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ミキのつれづれ思うまま♪

日々出会い流れてゆくよしなしごとを... メッタ切りするかも^^;;

ここんとこ、心の折れる事件やら日々の出来事などが続きまして、ブログをアップする気にもなれませんでした。


今日もずっと胃やら腸やらが痛かったのですが、さっきキャベジンをのんでしばらく横になっていたら、少々回復してまいりました。




事件について触れるのは止めておきます。

どこで誰が読んでいるかわからないからです。


本当はいろいろ推理してみたいところですが、カメラで逐一を収めた画像でもない限り、真相は闇の中です。本当にナゾが多く、気持ちの悪い一件でした。




会社に行けば行ったで、いまうちの職場はちょっと大変なことになっています。

上司がワンマンかつヒステリックで猛威を振るっているだけでも十分気が重いのに、熟練の人の移動が決まって、さらに心細くなりました。


今日、私は問題の部長とサシでミーティングをしました。

これまた気の重い(遠大な)事後承認もののおっつけ仕事なのですが、めんどくさいものを全部分析し終えて、あとは部長の決定・指示待ちです。

ここでお蔵入りさせるわけには参りません。

放っておいたら元の木阿弥です。そして、あとになってまたぐちゃぐちゃ言われて責任転嫁されるのが目に見えています。

どうやって部長を納得させつつ良い向きの返事がもらえるかと考えた末、大部分の下書きを私がすることで打開策としました。

とりあえず先に進めそうでホッとしています。




一回りくらい年上の先輩からは、「リタイア」なんて単語が聞こえてきたりして。

うわ~、もう、すぐそこまで来ているんだ。


私まだあと20年近くあるけど、リタイアなんかしたらどうしよう?

その頃には、いま仲良くしてくれているかわいい鳥ちゃんたちも、お亡くなりになっているだろうなぁ。

私、一人でこのまま年をとって、一日中家にいるようになったら、本当に退屈しそうだなぁ。

それより何より、人生はもう終盤に近づいているってことが、ホッとするでもあり少しさみしかったり。




あとは気になる人から肩透かしを食ったようなメールが届いたり。

がっくり。




泣きたくなるような、というか、生きていても退屈で死にそうだと思うような毎日でしたよ。

たとえば上司が嫌だからって死んでも牛の糞みたいですから、そういう馬鹿なことはしませんがね。

でも心底気が重かったです。




よかったことは、最近は涼しかったこと(笑)

ちょっと一息つけました。


ベランダのゴーヤのツルが、しっかりしっかりとネットを捕まえて力強くよじ登ってきて、オッ!?という感じです^^ ユーカリの苗木も繁ってきました。


そして、日曜のバレエはよかったですけれどね。

江東区有明の近くのスタジオで、こんな遠くまで行くのがまず「カンベンしておくれ」で、気の進まないこと甚だしかったのですが、行ってみれば素敵なスタジオでして(隣が火事跡の廃墟でしたけど)、ドアの外は吹き抜けの外階段。スタジオは外からいきなり4階なので、いかにも埋立地っぽい人工的で開放された空間に放り出されたみたいで、風に吹かれて大層よい気分でした。



宇多田ひかるの休業について、面白い記事を読みました。


関係者は、「休業は体調面などが理由ではない」とも否定している。

 音楽評論家のXX氏はズバリ、「ネタ枯れでしょう」と指摘。こう続ける。

 「デビューして12年間、第一線で頑張って曲を出すたびに売れた。でも、シンガー・ソングライターは一般にアルバム3枚でネタが尽きる、といわれる。自分の青春時代を根掘り葉掘り書いても、3枚分にしかならない。さらに友達や親、周りのことで1枚、2~3年の充電期間で1枚…。尾崎豊がそうだった。彼女の場合、15歳でデビューしているから、青春時代がなかったと言ってもいい」

 宇多田自身、ブログの中で15歳から「成長が止まっている部分が私の中にあります」と吐露している。





 なんだか納得してしまいました。




以前、某有名シンガーソングライターが、人の恋愛話を「根掘り葉掘り」聞くんだよ、というのをちょろっと聞いたことがあります。



そりゃ、そんなにたくさん不倫の恋の経験があるわけでもなかろうし、結婚・育児で充実していれば、そんなにいつまでも、独身の頃みたいにせつない「恋」の気分を維持できないんじゃないかと、いつも不思議だったのです。




大御所でも、コンスタントなヒットメーカーでも、人間ですもの。

やっぱり「ネタ枯れ」はありますよね。

こういう人間臭い面が垣間見えるとホッとします。



このことに触れて思うのは、やはり、「デビューはあまり早くない方がいい」ということです。

私が言うのは歌手ばかりでなく、一般ピープルでも、あまり若いうちから人に「私ってこうなの」と、さらけ出す方に回るのでなく、自分自身が様々なものを見聞きし、感じて体験する、充電の時期が必要だと思うのです。




「溜め」が少ないと、いざ勝負となったときに玉が早く尽きてしまいますからね。

記憶や話題の抽斗は多いほうが楽しいです(笑)

どうも、辛口 というか、ピクニック♪るんるん♪ とはいかないブログが続きますが。

しかも読み応えたっぷりの長文^^;

おつき合いくださる皆さまには感謝です。


だってなんだか、世の中(のニュース)が、考えさせられることばかりなんだもの。

いま私にとって「楽しい明るい話題」は、鳥ちゃんたち(と、一部バレエ)のことしかありません(笑)




110歳を超える長寿者がみんな行方不明だって、問題になっていますね。

これで驚くのは、80歳近い長女や70歳を越えた次男とか、その辺りの家族みんなが、「もう40年も(30年も、20年も、)母や兄弟とは連絡を取っていないので、どうなっていうかわからない」ということ。



けっこう薄いのね。(縁が、関心が。)



10~20代の若い方では虐待が問題になり、片や高齢者のほうでもつながりが薄かったりして。


70歳の人が30~40年連絡を取っていない、と言ったら、それは彼が30代半ばほどからはもう家族と切れていたってことになるわけで。

別にこの家族だけを見て嘆くことはないけれど、改めて「家族ってなんだろう?」と思います。


高齢者の所在を確認できないという事例があちこちでボロボロ出てきて、どっかの行政担当者が「社会の「人と人とのつながりが薄れてきてこういうことに」と言っていたけれど、それは違うと思う。


「長寿だ」と、名簿の上のほうからお祝い品を贈呈したり、100歳を超えてもきちんとした確認もせずにそのまま年金を支給し続けるのは、それは「地縁・人の縁」とは関係がない。誰の責任か?と言えば、もちろんきちんと「変化」を申請しない家族が悪い、そして、そんなことまで手が回らないと言われても、やはり「行政の怠慢」としか言えないと思う。だって、記念品やお金を「出す」という判断やアクションをしているのは、ほかならぬ行政であり、近所の人たちじゃないんだからね。




注目が集まりやすく(たぶん?)狭き門でもある生活保護や、「これからもらい始める」年金者などは精査されていても、ずっともらっちゃってるほうはもうフリーパスなわけで。

ずさんだよな~~~~~~~~。




今は同居する家族の経済事情も厳しくなってきているし、親の年金を当て込んで生きているニートの例も身近にあったことから、年金受給者にもしものことがあっても、隠し続ける人はこれから増えるだろう。実際、白骨化した親の遺体と暮らしていたってのも、最近いくつかニュースになってますね。




年がいったらいったで、若い方は若い方で、どちらも大変ですね。

(→ とりあえずまだお気楽なアラフォー ^^;;)



子供はかわいそうだったな。

引き続き、二児がワンルームマンションに閉じ込められたまま殺された事件について考えている。


どんなに悲惨な状況で見つかっても、死ぬのは一度きりだ。死んでしまえばもう「亡くなっている」ので、毎日毎日死の苦しみを味わうわけではない。



だけど二人いたから、きっと同時には死ねなかったはずで。


1.7歳の男の子が先に息を引き取ったのか、それとも3歳のお姉ちゃんか。

どちらにしろ、置いていかれたほうの絶望度合を思うとき、心の底からかわいそうだと思う。




「ママー!」と叫び続けたそうだが、その「ママ」こそが彼らをそこに追いやった。

ペットだって、ちょっと手荒な真似をした後は(虐待ではなく、単に嫌がること、押さえ込んで爪を切るとか)、しばらく警戒して近寄ってこない。あああ~、嫌われちゃったなぁ、それでもしなきゃいけないことはあるからなーと、ちょっと傷つく。



この子供たちは、ひどいことをしているのが紛れもないその「ママ」なのに、それでも彼女に頼らざるを得なかった。


本当に不憫だ。

やっぱり、「遊びだしたら子育てが面倒になった」と言っているようですね。

単に「早すぎた」ということだったのかもしれません。



私がいろいろ考える「ソース」はほぼすべてネットから来るのですが、こんな記事を読みました。



草食男子に振り回される若い女性たち。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100809-00000001-aera-soci




「草食男子」なんて単なる話題でしかないアラフォーの我らはいいのですが、実際その年頃の男子の相手になる女の子たちが困っている。まったく手を出してこないから、自然な「性の流れ」を体験できない、というもの。



草食でなければ「AVかぶれ」で、いきなり変な要求をされる。

ドン引きですよね。


どちらも、生身の「女の子」を見ていない。

もっと言えば、生身の女の子の「気持ち」をね。


男が草食化する一方で「肉食」と呼ばれる女子。

これは、どっちもどっちで、要するに物事のサイクルがうまく回っていないってことなんでしょうね。


あまりに大人しく何のアクションもないから、焦れて自分から行動を起こした結果が「肉食」なんて呼ばれてしまうのでしょう。


こんな状況では、黙っていても少子化は進むね。

世の中の大きな流れに淘汰されていくということでしょうか。

(とも限らないか。技術と気持ちが稚拙だから望まない妊娠をして、さらに虐待が増えるかな?)




昔の歌詞にありました。


「男は男の服を着て 女は女の物干しで~♪」 by スローな愛がいいわ・岩崎宏美)



男が男らしくいてくれなければ、女は女でいられない。

つまり、ある種の強引さと決断・実行力がなければ、女はそれを支えて「おとなしく」もなれないのです。

グズグズのったりした男が増えれば、しっかり者の女も増えるのは当然です。


ああ、今の若い世代に生まれていなくて本当によかったよ(笑)

































持て余しているんだと思う。 今どきたいていの人は、時間も、気持ちも、身体も。


通信の発達によって、既婚だろうが、会議中だろうが、出張中でもトイレの中でも、いつでもどこでも「個人に」ダイレクトに連絡が取れるようになってしまった。

昔は家にひとつの固定電話しかなかったから、家庭持ちの男性に連絡するのはドキドキしたものだ(特別な感情がなくても)。


そのへん、今はあまりに簡単かつ即物的(インスタント)に手が届くので、ウソっぽかったり薄っぺらかったりもするけど。




たとえば大勢亡くなっている列車事故直後で、まだ救助も本格化しないような惨状で、あちこちのケータイが「本人死亡」を知らぬままに鳴り響いている様とか。

それは事故の第一報に触れた家族や友人が、安否を気遣ってかけている電話なのだけど、亡くなっていたら、いくら肌身離さず身につけていたケータイでも意味ないよな。

SFチックにホラーな感じ、あるいはちょっとサイコっぽいかも で、ゾッとするが、実話である。



ドイツだかイギリスだかの高速特急が事故を起こして数十~百以上?の死傷者が出たときに、そういう現場だったとネットで読んだ。 ぞくぞくする「心理的な」怖さだ。


(同時に、大震災などの災害の後で、皆が車で逃げようとして渋滞になる、というような「ありがちな考え、でもマチガイ」と近い気がする。ありがちなのはわかるけど、すんなり納得できない。どこか安易でマンガ的なのよね。)




死んでいる人でも電話に出てくれちゃうような気がしちゃうよね。

あるいはメールの返信が来そうな気が。


私は昔、「突然電話がかかってくる」のが嫌いだった。

こっちの都合などお構いなしで、自分がやっていることを断ち切られる強引さに頭に来てた。

そんなの、今となっては言ってもわかってもらえないかも

だって今は、もっと進んだ「その先」にいるのだから。




うろ覚えで思い出すのは、電子と陽子。 あれ?中性子かな?

何かのはずみで遊離して、電子がうようよとうごめき始める。(すみません、私、理科の知識からっきしなんです。全く変なことを言っていても目をつぶってください)

用もないのにうようよと漂っている。

今の人間なんてみんなそんな感じ。




不倫という言葉は、私がハタチそこそこの頃から知っていた。

新しい言葉だったのか? それとも昔からあったけれど、その頃から一般的に広がりを見せた言葉だったのか?

私あまりドラマ見てなかったからよく知らないけど、「金曜日の妻たちへ」とか、なんかいろいろ、ちょっとよろめきハイソ系、ヒマでバブリーな時代を象徴する「不道徳・退廃・刺激」みたいなものがもてはやされ始めたのかもしれない。




「好きな人には奥さんも家庭もあって」。 よくある話だ。

片方(たいてい女)が独身だと、男の甘いウソに騙され続けて、辛抱強く待ったあとは修羅場になるか。

殺人事件になるか(面倒になった男が女を殺すパターン)。


両方にそれぞれ家庭がある場合は(いわゆるダブル不倫ね)、なんかちょっと都合いいなあと感じてしまう。

男のほうは、自分の家庭を壊す気なんかない(男とはそういうものだと思う)。

ちょっとマンネリ化しているところに刺激がほしいのだと思う。

片や女のほうは、結構ハマりこんで本気で泣いてたりすると、私はちょっと冷めた目で見ちゃうな。

だって、それぞれが「家庭持ちである」上での対等なルール。

私には、それぞれの家庭を「うまく回すための必要悪」としてしか捉えられない。




ひとつだけ言える事は、片方が未婚であろうが、ダブル不倫であろうが、それが「不倫」だとわかってやっている以上、他人の目には、正直、「薄汚く」映ることだ。 本人たちにどんな「正義」(そんなものがあればね)があったとしても、だ。




自分が子供だったら、母親に性的な匂いを感じるのは最悪だ。

それが「お父さん」相手でもちょっと嫌なのに、他所の男だったら口も聞きたくなくなるだろう。

母親には、「女」ではなく「母親」であってほしいから。


ある意味その感じは正しいのだろう。だってもし母が「女」に戻りどこかの男に夢中になったら、子供である自分は捨てられちゃうかもしれないんだから。



本当によくある話で。

うれしいのも楽しいのも、甘いのも酸っぱい苦しみも、本人たちの間でだけ。

これほど、個人にとっては重大なもので、聞いた途端、「あなたもか」と他人にガッカリされるものもない気がする。




それが珍しかった時代には、「勇気がある! 自由に生きなきゃね!」と讃えられたのかも知れないけど、これだけ世の中にありふれた現象として蔓延すると、もう、「言わぬが華」ですね。




「不倫は文化だ」という言葉には、その「ヒマで、持て余している」感じがあふれている。

男も女も、既婚未婚に関わらず「もっといい出会いを」とアセッているみたい。「<今>が一番若い。このまま朽ち果てていくのは嫌。自分が「生きてる!」ってもっと感じさせてくれる人と、限りある時間を有効活用しなきゃソン!」




世相ですね。

今の日本で、世界で、結婚や育児に、本当のところ意味などあるのだろうか?


夢見て結婚して描いた家庭生活には不倫が入り込み、その親に育てられた子供たちもいずれ同じことに悩むのだろう。 そしてまた再生産してゆく。




... ま、あまり見苦しくならない程度に、ゆっくりいきましょうね。