先般、「ご飯食べたい人リスト」というブログを書いた。今回はその逆、「一緒にご飯食べない人リスト」について紹介したい。

 転職間もない人の話を聴いた。上司が、有難いことに定期的に面談してくれたそうだ。しかし、そこでの定番の質問が;

 「おい、トモダチできたか?」

 彼女は、苦いモノを誤って口にいれてしまったような表情で、吐き捨てるように言った。

 「『…ッムリッ』って思いました」

 え、何でその質問が苦いの?と思う人がいらっしゃるかもしれない。
 あ、わかるわかる、だよね~、と思う人もいらっしゃるかもしれない。
 私は、後者である。

 転職に限らず、職場の仲間と和気あいあい、空気に馴染んでのびのび働けることは大切だ。でも、言うまでもなく、会社はトモダチを作るためにあるのではない。仕事をするためである。
 職場での良好な対人関係は、仕事を支障なく進め、成果を上げるための手段であって、目的ではない。共に長く協力し合う中で、個人的な友情が芽生え、その絆が仕事の品質向上に貢献する、ということは誠に望ましいが、親密な友情を大前提とすることはできない。
 けれど、そのあたりがどうも怪しい場合がある。

 「あの人とは、とても一緒にやっていけません」

 〇〇ハラスメントの上司に対してならともかく、単純に「好きじゃない」「気が合わない」同僚や先輩・後輩の存在を理由に、異動希望を出す社員がいる。しかもそれを受諾して、どちらかをホントに異動させちゃう親切な上司がいる。曲解かもしれないが、上述の上司のように、職場の人とは「トモダチ」になるべき、という「手段の目的化」的な価値観がここにあるように思われる。
 それって、ちょっとちがうんじゃないか。というのが、上述の知り合いの「ムリッ」という反応であり、それに首肯している私の感覚である。
 でもじゃあ、職場に「好きじゃない人」がいて、異動という解決方法に訴えないなら、どうすればいいんですか!?と訊かれたら、私はこう答えることにしている。

 「一緒にご飯食べなければいいのよ」

 実はこれ、上司も部下も選べない会社員をやっていた頃の、私自身の処世術である。長く仕事をしていると、どうしても馬が合わない、生理的にダメ、という人に、(しばしばではないが)必ず出逢ってしまう。一緒の会議、一緒のプロジェクト、一緒の部署、デスク隣同士。最悪。そんなとき、心の中でドスの利いた声でつぶやくのだ。

 「アナタとは、ぜぇ~ったいに、一緒にご飯食べに行かないもんね」

 懇親会など、一緒にご飯食べる事態が生じることもある。それは「会食」「接待」であり、「仕事」の一部と思って淡々と流す。どうしてもガマンできなさそうなときは、さらに、こう付け加える。

 「別に、この人と結婚しろって言われてるわけじゃないし」
 
 一緒にご飯食べるとか結婚するって、すっごいプライベートなことであり、「ワークライフバランス」で言えば「ライフ」側の話である。コロナ禍によるテレワークの進展で、zoom会議の背景にコドモが登場しちゃったり、仕事の合間にささっと洗濯物たたむなど、「ワーク」の場に「ライフ」が滲み出す場面は、確かに増えた。
 しかし、逆は真ならず。「ライブ」の場を、たまたま「ワーク」で一緒になった好きでもない人と共にしなきゃいけない法律はない。そもそもナンセンス。
 「一緒にご飯食べない」発言は、このナンセンスを言語化し、「ワーク」による「ライフ」の侵略防止を高らかに宣告するマントラ、なのだ。

 繰り返すが、職場にトモダチは不要と言っているわけでは、決してない。気の置けないトモダチがいるに越したことはない。でも、それを最初から期待しないほうがいい(「期待」については、こちらのブログをご参照ください)。職場でトモダチになれそうにない人は、「ご飯食べない人リスト」に回せばいい、というだけのことである。
 そうすれば、どんなに苦手な相手とも淡々と「ワーク」するだけと割り切れる。
 何より、「ご飯食べたい人リスト」の相手の有難味が、余計に身に染みる。