雨が気を滅入らせる。雨が全てを台無しにする。雨が。
本日は最終の積み込みをする前に、最近僕の前に積み込みをしている運転手が居なかった。
たまたま挨拶を交わしたアルバイトの人に聞いてみると、「今はヒマだし、荷物も少ないから帰っちゃったんだって」とのこと。
うーん、そういう決断が出来るって素晴らしい。僕には無理だ(笑)
とはいえ、僕は毎日工程が決まっているが件の運転手はそうではない。その違いもあるか。
やっぱ保守的なんだと思います、自分で。良く言えばマジメ。
なのでこのように、「今はヒマだし、仕事もダルイから今日は早めに帰っちゃおう」という大胆さがない。憧れてしまいますねー(笑)
そしてもう一つの出来事。業務を終えてトラックを降りようと思い、所持品を鞄の中に入れていく。あれ、財布がないよ。
鞄の中を真剣に探すが見つからない、本日あったことを走馬灯のように思い出す。
21時頃に行ったセブンイレブン。会計の時に手間取りそうだったので、一旦財布をレジの一段下に設けられた手荷物置きスペースに置いたことを思い出してしまう。
「えー、うそやーん!」とトラックの中で絶叫し天を仰いだ、更にはそのセブンイレブンが僕の財布を無事に保管してくれているかの可能性まで、店員の誠実さなどを思いだし頭の隅で計算する。また更には東大阪の車庫から、大正区のセブンイレブンまでの所要時間。それによる睡眠時間の損害なども脳は計算しようとしていた、人間って意外とすごいね(笑)
結局、財布は鞄の横に転がってました。(チャンチャン♪)しかし、この一瞬の動揺で手が震えそうになっていることに驚かされる。
現実には何一つ損害を被っているわけではなく、一瞬絶望に囚われただけなのに。
この一見下らない出来事から導き出されるものは、「人は感情や、予想していない衝撃に左右されやすい」という事実ではないでしょうか?
ありますよね、怖い話を聞いて眠れなくなったり。知人が怪我をした時の話を聞いて、我がことのように共感してしまったり。
そう考えると人間って「現実」と「非現実」の狭間で生きていると言っても過言ではないかもしれない、時に非現実が現実を上回ってしまうこともありましょう。
「夢」が日々の助けになることもあれば、「悲しみ」が生きることを諦めさせることもある。
我ながら、本当に複雑で手に負えない環境で生きてるんだな。と改めて思います、こんな小さな出来事からなんですが。
しかしこんなことで手が震えそうになるぐらいなんだから、「完璧」に生きようと思うことこそが馬鹿らしい。恐らく、どんな賢人だって寝坊したり忘れ物したり下らない失敗を日々犯しているのでしょう。
そのことをまず理解しておいて、後は自分に必要なことをなるべく失敗のないように気をつけて行っていく。それぐらいで良いのかもしれない。
あと5回で1300回視聴ですね。発表した当初はゴッホイズムを軽く抜き去る勢いでしたが、今現在は後塵を拝する結果となっております。
中村文則の「掏摸」という小説を読み始めましたが、良さそうですね。真骨頂と言いますか、彼の得意分野ではないかと思います。
この作家の特徴としては「極端な汚れの中から美しさを抜き取る」だとか「静寂の中の激しいゆらぎ」に重きを置いてるんじゃないかと思います、いずれも二律背反ですね。恐らく、そこに魅かれてしまうのでしょう。
しかし「財布」なんてものは無くすととんでもないことになるし、出来れば持ち歩きたくないと本日も思いました。掏摸に遭うかもしれませんしね、上手い(笑)それではまた☆