残りわずかですが、春のお彼岸ですね。
ウチはお墓が遠いので別な機会に参りますが、自宅のご宝前には種々のお供え物、特に故人の好きだったモノをお供えしております。
人の好物を聞いておくと、お彼岸に限らずお参りのときに差し上げられて良いですね。
例えばウチでしたら義父の月命日には甘納豆、義母の月命日にはお揚げさん(煮物やお稲荷さん)や秋ならコスモスといったものをお供えします。故人も喜ばれるでしょうし残された者も何かホッとする感があります。
毎回だと飽きるのかな?笑
いずれ来るであろう私の命日には白い花をあげて頂ければ幸いです。お菓子ならバウムクーヘンがいいなあ。笑
そういえば、四柱推命という統計学によれば私は64歳でこの世を去ることになってるみたいです。死なないけどね。笑
まあ人にはいずれ必ず死が訪れることになってますので、それまでは魂を磨く人生を送っていたいなとは思っております。
▲幼稚園の卒園式。やっと役員終わったー。ウチの子はまだ年中さんなので地味にいっときましたよん。^^
さてさて、最近よく考えていることがあります。それは地獄に落ちる行為についてのこと・・
仏教では、十界(じっかい)といって地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界があります。
最上階である仏界が仏さまの世界、私たち人間は人界に所属しております。天界というのが神さまの世界です。
そして最下層が地獄界です。地獄界・餓鬼界・畜生界の3つを指して「三悪道」とも言います。
地獄には更に8つの階層がありまして、最下層が無間地獄(むけんじごく:仏教では“むげん”と濁らず“むけん”と読みます)となります。その内容は、以下の通りです。
剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける。背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの7つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという。
怖いですよね。こんな世界に落とされたら・・
私は嫌ですね。落ちたくないからね、悪いことは出来ないです。
私は極力罪を作りたくないので、蚊だってゴキブリだって殺しません。網で取って外に出します。なるべくね。
とはいえ子どもたちを守るために殺生してしまうこともありますが。。申し訳ないと思いますが、だからこそ供養します。子どもを守る顔はきっと菩薩だけれどそのためには修羅にもならなければならない、私という人間。色々な面を併せ持つから十界互具ということなんだろうな。
で!
無間地獄に落ちるほど悪いことというのは、上記wikipediaによれば殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、父母・阿羅漢(聖者)殺害、となっています。
が、日蓮聖人は、八虐・七逆・五逆(これらについての説明は割愛します)というお釈迦さまの「主・師・親の三徳」に違背する罪が無間地獄に落ちる罪と説かれており、さらに加えてもう一つ、正しい教えを謗る罪を謗法罪(ほうぼうざい)として上げておられます。
その罪の重さは五逆罪の1000倍ということです。
では何をしたらダメかというと。
正しい教えを非難すること、悪口を言って排除すること、そして法華経に従わない行為すべて、つまり法華経に不退転の信仰をもって向かい合うことをしないこと。
そして更には。
さらに、「顕謗法鈔」(昭和256頁、平成105頁)では世親(ヴァスバンドゥ)の「仏性論」中の「大乗仏教を憎んで背くことは一闡提(仏の教えにしたがわず、謗法して仏となる縁を失った者)となる原因であり、その理由は衆生に正しい教えを捨てさせるからである」という経文を引用し、謗法とは、「法華経」という正しい教えを人々に捨てさせる行為のことでもあると指摘する。
つまり、自ら犯す罪だけでなく、他人にまでその影響を及ぼす行為を含めた上で、謗法を重罪であると戒めるのである。
「仏教の教え-釈尊と日蓮聖人」P206より
ということは、法華経を弘めるためにいるはずのお坊さんが何か悪いことをしたりしたら・・どうなりますかね。
袈裟を着る者が、衆生に法華経を信仰させないような行動や考え方を促してしまうということになりますね。
法華経や仏教について嫌な気持ちを与え、法華経を捨てさせるような行為をするお坊さんは、一番悪い無間地獄に落とされることになりませんかね。
私は地獄に落ちたくないです。地獄は怖いです。
我々お坊さんは、人様よりずっとずっと行動に気をつけなければならないです。
「邪師に惑わされてしまったら師弟共に悪道に墜ちる」と先だって、私の先生に教えて頂きました。
ご信者壇信徒さんも、悪いお坊さんの弟子になってはダメですよ。気をつけてくださいね。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」
(平成新修日蓮聖人遺文集P96「立正安国論」)
曲がった信仰は開花致しません。真っ直ぐな気持ちで信仰致しましょう。
なんて、ちょっと怖い話になってしまいましたが。
悪いことしたら自分に返ってくるので悪いことをしないように気をつけて、自分にも周囲にも愛情を向けて生活致しましょう! そうすれば何も怖くないですよ。
お彼岸という良い機会です。ご家庭でもあの世だとか故人のこととか地獄とか、ご供養についてなど・・考えてみては如何でしょうか。