しい国であり、この政教分離こそが、多数の民族で構成されているフランス社会にて、市民の共存を保障している側面があるからである。

 

ちなみに、このライシテ、フランス語ではlaïcitéと記すのだが、辞書で調べると非宗教性と政教分離という2つの意味がある。よって、ライシテlaïcitéという単語が出てきた場合には、どちらの文脈で使われているか注意を払う必要がある。

 

イスラム教

キリスト教

ユダヤ教

カトリック

仏教

プロテスタント

無神論者

共に生きるために

ライシテ

 

フランスにはご存知の通り数多くの観光名所のキリスト教会がある。ノートルダム大聖堂。サクレークール寺院。サンドニ大聖堂と挙げるとキリがない。しかし、フランスは1905年に制定された政教分離法 (通称ライシテ法loi de séparation des églises et de l’état) と1958年成立の共和国憲法第1条により、国と宗教の結びつきを厳しく制限している。

 

最近では、2016年に南仏のリゾート地でイスラーム教女性が纏うブルキニという水着の着用がこのライシテを理由に禁止され問題となった。ライシテはフランス革命以来、国家とローマ・カトリック教会間の対立を通じて醸成されてきたが、近年では中東からの移民増加やフランス同時多発テロの影響もあり、対イスラーム教との文脈で語られることが多い。

 

さて、今回のブログでは、このフランスのライシテlaïcité(非宗教性・政教分離)の原則についてお話ししたい。

 

フランスのライシテlaïcitéは3つの原則からなる。

 

まずは信教の自由である。

 

すなわち、ある宗教を信じるのも信じないのも自由である。また、この信教の自由は、宗教行為を実践することを認めている。例えば、食前に祈ったり、ユダヤ人食料品店で買い物をしたり、断食をしたりすることだ。個人生活の中ではもちろんのこと、公共の場でも社会秩序を乱さない限り認められている。

 

しかし、民間企業の中ではケースバイケースで、業種業態にもよる。例えば、従業員が勤務中にラマダンの祈りのために職場を離れることを企業はその内規で禁じることができる。

 

 

2つ目の原則は宗教と国・公共機関の分離である。

 

国と地方自治体はいかなる宗教関係者とも労働契約を結ぶことができない。また、宗教団体への資金援助等も禁止だ。

よってフランスには国教というものはなく、すべての宗教団体はフランス内務省を窓口として平等に活動している。

また、この原則は公共機関の中立性を堅持するもので、すべての公務員は自らの信教を職場で示してはいけない。宗教的なアクセサリーや服装の着用も認められていない。

 

そして、3つ目が法の下の平等である。

 

例えば公共サービスを平等に受けることである。いかなる宗教の信者でも病院などの公共サービスを平等に利用することができる。

 

しかし、2004年に公立小学校・中学校・高校内で、生徒はいっさいの宗教的アクセサリーや服装を着用してはいけないことになった。

これは未成年者をその外観の違いで起きるいじめから守るためであり、また客観的な視点を生徒らに持たせるためでもある。

その一方、大学では自らの信教を示す装飾品や服装を身に着けることが認められている。

 

このように、フランスのライシテlaïcitéは反宗教でも親宗教でもなく、フランス国民の信教の自由と社会秩序を守るために存在している。

 

明日は、最初に挙げたマクロン大統領の発言の意味について考えてみたい。