戦線鉱業仁科鉱山を後にして移動

湯ヶ島ぁ〜❤︎
街灯からしてレトロな雰囲気〜



廃ゲートボール場の敷地内、坑口からの排水量はかなりのものだった

錆びた銘板には〝湯ヶ島坑〟とある

この日2本目のインクラインを直登

距離が短過ぎて勾配率の計算が出来ない

ゆっくり登っても5分ほど。
目の前に現れたのは巻上げ機

なんとも言えない異色コラボがステキ

この小屋、ペッチャンコになるのも時間の問題

群誌、伊豆日記によれば湯ヶ島鉱山は文禄年間に発見され、慶長年間、盛んに金銀が採掘されてたらしいわ



文禄だの慶長だの豊臣政権の時の話よ

昭和25年時の採掘方法は上方向、下方向に階段掘で母岩が軟弱なため採掘跡は充填

特別な通気設備なく全て自然通風

坑内夫は42人で坑外夫16人…
採掘された金銀は修善寺駅まで運び、愛媛県新居浜市の四阪島精錬所に運ばれていた

調べると鉱脈自体は1kmあるかないか。
充填、さらに自然通風といい、働いてた人数といい、坑道は長く続いていないと予想

湯ヶ島鉱山が完全に閉山したのは45年ほど前

当時しっかりと設置された地下聖域への柵扉…
この日〝MIMIZU御一行ウェルカム〟状態だった

























