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 「ダイバーシティって、めんどくさいよね」という率直なコメントをくれたAさんは、視覚障がい者である。以前、小売関係の会社でお客様への電話対応業務をしていた。

 

 電話接客スキルを磨いて成果を上げて、社内の接客業務スキル資格試験にチャレンジしようとしたとき、モンダイが生じた。試験科目の中に、応対スキルだけでなく、商品包装やレジ打ちの実技テストが含まれていたのだ。目の見えない人には、さすがにこれはできない。接客スキルそのものは十分持っているAさんは、何らかの配慮をしてもらえないのか、人事部に掛け合った。

 ところが、答えは「No」だった。

 「資格試験の内容を変えるわけにはいきませんから

 

 ちょっと待った。

 資格を取りたい人は、全員同じ試験を受けないと「フェア」ではない、というのは原則であって、身体機能がちがう人に、「同じ」を強いることこそが、逆差別ではないか。400m陸上で勝ちたいなら、T52の人もT53の人も、オリンピックに出てね、というのと同じ無茶ぶりではないか。

 

 幸い、Aさんの周りにはモノのわかった人たちがいた。Aさんと一緒に頑張って人事部との折衝を重ね、包装とレジ打ちを熨斗紙やクレカ知識のテストに置き換えてもらうことになった。そこに至るまで、なんと4年間。ようやくAさんはその資格を手にしたそうだ。

 ふぅ~~。

 Aさん、本当にお疲れ様でした。。。

 

 この話には、オマケがつく。資格取得者には、資格を示すバッジがもらえるのだが、Aさんの頑張りを機に、他の視覚障がい社員のために、包装・レジ打ちなしの資格を作ろう、そしてちょっとちがう色のバッジにしよう、という前向きな意見が出たのだ。

 ところがそこに、まさかのクレーム。

 「それは『差別』になります

 いやいやいや、それは、「差別」じゃなくて、単なる「区別」でしょうが。。。

 

 このケースは、「何を以て公正(フェア)とするか」の考え方が、カンペキに取り違えられてしまった典型例だ。

 つまり、「公正さ」=「社員全員、みんな平等に扱うこと」という考え方に凝り固まっていた。しかし、Aさんを一律「平等」に扱って、全く同じ試験を受けてもらうことは、むしろ「不公正」になる、という発想が欠落している。

 「公正」の意味について、単に何も考えていなかったのか、わかっているけれど、個別配慮が「面倒くさい」と思ったのか。

 

 「何を以て公正(フェア)とするか」という点について、似て非なる話がある。

 かなり昔だが、他社に比べて「女性活躍推進」が進んでいる大企業に勤めていた時代、同期女性Bさんの実体験である。4大卒の男女の初任給は同額で、同じ新人研修を受け、係長試験も平等に受けさせてもらえる。当時にしては、非常に公正な制度が敷かれていた。

 管理職昇格試験は、さすがに門戸が狭くなり、上司の推薦が必要になる。部署によっては、管理職候補が複数名いて、今年は誰を推薦するか、上司の匙加減一つ、という状況になる。優秀なBさんは部署内外の評価も高かったのに、なぜか試験を受けさせてもらえなかった。代わりに目出度く昇進したのは、Bさんより明らかに低パフォーマンスの年上男性社員である。

 「どうしてですか?」と上司に尋ねたところ、理解不能な、アサッテな回答が返ってきた。

 

 「彼には、養わなきゃいけない家族がいるんだよ

 

 はぁ~~??

 「…それ、課長試験と何の関係があるんですか?」

 「だからぁっ、たくさん稼いで家族を食わせないといけないんだよっ」

 家族のためにおカネを稼がなきゃいけない男性社員は、独身貴族のBさんよりも先に、お給料の高い管理職にしてあげよう。上司にとっては、それが「フェア」な計らいなのである。

                               ・・・(下)に続く