本当に『ボレロ』は、不思議な曲だと改めて感じています。

 

同じ旋律がひたすらに繰り返される為、やはり奏者にとっては難曲であり、演奏するのが嫌いだと宣言するスネアがいるということを、最近もどこかで読んだか?聞いたか?したばかりですが・・・

それなのに、あの惹き込まれてゆくような不思議な魔力を持ったような音楽になり、バレエにせよ、フィギュアスケートにせよ、名作を生み出してしまう、不思議な曲。

 

今宵もその『ボレロ』を堪能できそうです音譜

 

かてぃんさんこと、角野隼斗さんが今夜(11月8日)の日本時間23時に『ボレロ』のプレミア配信して下さるそうなので、また今宵も夜更かししてしまいそうです。

 

かてぃんさんの『ボレロ』は、『街角ピアノ、スペシャルニューヨークを行く』で初めて聴いた時から思い切り魅了されたので、今回のプレミア配信でも、とても期待が出来そうだと楽しみにしていますラブラブ

 

 

 

それにまた、この『ボレロ』が使われる、魅力的な顔ぶれでのパフォーマンスが見られるコンサートの様子が、MBSで放映されるので、ご興味ある方は視聴もしくは録画予約をお勧めします。

放映予定は、11月10日24:30から「OTOBUAI in 法隆寺」

 

今回のテーマを「風」だとたとえられながらも、音楽は『ボレロ』だと先日の番宣で語っていらした、今年の『OTOBUAI in 法隆寺』。

『音舞台』をあえて、ローマ字にしたのは海外に向けて意識を高めていきたい、からだそう。

 

ピアノのアレクサンダー・ガジェヴ、バレエダンサーのジュリアン・マッケイ、二胡のジャン・ジェンホァ、ヴァイオリンの服部百音、ボーカルの坂本美雨、そして、東北ユースオーケストラと共に、今年の「OTOBUAI」のテーマとなるやはり『ボレロ』が演奏されるそうです。

 

ダンマガによると、ガジェヴさん演奏でジュリアンが舞ったりした演目もあるようなので、放映されるようにと願っています音譜

 

 

それに、この記事によると、高橋一生さんが法隆寺に歴史について迫り、ナレーションは黒木華さん。

歴史に興味ある方にとっても魅力ある放映になりそうな予感がしています。

 

それにしても!!

フィギュアスケート界では、ついに真央リンクがお披露目された!というニュースが朝から飛び交っています。

 

 

その真央さんが氷の上に炎を立てたように舞った『ボレロ』も、まだまだ記憶に新しいままです。

 

そして、今日からいよいよNHK杯が始まりますベル

 

なかなか情報を追いかけるのが大変ですが、一気に寒くなり、何かと気持ちまで寒くなりそうな私には、元気をつけてくれそうな情報や配信や映像が多いことは、とても嬉しいことです。

 

とても楽しみなニュースを見つけて、11月1日をワクワクしながら待つことになりそうです♬

 

ソニークラシカルの本拠地ベルリンから角野隼斗さんが、YouTube で生配信イベントを行ってくれるそうです!!

配信時間は、11月1日(金)22:00予定(日本時間)です。

 

日本人にとっては聴きやすい時間でもありますが、アーカイブは残して下さるのでしょうか?

 

リンク先はこちらです。

 

かてぃんさんにご興味ある方や、クラシックピアノはもちろん、ジャズピアノを含めて、色々な分野での曲をさまざまな奏法を駆使して聞かせてくれる彼の演奏を聞いてみたいと思う方には、ぜひともお勧めします。

 

それに、ソニークラシカルの本拠地ベルリンからの配信ということでもあるので、なにやら特別感はあります。

角野隼斗さんが、ソニークラシカルとワールドワイド契約をされたというニュースは、まだ記憶に新しいのですが、この契約をされている日本人は過去には、ヴァイオリニストの五嶋みどり、樫本大進、ピアニストの藤田真央という、これまた凄い顔ぶれです✨️

 

 

まさしく、この角野隼斗さんに先駆けて、このソニークラシカルとの契約をされていらした、音楽の世界の、素晴らしいみどりさんと真央さん(お名前に思わす反応してしまいますよね💕)が、ご一緒に開催される『五嶋みどり&藤田真央 能登半島地震被災地復興プロジェクト ホープ・コンサート 2024』というコンサートがまたなんとも魅力的です。

それこそ、初めてクラシックを聴く方にもお勧めの凄い奏者であり、素敵な曲目ばかりです。

 

 

 

お二人が演奏される、真央さんの美しいピアノに相変わらず、深みと渋みを増したようにも思えるみどりさんのヴァイオリンで奏でられるベートーベンの『春』、少しだけですが、聴かせて頂けました。

 

 

 

みどりさんと真央さんからのメッセージです🎶

 

 

 

いやー。それにしてもウィーンからというメッセージといい、やっぱり音楽の国からだという気持ちにもなりますし、みどりさんと真央さんの『能登半島地震被災地復興プロジェクト・コンサート』の大成功を祈りながら、11月1日はかてぃんさんの演奏に夢中になりそうな予感がしています✨️

 

そういえば・・・・・

あまりにも災害が続くせいか、メディアの影響もあるのか?はわかりませんし、今の日本の情勢もあるのかもしれませんが、色々と意識が薄いようにも思えます。

以前のように大きな災害があった時には、よく開催されていた『ホープコンサート』も『ホープ公演』的なものもあまり聞いたり、目にしたことがありません。

 

なんとなく寂しいような、怖いような気がしていますが、このようなビッグネームが先頭に立ってホープコンサートを開くことで、未だに酷い状態だとお伺いする被災地に意識が向くことをも願っています。

 

日々、いつもように目が覚めて、いつものように仕事に行ける。

その日常がいかに幸せで恵まれていることかを感じながらも、美しい芸術によって私の魂にも力を与えてあげられる、そんな機会が増えることに感謝をこめて✨️

 

今から私がここに書いておこうと思うものは、私がこのブログを書き始めた頃に決めた、私の心に光をくれた感動について綴っていきたい✨と、その時の気持ちとは、かなりズレてるかもしれませんが。。。

長文ですし、読むのは全然楽しくない内容なので、私の個人的なことなんて、と思う方はスルーして下さい。

 

 

 

 

 

 

このブログを始めた頃は、観に行けたバレエ公演やフィギュアスケートや音楽コンサートなどがくれる感動を、日々の可愛い猫達の様子を、日常で見つけたふとした幸せを、そして大好きな母との記録などを書いていきたいなぁ、と思っていましたし、ある意味、その気持ちは変わってはいません。

 

けれど、長く私のブログを読んで下さったり、優しいコメントやら他でもつながりのある方たちにはお伝えしておきたい、

そんな気持ちでアップします。

 

実は、今年の4月28日に夫が家を出ていきました。

 

そもそも、コロナ禍の頃からでしょうか?

だんだんと夫が冷たくなり、私がコロナ後遺症で苦しい時に、彼は在宅しているのに、一人で少し行きにくい病院に行ったりとか、そんなことが続いていましたが、猫達には相変わらず優しくしていたので、浅はかにも私はそこまで深く考えてはいませんでした。

 

彼が『ラインのオープンチャット』というものの、飲み会のオフ会に通い出した頃から、「今週末は京都に行くんだ、次の週末は神戸へ行くんだ!」と、いうそんなことを楽しそうに語り、かなりハマっている、少々興奮状態での様子には、多少なりとも戸惑いもありましたが、母も無事に見送りましたし、コロナ禍の後でもありましたので、今までの反動もあるのかな?とかは、思ってはいましたが。

 

けれども、その頃からでしょうか?

彼がいかに私にとって自分は便利屋扱いされてきたのか・・・・

そういう内容のことで私を責めるようになってきたのは。

いいえ、責めるだけではない、確かに彼には色々と苦労はかけましたし、事実でもありました。反省して必死で謝罪をしましたが、「謝罪なんて今更聞きたくもない、時間は戻ってこないのだし」というのが彼の言い分でした。

彼をいう人を信じすぎ、甘えきっていたことは事実ではありますが・・・

 

けれども、わざわざ意地悪のように、「一緒に飲みに行く仲間には女性もいるよ!」と教えてくれたり。バイブを切ってLINEで着信音をガンガン鳴らして、声も出して反応しては騒いでる様子を、具合が悪くて寝ている私のそばでやってみたりと、なかなかの報復(?)的なことも多々ありました。

 

そのストレスもあったのか、何かあると食欲が落ちてしまう私の体の癖がひどくなり、そして去年の8月21日に倒れてしまい、けれども、なんとかギリギリの状態で救急車を呼ぶことが出来ました。

かなり危なかった状況だそうで、救急車の中で意識が飛んでしまい、しかも、脳の状態はこの頃に何かの歯車が狂ったのかも?と、思い返すほどに、その頃の記憶状態も、はちゃめちゃで、なぜか「あの苦しかった金曜日の夜」と繰り返していたのはよく覚えています。

本当は月曜日の夜のことだったのに。

 

後になって、なぜ金曜日の夜?と思い込んでいたのかを分析したところ、週末は彼が飲みに行く日であり、だからこそ心臓が痙攣起こすような苦しい状態なのに、ギリギリまで我慢して救急車には連絡をしても、彼には全く連絡しなかった・・・・ということで、ある意味、今の生活の基盤になるものを、この頃から自分のどこかでかはわかっていたのかもしれない?と、思い返しています。

 

しかも、落ち着いてきた頃、病院に持ってきてもらうのに、自分の化粧品の銘柄が思い出せない状態でしたし、検査の為に文字を書こうとして書けないので、普段は必要のない眼鏡を持ってきてもらったり。

一番驚いたのは、家の中の構造が思い出せない状態だったりとか。

他にももろもろ・・・・

やはり、この時に何かが壊れたような気がしています。

 

この入院した時、退院を教えて頂いた日が母のご命日だったことに不思議を感じて、その前には色々あっても、病院に通ってくれたり猫達の様子をLINEで教えてくれた夫に感謝を感じて、アップしたブログですが。

 

 

 

ところが、この大切な母のご命日でもある8月30日に、彼にお礼のLINEを入れたところ、全く返事がなく、電話をしてみても全くつながらず。

退院できるという事と感謝を伝えたくて連絡し続けた私が知ったのは、この日は彼が外泊していたという事でした。

 

そして、私が入院して思い切り自由に過ごせて外泊したりした彼は、心を決めたのでしょう。

退院できた日に彼から言われたのは、「もう一緒には生きていけない。離婚して別々に生きていきたい」という言葉でした。

 

最初は大号泣しました。

そして、どうしていいのかわからず、市の『心のクリニック』に電話して相談に乗って頂きました(この頃からなにかと親身になって相談に乗ってくれた方達とは、直接お会いしてお話しているので、今では「何かあったら相談においでー」的な関係にして頂いています)

 

でも、その頃から構音障害だけでなく、パニック障害のような心臓発作のような症状が出始めていて(これは入院時のトラウマかもしれませんが?)夫からは「障害者手帳を持てるのでは?」とい言われていましたが、この時に相談に乗ってくれた耳鼻咽喉科さんでは「今のあなたの状態では、無理だ」と言われていました。

 

『心のクリニック』さんに相談した時に「何が一番辛いのか?」を考えてみなさい、と聞かれたので、やはりまだこの時は記憶の中にいた「あなたのことが好きだから」という言葉を夫に素直に伝えました。

彼もまだ、その時は優しくは受け止めてはくれましたが・・・・・

そんなことは、やはり続きませんでした。

 

結局のところ、ひところは毎週末のように「仕事で、そのままオールカラオケに行きます」などのあからさまな(?)LINEを入れて外泊するようになっていきましたが、だんだんと横着な内容や雰囲気になっていき、ついにはその連絡もしなくなりました。

 

続いて、必ず言う習慣にしていた「行ってきます」「ただいま」もなく、いきなりとんでもない時間に帰宅したり、意外な時間に飛び出していったりし始めて。

 

ただ、夫もさすがに毎週末、日曜までは外泊は出来ず、一人で休みの日に家にいる時は、ずっと一部屋にこもっていて、私がご飯を作っても無視して、自分一人だけの分を出前館かUber Eatsに頼んでそっと食べていました。

 

この頃のことを思い返すと、今は一人と可愛い猫達とだけでの暮らしですが、特に週末になると、いつ帰宅していつ飛び出してゆくのかわからない「夫という人」がいなくなったことは心の平安につながっているのかもしれない?とも思えるようになっています。

 

しかも、愛情を持ってくれていた?ように見えていた猫さん達に対しても「この子達に何かあった時の通院だけは」と頼んでみても「それはどうかな?」と宣言していた言葉通り、あっさりと見捨ててくれました。

 

それでも、今でも毎月の25日の給与日には、生活費として5万円は入れてくれますし、まだまだローンの残っている今の家の支払い関連はし続けてくれてはいます。

けれども、インプラントを続けている(これは入院前からで、彼も賛成して始めたのですが)高額医療費もかかる私にとっては、5万円では生活はとても出来ませんし、特に電化製品の調子が悪いとドキドキしますし、私に何かが起こり、また入院?とかになった時のことを思うと不安になります。

 

けれども彼が出て行ってからは、構音障害だけでなく、ますます酷くなったパニック障害のような心臓発作も抱えて飛び込んだ今の心療内科の先生が「障害者手帳を持てるよ!」と言って下さり、その病院との出会いが、今のとりあえずは新しい職場に通えるようになれた私を助けてくれています。

 

面白いことに(?)この病院を見つけてくれたのはこの「夫という人」だったのです。

彼は私の状態から考えると、と今の病院への予約の申し込みをすることを勧めてくれて、障害者手帳を持てるはずだとも言いました。

まぁ、そこまで私が酷い状態になっているからこそ、余計にうんざりしていたのかもしれませんが。

 

彼がなぜか(いや、その後の護身の為からもしれませんが?)必死に言い張ったのは、「女性はいない」「不倫はしていない」という言葉を、「天地神明にかけて!!」とまで言ってましたが、その彼の部屋からは◯ンドームの空き箱が出てきました。

(ホットな気分になれるジェルつきだとかナントカ書いてありましたが)

 

まだ同居していた頃に、「大人のおもちゃ」を購入していたのは知っていましたが、それは自分一人で使う為だとかナントカと、その時は必死で否定していましたが、こっちは一人では使わないのでは?とは思いますね。

しかも私が自分の部屋を勝手には見ないだろうという気持ちからなのかは知りませんが、そんな空き箱までをご丁寧に残していて、そんな、とんでない神様への誓いの言葉を語っていた!という横着ぶりには、かつての優しくて誠実だった夫とは、まるで違う人格を感じています。

 

それでも、母の介護時代や仲良く楽しく一緒に色々なことに感動していた頃の記憶も確かには、あります。

 

そして、時代も状況もまるで違いますが、私の父は市役所の総務部長さんをしていた頃、まさしくいつ飲み屋に部下を連れていっては、外泊になるのかどうかすらわからない状況が続いて、母が泣いていた姿を思い出しました。

けれど、母は父を見送る時には「子供達にピアノを思い切り習わせてくれてありがとう」と感謝の言葉で最期を見送った、その母の姿は脳裏に残っていました。

 

その姿を思い出し、前回、彼が必要になったものを取りに来ることがあったので、思い切って、もろもろは飲み込んで「いつもお金を送ってくれて、この家に住まわせてくれてありがとう」と言ってみました。

 

とはいえ、彼の姿は変わりきっていました。

もともとは男性にしてはすっきりした体型で、髪も染めたりしていませんでしたが、飲み会三昧の暮らしの中で、色々と変化していった彼は、髪の色を一度抜いてから染めるというしっかりした毛染めをして思い切りの茶髪で強いパーマをかけてぐるぐるにしていました。

そしてやはり飲み会三昧の暮らしのせいか、体型も変化したように見えました。

眼鏡の奥の目はしっかりとは見えませんでしたが、以前よく見つめていた優しい瞳ではなく、冷たい光を放っていて、なぜかふと父を思い出しました。

 

そして、その直後には我が家の駐車場から、車がなくなりました。

LINEで聞くと、「使おうとしたらバッテリーが上がっていたので、修理に出すと高額だから売却の方向で」とのこと。

これは、自動車保険を解約した後なので、覚悟はしていました。

 

相談所の方に「必ず見積もりを送るように伝えなさいよ!」と言われたので、そうしましたが、全くその返事はありませんでした。

その上、今月の25日の生活費を入れてくれる日にその連絡のLINEはなく、26日に「遅くなったけど、入れました」とだけのLINEが入りました。

 

車のことを聞かれたくなかったからなのか?

25日が金曜だったので、相変わらずの飲み会三昧で私に入金するのを忘れていたのか?は、全くわかりません。

 

車の見積もりについてのLINEを送った後、見積もりではなく、お金のことで、毎月いくら私の生活にかかっているのかについての詳細が送られてきました。

(けれど、私のあの状況でこのままの家で出ていったら、その費用がかかるのは想定済みだったはずですが)

その上で「月に5万円でやっていけないなんて、きちんと節約してるのか?」と問われ、日々使ったレシートを共有アプリに入れるように!と、言ってきたのです。

 

おかげで、せっかくの友達のランチやご飯でも、状況を知ってる人ばかりなので、ご馳走になってばかりで、なんとも申し訳なくて。

「今度は私がご馳走するからねー」という言葉が簡単には出せないのが、本当に辛いです。

 

なぜお金についてこんなに厳しく言うようになったのかは、わかりません。

世の中全体が値上げ状態なので、彼もその影響を受けているからかもしれませんが。

もしくは「障害者手帳を持てた」ことで、映画や色々と割引を受けられるようになったので、私があちこちに遊びに行くとか思ったのでしょうか?

 

でも、心療内科の先生には、一月に一度くらいは「大画面で見て元気つけたいな」と思える映画があれば見に行くことや、好きだと思える美術展に行くことは勧められています。

 

とはいえ、日々を過ごしていて一番心配なのは猫さん達のこと。

もしも病気になってタクシーを使っての受診になったら?

(その為に今くらいの時期ならばと、自転車を練習しようと思っていますが、まだまだめまいが続くので、まだ猫を乗せての自転車は難しそうです)

それにもしも私がまた、入院するようなことになった時は?

 

けれども、こうやって書いていくうちに自分の心の中で何かが整理されるような気もしています。

 

相談室の方に勧められ、いつかの日の為に「記録ノート」をつけるように言われていたのですが、やはり「これが母だったら?」と、母の姿や言葉を思い出して、色々と日記のようにつけていたノートを一度破棄してしまいました。

 

そのことに対しての悔やむ気持ちはありませんし、もういつかの日が来ても、自分が優位に立ちたいとか、そういう気持ちもありません。

ただ、イーブンではありたいとは思うのです。

 

彼が母の介護をいかに一緒に献身的に頑張ってくれていたか?は、本物だったと思いますし、頚椎ヘルニアでの痛みの神経根ブロック注射によりそい、腰椎すべり症の時は本当に苦しくて怖くて、けれども夫がとても優しくケアしてくれたので、「苦しいけども幸せ」だと彼に心から感謝した日があったことも事実なのです。

(ただ、この頃のことは彼にはかなり辛かったりしたようで、怒りとして残っている部分もあるようです。腰椎すべり症の為、私は休みを取っていた二人で一緒に習っていたバレエの日に、私が痛みが酷くて不安になり「そばにいて欲しい」と言って、彼にも休みを取ってもらったことなども、かなり怒っていましたので)

後から「あの日は、結局はたいしたことがなかっただろう」と責められました。

私は、やっぱり彼がそばにいてくれたおかげで無事に過ごせた・・・と能天気に考えていたのですが。

 

夫婦のすれ違いというものの怖さ、いえ、人は変わるのだということの怖さをひしひしと感じてはいます。

 

というか、そもそも、その人の中にあったものを我慢して抑え込ませてきてしまった結果?なのかもしれませんが。

彼がよくハンドルネームにしていた「なたらーじゃ」という名前は、インドの神様の名前で、シヴァ神が舞踊の神様になった時の名前ですが、それこそ、その人の奥底の姿を破壊してまでも出してしまう、晒しだしてしまう、破壊の神様の象徴なので、なんだか不思議にも思えます。

 

実は、神経根ブロック注射を受けに行くと、必ず先生が「今日はご主人は?」と心配そうに聞いてくれます。いつも必ず付き添ってくれていた彼が来やすいようにと、わざわざ未だに土曜日に予約を入れ続けてくれている先生。

多忙な先生なので、簡単に「土曜も仕事になったんです」と返事していましたが、先日、アメリカ在住で帰国してきた友達から「なぜ、そんなことを言うの?彼は家を出て行きました、でいいじゃないの?」と、言われてしまいました。

そう。ブロック注射も別に土曜日である必要はないのですから。

 

それに、あぁ、そうなんだ・・・・・

と妙に納得して、ここでもカミングアウトしてしまおうと思いました。

 

 

こちらのブログを読んでは、色々と心配して連絡をくれて、今の状況をきちんと伝えてなかった方達には、改めて、感謝をお伝えしたいと思います。

 

もちろん、まだまだ不安はいっぱいありますが、けれども、あのままの彼と同居していたらもっと私の具合は悪くなっていたと思いますので、とにかく、新しい職場で優しい方達に囲まれて、おたつきながらお仕事を頑張っています!!

 

また、障害者手帳などを活用して、楽しみも持ちたいとも思ってもいますし、時には末席でも大好きな「これだけは!」的な公演やコンサートにも行けるようにも稼ぎたいとも思っています。

幸い、『話し方教室』の先生は、事情を理解して特別に無料で私を呼んでくれたりとか、友達も含め、本当に人間関係には恵まれています。

パニック症状は、薬の効果や集中して仕事していることもあるせいかで、かなり落ち着いてはきています。

 

後はこの構音障害を改善してゆきたい!!

日々襲ってくる頚椎ヘルニアの痛みですが、これは頑張ってブロック注射での通院を続けるしかないとは半ば諦めてはいます。

 

色々とありますが、心療内科さんではカウンセリングも受けていて、そこで色々と相談やアドバイスを頂くことも多々ありますし、なによりもこの可愛い猫さん達を守っていきたいとも心に決めています。

 

今は一人暮らしの方がとても多い時代。

気の合う仲間や、私より酷いモラハラを受けて離婚して、けれども、今は推し活で元気もらいながら頑張ってる前の職場の友達からもよく励ましを頂いたりもしています。

 

私も彼女達を見習って、しっかりと心強く、そして明るく、そしてこれからも感動できる、楽しい時間を大切にしてゆきたいと思っていますキラキラキラキラキラキラ