まっちゃん、先日はバタバタしたけど、お電話をどうもありがとう。
最近またいろいろ思うところがあって、そういうシビアな話ができる人ってまっちゃんしか思い浮かばないんだよね。
私の周りにも話を聞いてくれるいい友達は何人もいるけど、あまり「老後」とか「死ぬこと」とか、そういうシビアさはまともに語り合えない感じ。
昨日、NHKの「老後破産」っていう番組を見た。(だいたい憶えていることを書くけど、ディテールは間違えているかも。)
64歳でリウマチで、杖ついて、自力では冷蔵庫までの往復がやっとの女性。ダンナも一人息子も亡くなった。息子をあてにして「なんとかなるでしょ」と思ってきたから、老後なんて考えたこともなかったって。
今は、こぎれいなワンルームに、介護保険でお願いしたヘルパーに数時間助けてもらって食事の作り置きとかしてもらってるけど、介護保険や年金で足りない毎月3万円の赤字は自分の預金から出していて、その預金も残りは40万円弱。
部屋からは自分では出られなくて、介護をお願いすれば車椅子を押して出してもらえるけど、その余裕もなく、部屋から見える景色がすべて。自分を鼓舞して、外の景色や樹木なんかに話しかける。登下校の小学生を見て喜ぶ。それが毎日の日課。
預金が尽きたらどうするんだろう... という不安を抱えている。
85歳の独身の男性。10万弱の年金から6万のアパート代を払って、電気はすでに止まっているけど光熱費を払うと、食費はわずか。病院にも行けない。貯金はない。
もっと安いアパートに越したいけど、引越しのお金がない。家はまるでゴミ箱の中のよう。最近は冷麦しか食べていない。それも、量を節約して。
23年間会社勤めをして、独立。 一生懸命働いたけど、その後の商売がうまく行かなかった。
暑い日中は、区(港区)の公的施設に涼みに行って、夜までそこに座ったり寝たりしている。
84歳の農村の一人暮らしの女性。夫は病気で先立って、その治療のために預金を使い果たした。
専業農家だったから国民年金で、月2万4千円しかない。持ち家と田んぼがあるから、生活保護は受けられない。
田んぼは先祖代々のもので手放せないけど、もう自分ではできないので、親戚に頼んでいる。
自分は、そこらへんに生えている草を刈って食べたり、小さな魚を捕まえて煮たりしている。
町を出て嫁に行った娘はいるけど、あちらも大変だろうと思うと頼れない。
こういうの、見るとさ、他人事じゃないよね。
私が彼らと違うのは、もう自分が一人だってわかってるから、初めから誰かをあてにしていないこと、だから、それなりに覚悟とか、できるだけの預金も確保はしている(たいした金額じゃないけど、私はほぼ全部FPを頼んで投資しているけどね)。
あと、「なんとかなるだろう」とは思っていない。そして、もし退職して定期収入が不安定になったら、いつまでも「高い」と思われる借家にはいないで、さっさと引っ越すであろうこと。
だけどもちろん、なけなしの資産は状況によっては減らすかもしれないし、そもそも充分には用意できないだろうし、お金なんて物価とか災害とかいろんなことで確実に大丈夫ってことはありえないわけで、年金だって、もらえないことはないだろうけど、それで暮らせるほどには出ないだろうしね。そして、自分が病気になったり予定より長生きしたり呆けたり、そんなことって誰にもわからないじゃない。
だから、自分で対策できるものはできるだけ準備するけど、それで100%大丈夫だなんてことは絶対に、ないわけで。
結婚はしなかった(これからまだわからないじゃない、というのはナシね)、子供も、当然孫もいない(別に欲しくなかったからいいんだけど)。そうすると、私の人生を大きな一本で言い表すとすると「仕事」しかないことになる。
仕事は、以前のように楽しい・のどかな?ところがどんどんなくなって、細かくなったり意に染まないことでも責任を任されたり、正直言って明日にでも辞めたいって心砕かれることも多々あるけど、とりあえず、派遣切りに遭ったりするような不安定さはないし、知的な作業も多いし、今の時代としては、良い仕事に就けていると思う。
しかしこれだけ「孤立」して生きてると、長い間に(母や祖母や、たぶんその前の)人々が求めてきたことだとは言え(家長制度や社会的・近所づきあいの煩わしさからの開放)、弱いよね。 一人で立ってるってことは...。
一人で立ってると、「立ってなきゃいけない理由」ってのもそもそも希薄だし、踏ん張りが利かない。 とんでもない病気になったりお金がなくなったら、「なんの楽しみもなく、こんなにしてまで生きている理由がない」と、当然思うだろう。
実際社会的にはお荷物でしかないだろうし...、そこで昔みたいに家族がいれば、「何のいいこともないお荷物でしかないけど、孫がおばあちゃん頑張ってねって言っているから」とかなんとか、最後の尊厳や面目みたいなものはかろうじてあるけれど、それがない。
ってことは、本当にただのお荷物でしかない。 金がなくて汚くて手間がかかるとなれば、厄介者この上ない。早く死ねと思われるだろうけど、なかなか、自死なんて出来ないだろうしね。
うむ。 帰り支度のことばかり考えているな。
まとめすぎだろうか。
でも、まっちゃんならわかってくれるよね、私が言いたいこと、なんとなく。
今って、ほんと、昔より大変。 なんていうか、「人間らしさ」とか「ふれあい」「不完全さ」「温かさ」の余地がどんどんなくなって、機械化・効率化・疎遠化していると思う。
効率化が進むとなんでも計算でピッと答えが出ちゃうから(そこに言い訳の余地もなく)、つまり、あるべき結果まで(ノルマのような)先に示されて、そこに合わせていかねばならなくなる。それを主導しているのは確かに一握りの人間であるはずなんだけど、引きずられていくその他大勢にとっては、非人間的な要求でしかない。
そうやって、社会に要求されるさまざまな物事に、なんとか頑張ってついていかなければ振り落とされて....。 どうなるんだか。
私なんて、週末休んでても、「月曜出勤するまであと何時間...」て、砂時計みたいにカウントしている自分がいて、それは、昔みたいにもっとおおらかに、「あ~あ~~、もう、週末終わっちゃったよ。明日から仕事だぁ~~!!」っていう感じとは違って、もっと、カウントダウン的に強迫的で、神経症的な感じなの。 寝ていても歯軋りして冷や汗かくみたいな。
そうなると、なんで生きてるんだろうな、って、思うよね。
こんな風になんとかかんとか毎日やっつけるみたいに暮らして、働けなくなったらお荷物で、なんで生きてるんだろうな、って。
旅をしたり、好きになった人がいたり、かわいい小鳥と毎日暮らせる幸せ、そんなささやかなもののために、生きてる。
というか、生きてるから、その時間をつぶすために(つぶす、で語弊があれば、生きてる時間を与えられているから、その間に)、そういうことをする。 何にもしないでのっぺらぼーに生きてるってわけにもいかないからね。
さんざんグダグダ書いてきて嫌になったというか、急速にまとめに入ったけど(笑)、こんな感じで、いいのかな。
それで、よしとするか(笑)
それしかないもんね...。