(1)はこちら。。。

(2)はこちら。。。

 粘り強く仕上げた修論の先には、さらなる粘りを必要とする更なる一歩が待ち受けている。学会誌への投稿である。

 これを言ってしまうと身もフタもないが、修論は(少なくとも私が専攻した筑波大学社会人大学院のコースでは)出せば通る。よっぽどのコトがない限り、「落第」にはならない。
 だから、というか、むしろ、というか、指導教員の先生たちは、修論をベースにした論文を学会誌に投稿する、という「更なる一歩」を学生たちに促すのである。書きたいことを書きたいだけ書く修論と違い、投稿論文の場合は枚数制限などもあり、本当に重要なポイントを絞らなければならない。さらに、見ず知らずの学者先生たちから厳しい査読コメントをいただき、それに1つ1つ回答して論文を修正し、再提出してまたコメントを戻され…というやりとりを何度も繰り返してようやく学会誌への掲載が認められる(認められない場合もある!)。そこで初めて論文が、公の場で日の目を浴びることになるのだ。
 修論で終わってしまったら、せっかくの力作も大学の事務室の書棚に並ぶだけですよ、というのが、先生方の常套句である。

 というわけで、zoomによる口頭試問が終わったその瞬間、チャット画面上でB先生から「これからがいよいよ本番ですね!」という鬼のような(><)お言葉をいただいた。
 かくしてB先生が投稿論文の指導をしてくださることになった。投稿論文は、ただ100ページの修論を10ページに要約すればいい…なんて甘いモノじゃない。
 個別ゼミ(*)の1回目、まず言われたこと。

 もう一度先行研究を洗い直しましょう

 え“。。。 自慢じゃないが(という枕詞に続く話は、たいがい自慢話である)、先行研究はかなーりたくさん読んだ、つもり、である。アブストラクトのチェックのみの論文も含めると、900近く目を通した。それなのに、まだ…? 
 「あの、あとどのくらい読めばいいんですか?」という問いに対する先生の、明るい声。

 「このテーマについて、自分より知っている人は一人もいない、と言えるくらいまで、ですかね」

 え“。。。 あの、私のテーマであるダイバーシティやオーセンティックリーダーシップって、世界中いろんな国で研究されてて、次々と論文発表されてるんですけど💦💦💦 黙り込んでしまった私の胸中を察した先生は、すかさずフォロー。

 「ま、そのくらいの高みを目指すつもりで、ということで…。あはは」

 大学の図書館データベースが使えるうちにできるだけ論文検索しとくといいですよ、という先生のアドバイスに、久しぶりに図書館に行く。「既にけっこうしっかり検索したんだけどなぁ」とぶちぶち思いながら、常用していた検索サイトと異なるサイトで試しに検索してみたら。。。😢  

 いきなり見たこともない論文がずらり。そのいくつかは2020年のもので、つまり私が見過ごしていたのではなく、ごく最近アップされたということだ。しかし、これじゃあイタチごっこじゃないか。毎日世界のどこかで新しい論文が発表されてるんだから、粘れば粘るほど「読み尽くす」ことができない。暗澹たる気持ちになる。とりあえず50個ダウンロード。

 次のゼミで、「論文、どうでした?」と訊かれ、おずおずと「見たことない論文が出てきました…」と白状する。「で、とりあえず50個読みました」と伝えると、B先生は「あ、だったらそれでいいです」
 論文検索は、この程度の粘りで勘弁してもらえた。

                            ・・・(4)に続く。。。

(*)筑波大学では、なんと卒業した後も、授業料も払ってないのに、先生が論文投稿に向けて継続指導してくださる。うがった見方をすれば、投稿論文は先生との共著なのでご本人のクレジットにもなるから、丸っきりの利他精神ではないけれど、それにしたって寛大・親切極まりない。