・・・(1)はこちら。。。

 それにしても、恐るべし、C先生の粘り。
 集合ゼミでも、他のゼミ生に向かって「いいですねー。ここまでできれば、素晴らしいです」と褒め称えた舌の根も乾かぬうちに、「せっかくだから、あとちょっとここのところを…」と次のハードルを目の前に据えていたっけ。言われたゼミ生は、「え…、まだやるんですか」と顔を引きつらせていた。

 会社の仕事もそうだけど、学術論文にも「これでカンペキ」、絶対的な百点満点は、ない。だから仕事では、「費用対効果」を考慮して、1つの業務は「効率的」に済まして、余った時間は別の業務に費やす。
 一方研究は、締切時間の許す限り「よりカンペキ」を目指して、かけられるだけの時間をかけて、粘って粘って粘り抜く。あとちょっと、あともう少し、とハードルを上げていく。
 いやー、すごい。これって、アカデミアとビジネスの根本的相異だろうか。
 
 そう言えば、C先生にお尻を叩かれなくても、似たようなことをやっていたのを思い出した。
 第二研究で、企業の管理職向けの研修プログラムを開発し、研修の前後でスキルやマインドセットの得点に変化があるかを検証したのだが、そのプログラム開発のときのことだ。
 普段の仕事で研修プログラムの開発は行っているが、研修コンサルフィーは固定だから、開発に時間をかければかけるほど「時給」は安くなる。「経営」の観点からは、できるだけ生産性を上げて、時給レベルを下げない努力が必要である。
 それでもやはり、もっと受講者にわかりやすく、もっと受講者の気づきを促すよう、あれこれ考えたくなってしまう。あーでもないこーでもない、と自問自答の一人ブレストを延々続けたくなる。そういう検討タイムは別勘定として、「工数外」にしてしまうことにしている。
 
 しかし修論研究での研修は、協力してくださる企業に無償で行うので、「時給」は気にしなくてもよい
 研修後の得点が有意にアップしないと、研究として失敗となってしまうので、どんな内容にすれば即効性がありそうかを入念に考えなければならない。しかも、心理学研究として行う以上、「ただの思いつき」ではなく、心理学の諸理論や先行研究で得られたエビデンスに基づいたコンテンツにする必要がある。
 出来る限りよいプログラムを作るべく、思う存分時間をかけて、考えに考えた。パワポのプレゼン資料も、時間を気にせず丁寧に作り込んだ。そして、思った。

 「こんなに心置きなく時間をかけてプログラムを作れるって、なんて贅沢なんだろう

 粘りたいだけ粘れるという贅沢さに、感動すら覚えた。

 研修を受講してくださった管理職の方々が優秀だったおかげもあって、研修前後の得点は有意に向上し、研究としては成功した。それでも終わった後、プログラムの改善点にいくつも気づき、カンペキを目指す道の果てしなさを痛感したのであった。

 研修プログラム開発も、修論執筆も、あんなに粘って頑張ったのに、実のところ、修論提出後に120%すっきりと達成感を味わえたわけでは、ない。
 不完全燃焼、というのか、なんだか「終わった」感がなく、まだやり足りない、中途半端な感じがした。このもやっとした気持ちは、私だけではなく、同級生の何人かも同様だった。ほぼ1年に亘る長丁場の修論研究プロセスがあまりにタイヘンだったせいで、終わった直後はまだ実感が湧かないのかと思ったが、しばらくしたら喜びがひしひしと…というわけでもなかった。

 それはおそらく、粘っても粘っても「カンペキ」までは程遠い、アカデミックな研究の奥深さを体感したためかもしれない。C先生が仕掛けたハードルをいくつも越えて、ようやくここまでたどり着いた、と思ったら、そこは頂上ではなくまだ3合目の高原くらいだった。そこから見上げると、靄の向こうにものすごい高い山脈が聳えている様子が垣間見える。ひえぇ~、まだあんなに先があるのか…。Never ending…。

 ラストスパートの頃、D先生から言われた言葉を、改めてかみしめた。

 「修論は到達点ではありませんが、一つの重要な区切りです。

  終わったら、さらに一歩先を目指してください

 更に一歩先とは、何か。   …(3)に続く。。。