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 同窓会と、ベル教授と、リスクテイク。一体どこが心理学?
 はい、ここからが本番です。
 平たく言えば、同窓会に出てはいけない理由は、私たちはどうしても他人と自分を比べてしまうから。そして、そうした比較行為が自分にマイナスに作用することが少なくないから。

 人間は、他者との共存なしには生きられない社会的動物である。自分自身について考えるという、一見極めて個人的な作業でさえ、知らず知らずのうちに「他人の目に映る自分」について考える、というふうに、他者の影響は禁じ得ない。他人と自分を比べる、という行動はほとんど本能である。
 従って、こうした自他の比較行動に関する理論は山ほどある。その中で、個人的に面白いと思ったもののひとつが、「自己評価維持(Self-Evaluation Maintenance、SEM)モデル」。

 私たちは、知り合いが希望の職にヘッドハントされたり、非の打ちどころのない(ように見える?)相手とケッコンしたり、それこそHBS卒業生みたいに「出世」したりしたとき、心から祝福できることもあれば、ぶっちゃけ「あの野郎、やりやがって」的な嫉妬や暗い羨望を抱くこともある。
 このような、ポジティブ・ネガティブ両方の感情が起こる背景には、3つの要因が関係している。
 (A)相手とどれだけ親しいか=心理的距離
 (B)相手が達成した事柄に対する、自分の興味関心関与の度合い=自己関与度
 (C)その事柄についての、相手と自分の達成レベル=遂行結果
  
 仮にあなたがHBS卒業生で、留学後は安定した大企業でそこそこうまくやっているとしよう。ある日、日経新聞の記事で、超ハードな2年間、苦楽を共にした同級生が立ち上げたITベンチャーが華々しく上場した、というニュースを目にする。そのとき、
 ・実は、自分もITビジネスに興味がある、つまり(B)自己関与度が高く、
 ・でも起業はおろか、転職活動にさえ踏み切れていない、つまり(C)自分の遂行結果が相手に劣る場合、
 相手と自分を引き比べてしまい、「自己評価」が下がる。これを「比較過程」という。このとき、当然どす黒い、もやもやした、いやぁ~な気持ちになる。
 一方、別に自分はITビジネスにも企業にも全然興味がない、つまり②の自己関与度が低い場合は、相手の成功を自分と結びつけて(自分に反映させて)とらえ、「自己評価」が上がる。これを「反映過程」という。このときは、まさに我が事のように喜び、幸せのお裾分けを存分に戴いてハッピーな気持ちになる。

 基本的に私たちは、自分ってけっこうイケてる、と思っていたい、つまり「自己評価を維持したい」と動機づけられている。従って「比較過程」が起動すると、その不快感を解消するために、(A)か(B)を修正する。
 (A)相手との心理的距離を離す=「最近、あいつとは音信不通だったし、同級だったのはたった2年。もうアカの他人さ」
 (B)自己関与度を低める=「あの手のITビジネスは、自分が本当にやりたい領域とはちがうんだよね。別に興味ないし」
 こう割り切れれば、反映過程に移行することができる。「あの記事に出てた〇〇って、HBSの授業でノート貸し借りした仲なんだよね。いやー、感慨深いわぁ」
 人はみんな、こうやってどうにかこうにか自己評価を維持しようと頑張っているのである。

 ベル教授の「同窓会に行かない」作戦は、自己評価維持のため、比較過程を生起させそうな情報自体をシャットアウトする、という防御的強硬策のようにも見える。
 でも、ベル教授は、そういう後ろ向きな対応をせよ、と言っているわけではなかろう。HBSのエリートでさえ「比較過程」に引きずられる弱さがあることを見抜いた上で、同窓会に行かないことで不必要な雑音を最小化し、SEMモデルの(C)でいう「自分の遂行結果」の最大化に注力せよ、と叱咤激励しているのである。