広島一家失踪事件考 謎は別に・・・ | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
謎多き事件とされているのだが…広島県世羅町の一家全員が2001年6月3日の消息を最後に忽然と消えた後、2002年9月に同町内の京丸ダム湖底にて発見された車の中に於いて全員の死亡が確認された事件である。一家全員とは夫58歳・妻51歳・夫の母79歳・娘26歳(小学校教師)、それに飼い犬である。妻は翌4日から社員旅行で中国へ行く予定だった。

犬まで車に乗っていた時点で十中八九、一家心中。
妻翌日から旅行予定で99.9%、無理心中。
これにて終了。謎はナシ。


最後の消息となっているのが竹原市の小学校で教師を務めている娘に関してであり、3日午前中は授業参観、午後はPTA球技大会だった。その後、飲食店で行われた親睦会に参加している。竹原と世羅は距離がある。娘は、普段は竹原在住だがこの日は同僚を送りがてら、世羅の実家へと戻った。親睦会終了が21時半、そして世羅町実家にて車のドアを閉める音を近隣住民が耳にしたのが22時50分。これが一家最後の消息となった。翌4日朝5時の段階で夫の車はなく、家から人の気配もしなかったとの由。これは新聞配達員の証言による。事件発覚は4日正午過ぎ。社員旅行の集合時間になっても妻が現れないことから同僚が家へと向かったことによる。家の中の状況から一家は寝巻姿、サンダル履きで「外出」したとされる。また台所には「朝食」が虫除けネットに覆われた状態で用意されていた。

深夜に老親と飼い犬が一緒になって外出をする…これがもうおかしな状態であるわけである。只事ではない。仮に犬を夜間診療している動物病院に連れて行くとしても老親までは付いていかない。朝5時には失踪している。準備されていたものは朝食ではない。夜食、と見るべきだろう。娘は飲食店で親睦会。26歳の若い女である、コンパニオン的な振る舞いを要求されるポジションだ。恐らくは余り食べられない状況であろう。小腹を空かせた娘のために気を利かせた妻が用意したものではなかろうか。胃に優しいものとなれば朝食と被るラインナップともなろう。しかしそれは手が付けられていなかった。とすれば、帰宅時既に「事は起きていた」と見るべきか。この家は旧家で母屋と離れがある。夫妻と娘の部屋は離れにあるが、食事と入浴は母屋で済ませる。母の部屋も母屋にある。妻は21時半過ぎの段階では生存している。娘が電話しているところを同僚が目撃しているからだ。仮に事が母屋にて発生し、娘が母屋に行く時間が遅くなれば4日未明に事が発覚する展開もあり得るが。

ところで「事」とは何か。これは夫による妻殺害と見る。ポイントは翌日の海外旅行。泊まりがけの旅行をする…それも海外に行くと云うことになれば、それなりの準備が必要になる。別送で荷物を送るなどと云うことをしない限りは出発前日など荷造りたけなわである。夫婦は一体のはずなのに各々違う景色を見ている。妻が勝手に旅に出掛ける、その旅支度を今まさにしている…それだけで家の中に隙間風が吹く。尤も、これが出張旅行の準備であるなら別に良い。問題はこれが社員旅行とは云えども余暇活動である点だ。恐らくこの夫婦は、夫婦旅行などこの何年もの間、していないはずである。夫婦仲は冷めきっている。今更、夫婦で旅行したいなどとは思わない。しかしたとえそうであったとしても、妻だけルンルン気分で旅行の準備に勤しんでいる光景は夫にとってみれば面白くない。「自分は色々と大変なのにコイツは一向に顧みない。お構いなしに行動している」…妻をコントロールすることが出来ていない現実に夫は苛立つ。自分も一緒に楽しめるならよいのだが、自分のあずかり知らぬところでエンジョイする妻が許せない。ジェンダーギャップである。家父長制の残滓的意識である。これと類似の状況を女側から類推するならば、小さな子供が熱を出して寝込んでいると云うのに、そんなことはお構いなしに趣味のゴルフや釣りに出掛ける準備をしている夫に向けられる苛立ち・憎悪…これに等しいレヴェルなのだ。女からすれば、子供の病気と云う重大事態を経て初めて到達する苛立ちレヴェルに、男はいとも簡単に到達してしまう。男の沽券・夫の沽券と云うものはそれほどまでにちっぽけなものであると同時に大袈裟なものである。

本件に関しては妻の側に職場不倫疑惑がある。不倫とまではいかなくとも、親しい間柄の男性は存在したのだろう。これが真であるならば、自分を差し置いて妻と共に海外へ遊びに行きイチャつく男、そしてそれに応じる楽しそうな妻の姿は我慢ならないに相違ない。

夫は荷造りに忙しい妻に対して度々ちょっかいを繰り出す。子供じみた夫の態度に、準備に忙殺されている妻はスルーで応じる。しかし遂には度重なる夫のちょっかいに対してキレる。夫は妻をなじり、妻もそれに応戦する。室内は荒らされておらず、大喧嘩の様子が外へ漏れ出ていないことから、決着は比較的早く着いたのだろう。カッとなった夫からの不意の扼殺に妻は一切の抵抗が出来なかったと見る。夫は次に老親の部屋へと向かう。事件が露見し、自分が逮捕されて一番傷つくのは老親である。問題は娘だ。この無理心中劇、死のドライヴとなる車に乗った時点で夫と飼い犬は生きていたと見る。娘は生きていた可能性の方が高そうに思う…一人で遺体の運搬をするのは大変だから誰か他に生きていてもらえた方がよいわけだが、最終的に一家心中を提案したのは娘であるようにも思うのだ。夫は娘についても扼殺しようと考えたはずだ。娘はこの一件で殺人犯の娘となる。殺人犯の娘が教壇に立つことなど叶うはずもない。大都会ならいざ知らず、ここは広島の中でも更に田舎の地域である。どだい無理な話だ。しかも娘には結婚を前提に交際している男がいる。結婚は家と家との結びつきでもある。どう考えても破局するものと想像するに相違ない。

しかしこの状況は娘にとっても絶望的なものである。生きる気力を無くすには十分すぎるほどの壊滅的状況である。夫からすれば、妻や老親と比較して娘を殺めることに対して些かの躊躇はあったろうと見る。その躊躇の隙間に娘は入り込み、一家惨殺現場を残すことなく一家心中と云う形にして綺麗に流すことを、夫、つまりは自分の父親に対して、娘はある程度冷静になって提案したように推察するものである。死のドライヴ開始時点で娘が生きていなかったなら、犬を一緒に連れて行ったものかなァと思うわけである。漆黒の闇夜に一筋の光を見出しながら、いつものように犬をあやしながら無理矢理に、あの世への希望を見出しながら一家は、どす黒い湖底へと怯むことなく立ち向かっていったのだろう。