ミキのつれづれ思うまま♪ -16ページ目

ミキのつれづれ思うまま♪

日々出会い流れてゆくよしなしごとを... メッタ切りするかも^^;;

まっちゃん、先日はバタバタしたけど、お電話をどうもありがとう。

最近またいろいろ思うところがあって、そういうシビアな話ができる人ってまっちゃんしか思い浮かばないんだよね。

私の周りにも話を聞いてくれるいい友達は何人もいるけど、あまり「老後」とか「死ぬこと」とか、そういうシビアさはまともに語り合えない感じ。




昨日、NHKの「老後破産」っていう番組を見た。(だいたい憶えていることを書くけど、ディテールは間違えているかも。)




64歳でリウマチで、杖ついて、自力では冷蔵庫までの往復がやっとの女性。ダンナも一人息子も亡くなった。息子をあてにして「なんとかなるでしょ」と思ってきたから、老後なんて考えたこともなかったって。


今は、こぎれいなワンルームに、介護保険でお願いしたヘルパーに数時間助けてもらって食事の作り置きとかしてもらってるけど、介護保険や年金で足りない毎月3万円の赤字は自分の預金から出していて、その預金も残りは40万円弱。


部屋からは自分では出られなくて、介護をお願いすれば車椅子を押して出してもらえるけど、その余裕もなく、部屋から見える景色がすべて。自分を鼓舞して、外の景色や樹木なんかに話しかける。登下校の小学生を見て喜ぶ。それが毎日の日課。


預金が尽きたらどうするんだろう... という不安を抱えている。




85歳の独身の男性。10万弱の年金から6万のアパート代を払って、電気はすでに止まっているけど光熱費を払うと、食費はわずか。病院にも行けない。貯金はない。


もっと安いアパートに越したいけど、引越しのお金がない。家はまるでゴミ箱の中のよう。最近は冷麦しか食べていない。それも、量を節約して。


23年間会社勤めをして、独立。 一生懸命働いたけど、その後の商売がうまく行かなかった。

暑い日中は、区(港区)の公的施設に涼みに行って、夜までそこに座ったり寝たりしている。




84歳の農村の一人暮らしの女性。夫は病気で先立って、その治療のために預金を使い果たした。

専業農家だったから国民年金で、月24千円しかない。持ち家と田んぼがあるから、生活保護は受けられない。

田んぼは先祖代々のもので手放せないけど、もう自分ではできないので、親戚に頼んでいる。

自分は、そこらへんに生えている草を刈って食べたり、小さな魚を捕まえて煮たりしている。

町を出て嫁に行った娘はいるけど、あちらも大変だろうと思うと頼れない。






こういうの、見るとさ、他人事じゃないよね。

私が彼らと違うのは、もう自分が一人だってわかってるから、初めから誰かをあてにしていないこと、だから、それなりに覚悟とか、できるだけの預金も確保はしている(たいした金額じゃないけど、私はほぼ全部FPを頼んで投資しているけどね)。


あと、「なんとかなるだろう」とは思っていない。そして、もし退職して定期収入が不安定になったら、いつまでも「高い」と思われる借家にはいないで、さっさと引っ越すであろうこと。



だけどもちろん、なけなしの資産は状況によっては減らすかもしれないし、そもそも充分には用意できないだろうし、お金なんて物価とか災害とかいろんなことで確実に大丈夫ってことはありえないわけで、年金だって、もらえないことはないだろうけど、それで暮らせるほどには出ないだろうしね。そして、自分が病気になったり予定より長生きしたり呆けたり、そんなことって誰にもわからないじゃない。


だから、自分で対策できるものはできるだけ準備するけど、それで100%大丈夫だなんてことは絶対に、ないわけで。




結婚はしなかった(これからまだわからないじゃない、というのはナシね)、子供も、当然孫もいない(別に欲しくなかったからいいんだけど)。そうすると、私の人生を大きな一本で言い表すとすると「仕事」しかないことになる。


仕事は、以前のように楽しい・のどかな?ところがどんどんなくなって、細かくなったり意に染まないことでも責任を任されたり、正直言って明日にでも辞めたいって心砕かれることも多々あるけど、とりあえず、派遣切りに遭ったりするような不安定さはないし、知的な作業も多いし、今の時代としては、良い仕事に就けていると思う。




しかしこれだけ「孤立」して生きてると、長い間に(母や祖母や、たぶんその前の)人々が求めてきたことだとは言え(家長制度や社会的・近所づきあいの煩わしさからの開放)、弱いよね。 一人で立ってるってことは...


一人で立ってると、「立ってなきゃいけない理由」ってのもそもそも希薄だし、踏ん張りが利かない。 とんでもない病気になったりお金がなくなったら、「なんの楽しみもなく、こんなにしてまで生きている理由がない」と、当然思うだろう。


実際社会的にはお荷物でしかないだろうし...、そこで昔みたいに家族がいれば、「何のいいこともないお荷物でしかないけど、孫がおばあちゃん頑張ってねって言っているから」とかなんとか、最後の尊厳や面目みたいなものはかろうじてあるけれど、それがない。

ってことは、本当にただのお荷物でしかない。 金がなくて汚くて手間がかかるとなれば、厄介者この上ない。早く死ねと思われるだろうけど、なかなか、自死なんて出来ないだろうしね。





うむ。 帰り支度のことばかり考えているな。

まとめすぎだろうか。



でも、まっちゃんならわかってくれるよね、私が言いたいこと、なんとなく。





今って、ほんと、昔より大変。 なんていうか、「人間らしさ」とか「ふれあい」「不完全さ」「温かさ」の余地がどんどんなくなって、機械化・効率化・疎遠化していると思う。


効率化が進むとなんでも計算でピッと答えが出ちゃうから(そこに言い訳の余地もなく)、つまり、あるべき結果まで(ノルマのような)先に示されて、そこに合わせていかねばならなくなる。それを主導しているのは確かに一握りの人間であるはずなんだけど、引きずられていくその他大勢にとっては、非人間的な要求でしかない。



そうやって、社会に要求されるさまざまな物事に、なんとか頑張ってついていかなければ振り落とされて....。 どうなるんだか。



私なんて、週末休んでても、「月曜出勤するまであと何時間...」て、砂時計みたいにカウントしている自分がいて、それは、昔みたいにもっとおおらかに、「あ~あ~~、もう、週末終わっちゃったよ。明日から仕事だぁ~~!!」っていう感じとは違って、もっと、カウントダウン的に強迫的で、神経症的な感じなの。 寝ていても歯軋りして冷や汗かくみたいな。



そうなると、なんで生きてるんだろうな、って、思うよね。

こんな風になんとかかんとか毎日やっつけるみたいに暮らして、働けなくなったらお荷物で、なんで生きてるんだろうな、って。




旅をしたり、好きになった人がいたり、かわいい小鳥と毎日暮らせる幸せ、そんなささやかなもののために、生きてる。

というか、生きてるから、その時間をつぶすために(つぶす、で語弊があれば、生きてる時間を与えられているから、その間に)、そういうことをする。 何にもしないでのっぺらぼーに生きてるってわけにもいかないからね。







さんざんグダグダ書いてきて嫌になったというか、急速にまとめに入ったけど(笑)、こんな感じで、いいのかな。 

それで、よしとするか(笑)

それしかないもんね...

































先日、TVで、「叱られたい若い人」の話をやっていました。


えええ~~~っ??? 時代はそんなところまで来てしまったのか.....、レンタルおじさんなるものもあるようで、1時間1000円で、話を聞いて、なんかいろいろ叱って?くれるそうです。


なんだぁ~~、そんなことなら、ミキ姉だって得意だよ! バイトできそうだね音譜 って思いましたよ---(笑)


まず言わせてもらうとね、



1. まだ若い女の子、たぶん10代後半~20代初め。 女友達と二人でパスタ(スパゲティ)を食べている。

す す っ て い る !!!!!!


パスタはラーメンや蕎麦ではありません ラーメン

みっともないし、となりでズルズルと気前のいい音を聞くのも不愉快なので、パスタをすするのはやめましょう パンチ!


一緒にいる友達は、「ね、目立ってるよ...」と、忠告してあげましょう。

海外に行く機会はないのかもしれないですが、海外ならば同邦人として、私はとっても恥ずかしいと思います。



2. 小田急線みたいな近郊通勤列車で(つまり向かい合った二列の長い席に座って)、まったく悪びれずに、恥ずかしがらずに、堂々とマクドナルドハンバーガーやらサンドイッチやら、あるいは真ん中に立ったままでおにぎりおにぎりとか食べてる若い人(トシの人なら品格を疑う)がいますけれど、


あれは大変みっともないです。

電車は公共の場であって、お宅のダイニングではありません。

普通に通勤通学している人々のなかに、ぷう~~~んとやけに美味しそうな匂いを漂わせるのはやめましょう。 そんなふうに食べて、美味しいのかな?ってのも疑問。


違法じゃないけど、育ちが悪いんだなーーー、お父さんお母さんに教えてもらえなかったんだなーーーこういうアタリマエのこと、って思います。


そんなに食べたいんなら、少なくとも電車を降りて、駅のベンチで食べましょう。 それならOKです。




3. これは老若関係なくいるんだけど、道路を渡るとき、全然振り向かない人がいるの叫び

信じられない!!!!! 車が来てるかどうか、チラとも確認せずに、そのまま斜めに渡っていくんだよぅ~~~車  ビックリだし、迷惑 だ!  私など自転車で後ろにいたりして、急な展開に目がパチクリしてしまうのでした。



4. いまだに喫煙歩行。 大変迷惑。  いつも走って追い越します。

吸ってる人は無神経だけど、吸わない人には、風に乗って流れてくるタバコの臭いって、本当~~~~~~にイヤなものなんですよーーーーー。


臭いが顔や髪にまとわりつくのって、耐えられないです。 喫煙所で吸ってください。

あと、吸い殻の ポイ捨ては、超~~~~~最悪ですよ プンプン




今日はこんなところにしておきます。

みなさまごきげんよう。






私は40代後半にさしかかったけれど、いまだかつて、「バリバリ生きてやる!!!」と思ったことがあったかどうか。


否。 小学2年生のころには既に自殺を考えたりする女の子だった。 それを実行するには深~い溝があったから飛び越えられなかったけど、そういう厭世気分は大学時代中頃まで続いた。


飛び越えられなかった理由はふたつある。 1. 「本当に自殺を実行すること」は現実感が伴わなかったし、やはり怖かった。 「そこまでするほど本当に嫌なの???」と、自分に問いかけ続けた


2. 自殺をすることは、本来、まだ生きていけるはずの、「与えられた自分の人生」を降りることだ。 途中降板することによって、あるかどうかわからないけど「神の御手」やら「輪廻転生」やらの不可思議により、また新たに生まれ直しさせられて、やりなおさせられたのではたまらない。 


過去生があったかどうかは知らないが、一連の「私の生」は、もうこれでいい。 生まれかわりはいらない。 立派な人間じゃないから解脱できるとは思えないけど、もうこの世に生れてきたくない。 死んでしまってから「しまった!」と思っても後の祭りだ。 だから、やっぱり、次回やり直しをさせられないためには、一応きちんとやり遂げなければまずいのではないか... と、バカバカしいかも知れないけれど、なかば本気でそう思っている。 未知なる大きな力のことなど、私にははかりようもないので、大事をとっておくに限る。


それだけの理由で、自殺をせずに生きている。 ああ、もうひとつあるな...。母が生きている間はダメだ。

私は結婚もしていないし孫の顔も見せられなかった。 それだけで「人間」という生き物として充分に親不幸なのに、逆縁の憂き目に遭わせるわけにはいかない。 絶対条件として、私が死ぬのは母が死んでからだ。


... 結婚していたら、自然の成り行きで生んでいたかも知れないが、私の理性では、子供はいなくてよかったと思っている。子供は大人への一過性の形態だからこんなふうに言うのもおかしいが、私は子供がそもそも好きではないし、自分が「生きづらい」と思っているこの世の中を、一からやっていく子供に「頑張りなさい」と言えるだけの自信も覚悟もなかった。 自分が生きたくないのに、どうやって子供を送り出すことができるだろう!


ともかく。


積極的に生きているわけではない。 基本、死ねないから生きているのだ。

どうせ生きなきゃならないならなんとかしなくちゃ、と思って、仕事もしているし、旅行にも行く。食いしん坊で昔は料理もずいぶんしたが、今はもうすっかり飽きて投げやりで、食事の80%は外食である。


ところが。


私は今の会社に勤めて21年目である。 ここ12年ばかりは同じ仕事をしている。

私の職務は同じはずだが、ここ3年程のあいだに、仕事の内容がめっきり濃くなってきた。

以前より多岐にわたる内容を突っ込まれ、責任を持たされ、急がされ、初めてのことを「今やれ」というふうに追いまくられ、非常に疲れている。 もう、本当にマイっている。


やったことないことを出来るようにやれと言われても、それひとつで専門職があるくらいだから素人には無理である。やれと言われてもできない。


ここ最近で急に変わってきた。 私、定年までは多分あとまだ20年くらいあるはずだけど、そこまで自分が持つかどうか、かなり不安になってきた。


職種を変えてみても、たぶんどこもそれなりに大変なんだろう、楽な仕事なんてあるわけないもんな、と思ったり、ひるがえって自分はどんなことができるのか、何をしたいのかと省みても、何もないことに愕然とする。


何もしたくない。 やりたい仕事などない。

あるいは、やりたい仕事では食べていけない。


職種を変わろうにも、やる気のない人を雇ってくれる職場などないのだ。 そんなものは迷惑でしかない。自分は本当に何もしたくないのだ、という事実があまりにもあからさまで、じゃあどうやってこれから私は生きて行くのだと暗然とする。


援助交際に関する番組を見た。 15歳ほどの女の子が、お持ち帰り先を転々と渡り歩いていた。 母親から、愛されたり大切にされた記憶がないのだという。


その子を心理面でサポートしているNPOの20代半ばの女性は、既婚のようだが、自らも似た過去があり、10代のころには友達が3人自殺したという、若いながらも大変に凄絶なところをくぐってきた人である。


昨日のニュースでは、小学6年生の女の子二人が、マンション7-8階の踊り場から飛び降りて、死亡と重体と伝えられた。中学受験に悩んでいたらしい。


大変な思いをして良い学歴を作るために受験をする。良い学校を出ても、どれだけよい仕事に就けるか、それはブランド名ではなく、安定性や職場環境...、「人間らしく、生活を楽しめる、人生の生きがいの一環としてある仕事」につけるかなんて、現実にはかなり難しい。


生きるの大変。 でも、それを生きて行くだけの価値があるのだろうか?

動けなくなって「木偶の坊」になってしまって、これから私はどうしたらいいのだろう?



そんな事を抱えながら、週末は昼まで起きてこれない私なのでした。

いろいろ気が重すぎて、どんどん起きられなくなってるんだよう........ ^^;;;;;