ミキのつれづれ思うまま♪ -37ページ目

ミキのつれづれ思うまま♪

日々出会い流れてゆくよしなしごとを... メッタ切りするかも^^;;

差別発言と響いたらごめんなさい。個人的な嗜好として、太っている人は苦手である。



というか、「自分がそうなりたくない・そういう状況にハマらないように気をつけている対象」だから、「避けたい」と言うべきか。




けっこうドカ喰いやだらだら喰いしてますけれど、様子を見ながらやっている。

食べるものを選んだり、自分に効く「太り止め」(ダイエットピル)でカバーしながら。



私の友人に太っている人はいない。だけど、例外が二人ばかりいる。


ひとりは同い年、とても性格がよく気持ちがいいK。前向きだし、デキる人なので、一緒にいると元気が出るし、学ぶところも多い。ある種「ソンケー」している。

もうひとりは、彼女は友達ではない。それどころか、彼女が私を認識しているかどうかもわからない。

なぜなら彼女は「通勤の女神」だからだ。




私には、通勤するのに乗る電車のチョイスが二本ある。

早いほうは7時代半ば、遅いほうはそれから11分後。

早いのに乗ると、始業の20分前には着ける。遅いのだと、ほぼギリギリだ。



この、早い電車の、同じ車両に毎日必ず乗るのが彼女だ。


彼女は、失礼ながら、まったく冴えないいでたちだ。顔立ちや全体の印象はどちらかというと、たぶん、お相撲さんの妹という感じ。

まっすぐな長い髪を後ろでひとつに束ね、口紅もない。

いつもズドンとズボンを穿いて(スラックス?)、同じようなニットを着ている。

そしてヘッドフォンをして何かを聴いている。




お友達じゃないな~~~ ^^;;; (いや、中身はわかりませんけど)




でも、私にとって、彼女は通勤の女神!


なぜなら、いつもわせわせと急ぎ原チャリをぶっとばし、そのあと駆け下りる階段のどこかで彼女に会えたら、それは「先の電車に間に合う!」というサインだからなのでしたw


知らないところでこんなふうに書かれている私の「通勤の女神」さん、ゴメンナサイ。。。^^;;;















ちょっと生々しいですから、お食事中の方は気をつけてお読みください。


昨日、早めの夕飯を食べて近所のレストランからの帰途、路上にツバメの死骸を見つけた。

交通量のある街道で、「なんだろう?」、よく見るとツバメとわかったが、ぐしゃりと潰されていた。


私も鳥飼いの身。一度交通の流れにまかせて通り過ぎたけど、やっぱり放置するのがしのびなくて戻ってきた。




さて、どうするか。


まだ明るくて(6時ごろ)、車もぼつぼつと切れる時がある。後から来た車がまた轢きませんようにと見守っていると、ツバメはちょうど車道片側の真ん中に落ちているので、まっすぐ走る車ならタイヤ両輪の中に入ってしまうとわかり、ひとまず安心。

車道の真ん中に落ちているなんて、きっとレストランの駐車場から直角に出てきた車とぶつかったのかな。ツバメは空を切るように飛ぶから、ぶつかったら一瞬のことだろうな。低空飛行していたのかな。



なぜかは知らんが、最近、死んだ鳥を引き取ることが多い。というか、二回目だ。
4月初めのまだ肌寒い朝、駅のホームに鳩のヒナが落ちて死んでいた。

黄色いものが目の端に入ったので、なんだろう?と覗き込んだら、まだ毛の生えていないヒナが、落ちた衝撃でお腹が割れて腸が出てしまっていた。とっさにティッシュを何枚か重ねて拭うように拾い上げた。まだ落ちて間もなかったようで、冷たくなっていたけど死骸はきれいだった。こういうの、人目にさらし続けるのも嫌なので、早めに見つかってよかったと思った。その朝、私はいつもとは違う車両に乗っていて、たまたまそこを通ったのだった。私の会社は広大な敷地で自然の斜面などもあるので、持って行って大きな木の根元の洞のところに埋めた。先日見に行ったら、そこはもう小枝が繁っていて、死んだ鳩のヒナが埋まっているなんてうそのようににぎやかだった。


そんなわけで、なぜか二回目。

自分の手元に何があるかを考える。

今回、ティッシュではちょっと無理そうだ。大きめのタオルを持っている。それから、さっき買い物をしたビニール袋がある。

よし、と見計らって車道に出た。

あまり見たくないが、見なければ拾えない。

幸いにしてこれもまだあまり時間が経っていないようで、ぐしゃりと潰れていてもメチャメチャになってはいなかった。だけど、頭から胴体はぺしゃんこで、かろうじて尾羽が残っていた。大判のタオルで巻き取るようにくるんでいったけど、足りなくなりそうで焦った。地面に残った血のあともできるだけ拭ってバイクに戻った。袋に入れようとすると、尾羽の端と、飛び出てしまった目玉が落ちそうになってあわてた。どうしよう、これ、埋められるだろうか? でも、こないだの鳩みたいに形を留めてはいない。このタオルをまた開く勇気はないし、かといってタオルごと埋めたのでは土に戻るのに時間がかかりすぎる しかも燃えるゴミは今日だったから、次の収集まであと三日は待てないな。



結局、くるんだタオルをビニール袋に入れてきっちり口を閉じ、紙袋に入れて封をし、それをまた小さな手提げの紙袋に入れて、そしてさらにビニール袋でカバーしてから、(申し訳ないけど)職場のすぐ屋外にあるダンプスターに入れた。職場なら毎日収集がある。ゴミとして出すのは気が引けるけれど、これしか方法が浮かばない。たとえばあのまま路上に放置されたらもっと悲惨だった。少なくとも気持ちでは弔った。



三階に住む私のキッチンからは電線がちょうど目の高さで、そこで求愛してさえずっているツバメのカップルたちをよく見ていた。駅の構内や店の軒先などでもうヒナたちが孵っている。死んでしまったツバメはオスだったのか、メスなのか。相手は探しているだろうな。急にいなくなってびっくりしているだろうな。それとも死んでしまったのを見届けたかしら。抱卵中なら卵は死んでしまう。子育て中だったら、残った一羽がちゃんとみんなに餌をやれるだろうか。過労死しそうだな なんて、愚にもつかないことを考えていた。



こんな事件に遭遇した後でうちの鳥ちゃんたちと遊ぶと、普段とは違うリアリティがある。

うちの二羽の鳥ちゃんも、電車で同じ車両に乗っていた人たちも、生きてるものはみんな必ず死ぬ。生きている数だけ死がある。それを引き取って弔ってくれる誰かが必ずいる(いない場合はちょっと困る)。野生生物の場合は、路傍でつきるのも仕方ないことだけれど。

毎日たくさん死んでいくけど、同じ個性は二度と生まれてこない。だから、自分も、自分と関係する人々にも、ちゃんと心の底からの交流を持って接したいよね。

改めて、いろいろあっても淡々と過ぎていく日々を感謝する私なのでした。

昨日、母がこんな話をしていました。


ミキのつれづれ思うまま♪



「近所の農家の人から梅を分けてもらったら、これが、すごいでこぼこなの。それで、「すごいアバタですね」と言ったら、これは自家用に作ったものだから、農薬をかけていないと言うの。

それで、ハタと気がついたわ。普通にスーパーで売ってる梅、あれはあんなにこんもり滑らかにきれいだけど、梅の実にも農薬がかかっているものなんだ、って!」


そう言われてみれば確かにそうだと思い、私もハッとしました。

木もの・実ものも消毒するんですね!!!

インコを飼うようになってネットや飼育書でいろいろ見ていたら、「青菜は農薬が心配だからよく洗って(人によっては一晩水に浸して!)」使う、とありました。

一晩つけ置き! ビタミンも全部流れそうな気がしてしまいますが ^^;;


確かに、ロロ(@オカメインコ)と私の体重比は1対682、ルディ(@セキセイインコ)に至っては、11758です。私にとってはなんでもないような農薬でも、1758分の1でしかないルディには命取りかもしれません。 これは、賭け、ですね。

こんなふうに考えたら急に心配になって、たくさん発芽されるのが大の苦手というのに、ベランダで、春菊と小松菜の種を播いてしまいました。自分で育てれば一番安心ですものね。ま、袋に入った種はたくさんありますから、鉢に播いてそこそこ大きくなってきたらバンバン収穫して食べさせて、何期作も作ってみようと思います。


みなさん「無農薬」のオーガニック野菜なんかお好きなようですが、その響きのカッコよさだけに魅かれて、それがどういうことか本当にわかっている人は少ないと思います。


たとえば、無農薬のキャベツなんて、青虫に食べられまくってスジスジですよ。


無農薬の野菜を調理するということは、包丁で切った断面で青虫も胴体がチョン切れていたり、大きな緑色のウンコがボロボロこぼれたりするのを気にしないことです。ブロッコリーの茎にも小さな尺取虫みたいのがはりついているし、葉物にはナメクジの小さいのがいることもあります。こういうのをよぉ~~~~く点検しながら、葉っぱがよれて色が変わってしまうほど丁寧に洗わなくてはなりません。そうしないと、知らないうちに、虫さんまで自分の身体のタンパク源になってしまいますからね♪



私はそういうのが苦手です。葉をめくるたびにドキドキするのが嫌です。

だから、「無農薬」なんて言いません。そりゃ、最小限の使用であることが望ましいですが、農家の方は労力を無駄にしないための、消費者としては品質を保証してもらうための「必要悪」だと思っています。


そしてもうひとつ考えなきゃならないことは、「価格」です。

誰だって(普通は)、スーパーで安くなってるレタスを買いたいですよね。たとえば「本日の特価! 高原朝採りレタス、一玉99円!」とか。

やったー!ラッキー! と、スナオにうれしい。

だけど、これには、生産者の23ヶ月の苦労がかかっているはずです。種から植物を育てて、食べられるまで大きくなるまで、水遣り、施肥、防虫、毎日毎日世話してくれた人の存在と労働がある。

それが、流通コストや最後に売るスーパーの儲けまで含めて、「99円」。

生産者に支払われた代金は、一体いかほどでしょう?


で、こういう価格だと、とうぜん「薄利多売」となって、ある種「低品質」になってしまうかも知れないものを、ドカンといっぺんに出さなければならない。ということは、やはり大量に大がかりに育てなければならないわけで、そうするといちいち手間をかけてられないので、農薬だって殺虫剤だってたくさん使うことになると思うのです。


手塩にかけたオーガニックのレタスが、一玉300円もするのとは逆だっていうことです。

われわれ消費者は、単なるカッコよさや流行りから「オーガニック、無農薬!」と言うのではなく、そういう生産者を支えるとは一体どういうことなのか、考えてみる必要があります。



つまり、激安と高品質を同時に求めるには不可能だということです。

高品質のものにはそれなりの対価を払わねばならないということです。


 な~んていうアタリマエもことを、いまさら認識させられる小さな一件でした
(^O^)