エリザベート王妃国際音楽コンクールも、終わりました。
結果はクラシックやピアノ好きな方ならばご存知の通りです。
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5位に入賞されて、もうコンクールは終わりだと宣言された亀井聖也さんや、準優勝された久末航さん達を始め、後でアーカイブを追いながら、このコンクールを聴く時間は、これからが楽しみなコンテスタントの、見事な演奏に心が踊るひとときになりました
それにしても、やはり新曲というのは難しい。
不協和音の波のような中で、疲れている時は頭に響いてくるように思えてしまい、やっぱり聴き慣れてるラフマやプロコフェフやサン・サーンスのピアコンの方を聴いてしまう。
そして、コンクールになると、やはり思わず、音楽に点数や順位というのはどこまでが?という気持ちが湧き上がってしまいます・・・・
私自身が、相変わらずの体調管理に四苦八苦しながらの毎日なので、仕方ないのかもしれませんが。それでも、このようなコンクールなどからも、元気を頂いています。
先日、長島茂雄さんの訃報で、ふと、父のことを思い出しました。
父はまさしく、長島さんや王さんの世代ですので、家でゆっくりしている時には、野球や大相撲を真面目に見ていた、その姿が思い出されました。
「世紀が変わる時を楽しみにしている」と語った父は、思いがけず、その世紀の変わり目を体験することもなく、早くに逝ってしまいました。
この家に生まれてよかった!と思うのは、クラシック音楽好きに、読書好きに育ててもらえたこともそうですが、大河ドラマを見る習慣をつけてくれたこともその一つです。
それにしても、今年の大河『べらぼう』は、なかなか面白い。
NHKも責めてるなぁ・・・・・と思いながら、私にとっては楽しみながらも、初めての知識が積もってゆくような「ありがた山」な放映になっています
朝ドラ『あんぱん』は、いよいよ戦争の描写が描かれて、辛い時期が続きそうですが、あちこちから史実について読む事が出来るので、今回もまた、原作というか、やなせたかしさんについての本を読みたいような気がしながらも、まずは『あんぱん』を見終わってからにしよう、とも思っています。
やなせたかしさんが亡くなった時にブログに書いた記憶がありますが、私にとっては、やなせさんは『詩とメルヘン』の編集長さんのイメージが未だに強いまま。
学生時代、いつも『詩とメルヘン』を貸してくれる仲良しの古典の先生がいらしたのですが、その先生と『詩とメルヘン』について語り合った事を思い出しながら、その先生も『あんぱん』をご覧になってるかなぁ?などとも楽しく想像しています。
『詩とメルヘン』の表紙は、大きな風景の中で必ずといっていい位、細身のカップルがいるのです。
今思うと、あのカップルはやなせさんご自身と奥様ののぶさんだったのだろうか?と、懐かしく考えたりもしています。
これからの展開は厳しいのだろうと思いながらも、今年は戦後80年です。
しっかりと見続けたいとも思っています。
そういえば、出発していく旦那様にも、本音ではなく、愛国の鑑としての言葉しか出せなかったのぶさんですが、同じこの時代に学校の先生になっていらっしゃった三浦綾子さんが、敗戦後、子供達に教科書に墨を塗るように指導したりする中で、重すぎる罪悪感で、非常に苦しんだ経緯を、自伝『道ありき』に書かれていらしたことも思うと・・・・戦後ののぶさんはどう描かれるのか?も気にかかります。
戦争が終わり、日本がどんどんと高度成長していく中で、「私は本当に平和で豊かないい時代に生まれた」と思っていましたが、本当はどうなのでしょうか?
色々な物が驚くような発展をし続けて、便利にはなってはいるのですが、世界中が知っているのに、その中でも堂々と戦争が続けられていて、それに、色々なニュースを見ていると、私の寿命が尽きる頃にはどうなっているのかな?と不安になったりも。
長嶋さんは野球の星に帰られた、とはぴったりの表現ですが、本当は本当はどうなのでしょうか?
戦地でお亡くなられた方達ももちろん、母は今はどうしているのだろうか?
とか、色々と発達し過ぎた?と思うような中であっても、決して誰も正確には語ることが出来ない、それでいてどんな人であっても、絶対にいつかは訪れる、最期の時。
その時が来たら、私はどうなるのだろうか?
人は一人で生まれて一人で死んでゆく、とは昔からよく言われた言葉ですが。
私は一人でどんな世界に行くのだろうか?