帽子は語る 上着が訴え掛ける 世田谷一家殺害事件考9 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
犯人が平素から自転車乗りであることは、帽子・ボア付き手袋・ヒップバッグ等の遺留品より明らかである。しかしそれと犯行当日に自転車を使用していたかはまた別問題である。平素よりそのようなファッションだったが為に、自転車に乗らない際も、乗らないからと云って特段、ファッションに変更を加えない可能性もまた非常に高いからである。

犯人は現場に防寒具となり得るそれらのアイテムを遺留していった。殊に手袋を遺留していったことに着目し、以て犯人徒歩説を述べたものでもあるが、本厚木ルートを採る場合には、徒歩でも自転車でもどちらでも、と云うところがある。犯人は成城学園前駅と青学世田谷キャンパスとの間を、いつもは徒歩ではなく自転車で移動していたと考えるからだ。これに対して荻窪ルートを採る場合には、自転車一択と云うことになろう。(※追記:被害者宅から成城学園前駅へは歩けない距離ではないが、荻窪については歩くには遠過ぎるのだ)

手袋を遺留した理由については、単純に慌てていたから、或いは、手袋を取りに向かう余裕がなかったからと云うのが第一に挙げられよう。が、第二の理由として右手に負ったケガを治療した結果、手袋の中に指が収まらなくなった線もある。これについては、網戸に指紋が残っていなかったらしい理由として、右手を包帯等でぐるぐる巻きにしていて添える程度の働きしか出来なかったのではなかろうかと、「その7」に於いて述べたものでもある。

以上の事柄は、荻窪説の割合が若干高まる要素となるものだが、しかし、犯人の帽子がソファの上に放置されていたことを鑑みるに、これは明らかに犯人が睡眠を伴う仮眠を(意図的に)取ったことを意味しており、よって未明逃走は考えられず、電車運行を待っての翌朝逃走を狙った線を考えざるを得ないものとなる。

この犯人には几帳面な一面があった様子で、返り血を浴びたラグランシャツがきちんと畳まれ、上着もまた、椅子に掛けられていたと云う。几帳面だから椅子に上着を掛けたことも考えられるが、普通は、家に招き入れられて着席する際に、上着を椅子に掛けるものであるから、玄関進入説を推すものでもある。犯人はマスク代わりに黒ハンカチを纏っていたことから見て・・・20歳前後だった犯人が脱帽しなかったであろうことは自然であるが余計に・・・脱帽はしなかったものと推察する。これが帽子のみがソファに置かれていたことの第一の理由となろう。

それと云うのも、被害者も犯人が外国人の若者であることは知っていたから(玄関から招き入れられると云うことはインターホン越しに名乗ることになる)、そのような「異様」なファッションも意外とすんなり受け入れるものとなる。帽子に返り血が付着していなかったのなら、まさに犯行時に帽子を脱ぎ捨てて、それを号砲とするように犯行へと移っていったのであろう。ラグランシャツには返り血が大量に付着していたのに、上着には付着していなかった。風呂窓から侵入した犯人がわざわざ上着や帽子・マフラー・手袋等を取り外した上で犯行に及ぶだろうか・・・それもあの狭い家の中で・・・時間的にも空間的にも、そう云った余地はないように感ぜられる。

風呂窓侵入説を採るなら、被害者(夫)との遭遇は偶発的だったこととなる。その時には既に犯人はそれらのアイテムを取り払った状態となっていたわけだ。如何にも不自然である。そもそも犯行が未遂に終わった場合、犯人は現場に大量の遺留品を発生させることになる。しかも逃走先である外の気象は寒いのに。この事件は結果として大量の遺留品をもたらすものとなったが、最初からそれは狙われたものではなかろう。なぜ犯行の際にわざわざ脱ぐ必要があったのか。家の中に人が居ることは分かっているのに(そして恐らく起きていることも)、居間に到達したところで呑気に上着やマフラー、手袋等を脱ぎ始める犯人などいるものだろうか。

風呂窓侵入説を採るなら、最初に殺害されたのは唯一扼殺された子供(弟)である。この後に犯人は上着やマフラー、手袋を取り払ったこととなる。考えられるのは、上着の下にヒップバッグを装着しており、そこから凶器の包丁を取り出す為に上着を脱ぎ、ついでに他のアイテムも脱いだことである。しかしそれらを弟の部屋ではなく、居間にまで運んだ理由とは何だったのであろう。最初は弟の部屋に放置していたが、犯行直後、一旦風呂窓から脱出する際に、再び身に付け、もう一度風呂窓から侵入した後に居間に遺留していった可能性もなくはないが些か弱さと云うものが感ぜられる。被害者に招き入れられて家の中へと入り、着席の際に脱いだことの方が自然ではある。

そして帽子だ。この帽子がソファにあったこと、それは犯人が長時間の仮眠を取っていたことを思い起こさせる。つまり、アイマスク代わりに顔に帽子を載せた状態で寝ていたわけである。単純に、部屋の照明を全てオフにして寝なかったからと云う理由の他に、抱き枕のようなある種のリラックス効果を企図してのものであろう。この仮眠形態から、翌朝逃走=小田急線利用の本厚木ルートを濃厚に感ずるところである。

上着が椅子に掛けられていた状態でソファ上にはなかったことは、犯人が上着を布団代わりにはしなかったことを意味する。上着が椅子に掛けられた状態から犯行に及んだことの証となり得るものである。なぜなら、一旦弟の部屋に放置した上着を犯行後に居間に運んだとするなら、帽子もろともソファに置くであろうからだ。そしてそのまま仮眠の際には布団のようにするであろう。室内が暑かったならその必要はないがさりとて、邪魔になるからと云って綺麗に椅子に掛けるものか。ソファの隅に追いやれば済むことのようにも思われる。最初から椅子に掛けられた状態であったからこそ、仮眠の際にも布団代わりにする発想が思い浮かばなかったのではあるまいか。