運動不足解消のため、人影の少なくなる夕方に都心の道路をちゃりで駆け巡る、という試みをしている。先日は芝浦から浜離宮を経て築地、勝鬨橋を渡って晴海から月島まで足を伸ばした。
 昼間でさえいつも日陰な首都高下の道は、人もクルマも少なくて、夕暮れ時の暗さ以上に寂寥としている。たまにすれ違うのは、犬を散歩する人、ジョギングする人、そして、…若いカップル♡。
 そーだろーそーだろー、外出自粛とか3密回避とか言われても、会いたいよね、恋人同士は。普段だって人気のない道を選んで肩寄せ合いたいお年頃、今や人混みを避けるのはエチケット、一石二鳥? 浜離宮の緑の脇、潮の香り漂うオープンエアで、存分に密着してくださいねー。
 ユーミンの「DA・DI・DA」に入ってた「メトロポリスの片隅で」の「わーたーしーはーゆーめーみーーーるシングルガーール」ってサビのところを口ずさみながら、彼らの横を駆け抜ける。

 こんな微笑ましい光景と裏腹に、「コロナ離婚」という言葉が流行り始めているらしい。「震災婚」はあったのに、どうして「コロナ婚」はないのだろう。当該ブログサイト、Amebloでハッシュタグを検索したら、「コロナ離婚」1,571件に対して、「コロナ婚」は50件しかなかった。やっぱり。。。
 世の中こんなに不安な状況なんだし、テレワークとかばっかりで人恋しさが募るし、いっそ籠る「自宅」が同じなら外出自粛もなんのその、恋人同士にとっては、結婚もしくは同棲(ってなんか古い言葉だ)に踏み切る絶好の機会だと思うんだけど。
 
 まあ、コロナ離婚したくなる人の気持ちも、わかる。
 別のブログでご紹介した通り、私たちは、逆境に直面すると、その原因を明らかにしたくなる。特にありがちな「外的帰属」。このたびのように、原因が「ウィルス」という「ぬかに釘」みたいな相手だと、怒りの矛先の持って行き様がないので、つい手近なもの(人)に八つ当たりしたくなる。
 しかも、単なる八つ当たりではなく、本当に怒るに値する、極めて正当な理由にも事欠かない。普段は夫婦双方もしくは片方が外で働いていて、共に過ごす時間が限られていたのに、今やお互いずーっと狭いうちで顔突合せてるわけだから。
 ビデオ会議するにも、洗濯物干しにベランダに出ていく妻の動きで気が散る。
 3度の食事の準備、なぜ私ばっかり!?と台所に立とうしない夫にむかっ腹がたつ。
 そもそもなんでアンタは、これだけ手を洗えって言われてるのに、いい加減な洗い方しかしないわけ!? 
 大体そんな神経質に、外出のたびマスクを替えろなんてナンセンスだぜ、誰もオレにつば飛ばしてねえよ!!
 あれやこれや、ささいな出来事がたび重なって、だんだんと抽象的概念に発展し、やがて「性格の不一致」「価値観の違い」という離婚の典型的理由として結晶化されてしまうわけである。

 震災婚との大きな違いは、「吊り橋効果」の有無ではないかと思う。
 心理学の有名な実験で、男女何名かにグラグラ揺れる吊り橋を渡ってもらうと、その後お互いに好意を抱く割合が、橋を渡らない場合に比べて有意に高いことが証明された。グラグラする橋が恐くて心臓がドキドキし、頭がカッと熱くなるといった身体的反応が、相手を一目見たときに胸がトキめく、という恋愛初期の反応に似ているがゆえに、脳みそが美しい誤解をしちゃった、というわけである。

 大震災のあとは、余震や放射能漏れのせいで「心臓がドキドキする」回数もさぞかし多かったことと思う。そんなとき、そばにいてくれる誰かがひときわ魅力的に見えたとしたら、それはまさに「吊り橋効果」。ただの友達だと思ってたけど、「大丈夫?」というLINEひとつもらっただけで、「特別な人」に格上げとなる。めでたく、震災婚♡
 それに比べて、このたびのコロナは、その惨禍が目に見えにくい分、「吊り橋効果」の発生機会も少ないのではないか。必死に感染者のケアをしてくださっている医療従事者の姿には胸を打たれても、その光景にドキドキするかというと、ちょっと想定しづらい。

 むしろ、りりしい白衣の医師たちに比べ、隣でTVを見ている伴侶の、着た切りスズメのだらっとしたスウェット姿…△×✖✖。  

                           ・・・(下)につづく。。。