コロナウィルスのせいで地球全体が翻弄されている。日本でもついに緊急事態宣言が秒読みらしく、マスコミやSNS上であれやこれやの情報が舞いまくる様子は、千鳥ヶ淵の桜吹雪もかくやと思われる今日この頃。中でも、政府のマスク2枚はナンセンスだとか、カザフスタンで中華レストラン焼き討ちの偽動画とか、海外在住日本人は中国人に間違われないよう気をつけろとか、不穏な話が後を絶たない。

 人間は、何事にも「原因」を見つけたがる。私たちが生きていく中で、一寸先は闇。コロナ感染だって明日は我が身。確かなことは「確かなことは何ひとつない」という事実だけという、絶対的な不確実性が、この世の定めである。こんなおっそろしい現世で何とか精神の平静を保ちながら生きていくには、「物事には原因がある」という合理的・論理的な因果関係を、コトあるごとに突き止める能力が、最大の武器である。かくして、人間は「原因帰属」というスキルを編み出した、というのが心理学の定説、その名も「帰属理論」という。

 帰属の仕方には、大きく分けて2種類ある。なんでもかんでも「自分」のせいにしちゃう、「内的帰属」と、周りの人や環境など自分以外のもののせいにする「外的帰属」である。どちらの傾向が強いかは人による。いますよね、なんでも自分でおっかぶっちゃう責任感の強い人、自分のせいじゃないってあっけらかんと楽観的な人(笑)。
 と同時に、同一人物でも、事と次第によっては、内的帰属をしたり外的帰属をしたりもする。例えば、自分の成功は内的帰属(ワタシの努力の賜物)、他人の成功は外的帰属(たまたま運がよかったんじゃない?)という使い分けの達人、もしくは逆パターンの謙虚な人もいる。典型的なパターンとして、「他人の行動については、外的要因のせい(=外的帰属)でなく、その人の性格やモノの考え方のせいにする(=内的帰属)」傾向があり、「基本的な帰属の誤り」と呼ばれている。

 今般の情勢に関しては、私たち一人ひとりに「内的帰属」の余地はない。明らか「外的帰属」、コロナウィルスという外的要因が諸悪の根源である。あいつのせいで、人は病気になり、健康な人も外出自粛せざるをえず、レストランでは閑古鳥が鳴き、非正規雇用者は失業の危機に瀕しているのだ。あいつの傍若無人な行動が、みんなを不幸にしているのだ。
 じゃ、ウィルスはなんであんな行動をとるのか。これだけたくさんの人たちを翻弄して、何が楽しいのか。「基本的な帰属の誤り」に則ると、「ウィルスの性格が悪いからだ」ということになる。しかし、石鹸で洗ったくらいで細胞膜が破れちゃうくらいの、生物とも呼べないようなふにゃふにゃな(目にも見えない)物体に、性格もへったくれもあったもんじゃない。そもそも、この世の絶対的不確実性に対する不安を和らげるために原因帰属してるのに、それがアレじゃあ、不安はいや増す一方ではないか。
 一体ゼンタイ、誰が悪いんだぁ~っ、とばかりに「原因の原因」探しが始まると、話がややこしくなる。人間は、もっとわかりやすい、目に見えるモノに原因帰属させたくなっちゃうのである。
 どっかの国の誰かがわざとウィルスまき散らしたとか、どっかの政治家はこの苦境に乗じて人気集めをしようとしてるとか、マスク2枚なんていう政策を考えた官僚が阿呆なのが悪いとか。帰属の矛先を変える、というにはあまりに八つ当たり的ではないか。
 もちろん、この状況下、誰がどのような責任と権限に基づいてどのような対策を打つべきかを議論することは重要である。しかし、この惨禍そのもの、それによって引き起こされる自分たちの「不安」の帰属について言えば、答えはただ一つ、「ウィルスが悪い」のである。

 帰属先がウィルスである以上、私たちがやるべきことは、シンプルだ。
 にっくきウィルスを殺すこと=手を洗うこと
 きゃつらが増幅しないよう、3密回避も忘れずに。以上。