大学院の学位授与式が終わって、今日でちょうど1ヶ月。しもやけを作りながら仕上げた修論を提出してから3ヶ月と4日。たった1ヶ月・3ヶ月しか経ってないんだ~、と吃驚するほど、遠い昔のように思える。すっかり日常に戻るどころか、後伸ばしにしていたことに取り組んだり、修論研究をきっかけに新しい仕事が舞い込んだりして、アカデミックな世界にどっぷり漬かっていたあの頃の記憶が、もうはや忘却の彼方に薄れつつある。
 だから、忘れないうちに、書き留めておかねば。

 この3ヶ月、「修論終わってよかったね」というねぎらいの言葉を色々な人からいただいた。そして、少なからぬ方からは、そのあと、こんな言葉が続いた。

 「でも、長い社会人経験があるから、修論なんて大したことなかったでしょ」

 たしかに、右も左もわからぬティーンエイジャーが「大学」という未知の世界に飛び込んだ、セピア色の40年前に比べたら、今や社会人として百戦錬磨(?)。その経験を総動員すれば、社会人大学院なんて、お茶の子さいさい!?
 …と言いたいところだが、実は真逆であった。むしろ、永年の会社員ノウハウが、見事に裏目に出るという、けっこう(かなり?)手痛い事件があった。

 会社で宮仕えをしていると、自分の好き嫌いに関わらず色んな業務が降ってくるし、上司に無理難題を吹っかけられることもある。若いうちはバカ正直に、しゃにむに一生懸命やろうとするが、そのうちスマートに効率よく物事を処理する能力が向上する。

 「効率的であること」は、ビジネス社会の基本。

 勤務時間は基本限られているし、学校のテストみたいに絶対的な「百点満点」はないから、その業務で求められる成果と、それにかける労力とのバランスを考えて、出来るだけ効率よく行うことが、会社員の鑑、というわけだ。
 自分一人があんまりしゃかりきにやると、周りの人とのバランスがちぐはぐになって、返って全体のパフォーマンスに悪影響を及ぼしたりもする。「ほどほど」のほうが歓迎されることさえある。
 実はこれ、有り体に言えば、上手な「手抜き」のスキルである。自分の中で「ま、この程度でいっか」と勝手に妥協点を見出す。「勝手に」と言いながらも、手抜きレベルを間違えるとマズいことになるから、周囲の状況や業務内容その他もろもろを勘案して、最適レベルを見極めるのがコツである。
 さらに言えば、降ってきた業務が、実は上司の単なる「思いつき」、というケースも少なくない。なんだかなぁ、と思ったときは、とりあえずスルーする。そのうち、当の上司も忘れてくれる。スルーして「何もしない」という最強の手抜き法で、済んでしまうこともありうるのだ。
 「あれ、どうなった?」というリマインダ―を3回くらいもらって初めて、「あ、やっぱり本気だったのね」と、ようやく重い腰を上げて取り掛かる。それが一番「効率的」だったりする、ときもあった(少なくとも、私の経験上)。

 …という、会社員の知恵が、この歳になってアカデミックワールドに飛び込んだ自分に、どんな災いをもたらしたのか。

                                  。。。(下)に続く