「名は体を表す」、とは言いますが、

ラクシュミーちゃん、

その名はヒンディー教の女神様の名前で、美と富、繁栄、幸運を司り、日本では吉祥天にあたります。

 

そもそもの名前の付け方が、最近、本当に似合っている?と思うことが増えましたラブラブ

 

ウィリアム・モリスのお馴染み『いちご泥棒』の模様の掛け布団と一緒に撮っていると、、、

まるで、あのラファエル前派の美人のように見えてきますドキドキ

 

 

 

 

 

う・・・美しい・・・

 

 

喉を触るとゴロゴロと音譜

なぜにあなたはこんなに美しいの?と、なんだか可愛いすぎて怖いような気持ちにすらなります汗

 

こちらはルクミニーちゃん。

 

 

こちらの名前は、ラクシュミー様の魂が、クリシュナ神様の奥様になる為に降りて来た時の名前なのだとか。

なので、二匹は繋がっているはず!なのですが、なぜか?なかなか一緒に寝たりとかはしないのです?

 

二匹だけになってしまった姉妹なのに?

 

それどころか、このルクミニーちゃんはエアコンがついていない場所で寝ていたりするので、本当にラクシュミーちゃんとは別の意味で心配させられます^^

 

 


暑いにゃあ🥵



そりゃ暑いでしょ!と、エアコンの部屋で一緒に寝かせると気持ち良さそうに寝ますが。

 

 

せっかく一緒に寝てるのだから、グルーミングしあう姿とかを期待しているのですが、なかなかそういう事はし合わないので、少し寂しくなってしまいますが、私も入れてもらって、「三位一体✨」とはよく思っています。

 

どうか、出来るだけ幸せに、元気で長生きしてねラブラブと、祈りを込めて✨

 

最近、思いもかけない事が起こり、今、残念ながら退職を考えています。

本当に残念で、それに悔しいと思ってしまう部分もありますが、今は自分の健康を取り戻す事に専念しましょうね!と、いつもお世話になっている先生達からもお話してもらっています。

お仕事については、色々と探しながら、今の自分でもしっかりと続けてゆけるように、模索中という段階で。。。。

 

そんな中で迎えた、やはり心のどこかでざわざわしてしまう7月5日という日。

私の知識は、本屋さんで山積みになっていた本を軽く立ち読みした程度ですが、やはり、その日を迎えてみると、普通に朝があけていて普通に起きられた、普段通りの一日が迎えられることを幸せだと感じながら、一日が何事もなく、無事に終わるようにと祈りながら過ごしました。

 

もちろん、続く地震のニュースが速報で流れるたび、心がざわざわしましたが、現地で暮らしていらっしゃる方達の不安や状況を思うと、普段通りの日常を過ごせる事の幸せを噛み締めずにはいられませんでした。

 

この日は、だんだんと毎年、放映時期が遅くなっていくのでは?と心配になっていた(毎年時差が大きくなっていく?)けれども、今年も丁寧でわかりやすい山本康介さんの解説に聞き入りながら見つめる、『ローザンヌ国際バレエコンクール』のTV放映がありましたので、その放映をいつも通りにじっくりと見られる、それ自体が幸せでした。

 

それにしても、先日はせっかくの777の七夕だったというのに、七夕とは思えない猛暑が続いています。

とはいえ、この猛暑は日本だけではない、世界的なレベルの問題で、それを考えると、色々な怖さも感じてしまいますが、、、、

 

けれども、先週放映された『べらぼう』での天明の大飢饉につながる浅間山の大噴火の為、空から灰がガンガンと降ってくる状態の中でも、それを好機に変えてしまえる主人公の姿を思い出したり、今週の放映では、思い切り今の米騒動とリンクする内容でしたので、「歴史は繰り返す」という言葉を思いながら苦笑したりも。

 

この情報が溢れんばかりの世の中で、いかに自らの手で触れて、実際に感じられる幸せが大切なのか、という事を考えさせられているということも事実です。

 

自ら触れるといえば・・・・

この猛暑で、エアコンの温度設定や猫さん達の様子については、以前よりも少し神経質になっているかもしれません。

でもだからこそ、こんな姿で寝てくれている姿を見せてくれると嬉しい🐱✨

 

 

 

 

扇風機と一緒にくつろぐ、ラクシュミーちゃん💕

 

なぜか、エアコンの部屋から外れた場所で寝てるルクミニーちゃんは、時々心配になるので、ブラッシングしながらも熱中症っぽくないか?吐いたりしていないか?などとチェックを入れますが、それだけに二匹一緒にエアコンの効いたお部屋でくつろぐ様子が見られるとホッとします。

 

 

 

エアコン設定、OKですにゃん♫

 

結局のところ、『赤毛のアン』の中での真珠のネックレスのたとえを真似ると、本当に幸せな日というのは、特に素晴らしい事や胸をすくような事がある日ではなくて、真珠がひとつずつ、そっと糸から滑り落ちるように、ありふれた、小さな喜びを持ってくるような普段の日々の事をいうのだなぁ✨と、改めて感じる時間を過ごしています。

 

色々な気持ちを乗り越えて、やっとモンゴメリが、厳しい人生の中で書かれた文章の力にも、改めてエネルギーを頂いています。

 

 

エリザベート王妃国際音楽コンクールも、終わりました。

結果はクラシックやピアノ好きな方ならばご存知の通りです。

 

 

5位に入賞されて、もうコンクールは終わりだと宣言された亀井聖也さんや、準優勝された久末航さん達を始め、後でアーカイブを追いながら、このコンクールを聴く時間は、これからが楽しみなコンテスタントの、見事な演奏に心が踊るひとときになりました音譜

 

それにしても、やはり新曲というのは難しい。

不協和音の波のような中で、疲れている時は頭に響いてくるように思えてしまい、やっぱり聴き慣れてるラフマやプロコフェフやサン・サーンスのピアコンの方を聴いてしまう。

 

そして、コンクールになると、やはり思わず、音楽に点数や順位というのはどこまでが?という気持ちが湧き上がってしまいます・・・・

 

私自身が、相変わらずの体調管理に四苦八苦しながらの毎日なので、仕方ないのかもしれませんが。それでも、このようなコンクールなどからも、元気を頂いています。

 

先日、長島茂雄さんの訃報で、ふと、父のことを思い出しました。

父はまさしく、長島さんや王さんの世代ですので、家でゆっくりしている時には、野球や大相撲を真面目に見ていた、その姿が思い出されました。

「世紀が変わる時を楽しみにしている」と語った父は、思いがけず、その世紀の変わり目を体験することもなく、早くに逝ってしまいました。

 

この家に生まれてよかった!と思うのは、クラシック音楽好きに、読書好きに育ててもらえたこともそうですが、大河ドラマを見る習慣をつけてくれたこともその一つです。

 

それにしても、今年の大河『べらぼう』は、なかなか面白い。

NHKも責めてるなぁ・・・・・と思いながら、私にとっては楽しみながらも、初めての知識が積もってゆくような「ありがた山」な放映になっていますアップ

 

朝ドラ『あんぱん』は、いよいよ戦争の描写が描かれて、辛い時期が続きそうですが、あちこちから史実について読む事が出来るので、今回もまた、原作というか、やなせたかしさんについての本を読みたいような気がしながらも、まずは『あんぱん』を見終わってからにしよう、とも思っています。

 

やなせたかしさんが亡くなった時にブログに書いた記憶がありますが、私にとっては、やなせさんは『詩とメルヘン』の編集長さんのイメージが未だに強いまま。

 

学生時代、いつも『詩とメルヘン』を貸してくれる仲良しの古典の先生がいらしたのですが、その先生と『詩とメルヘン』について語り合った事を思い出しながら、その先生も『あんぱん』をご覧になってるかなぁ?などとも楽しく想像しています。

 

『詩とメルヘン』の表紙は、大きな風景の中で必ずといっていい位、細身のカップルがいるのです。

今思うと、あのカップルはやなせさんご自身と奥様ののぶさんだったのだろうか?と、懐かしく考えたりもしています。

 

これからの展開は厳しいのだろうと思いながらも、今年は戦後80年です。

しっかりと見続けたいとも思っています。

 

そういえば、出発していく旦那様にも、本音ではなく、愛国の鑑としての言葉しか出せなかったのぶさんですが、同じこの時代に学校の先生になっていらっしゃった三浦綾子さんが、敗戦後、子供達に教科書に墨を塗るように指導したりする中で、重すぎる罪悪感で、非常に苦しんだ経緯を、自伝『道ありき』に書かれていらしたことも思うと・・・・戦後ののぶさんはどう描かれるのか?も気にかかります。

 

 戦争が終わり、日本がどんどんと高度成長していく中で、「私は本当に平和で豊かないい時代に生まれた」と思っていましたが、本当はどうなのでしょうか?

 

色々な物が驚くような発展をし続けて、便利にはなってはいるのですが、世界中が知っているのに、その中でも堂々と戦争が続けられていて、それに、色々なニュースを見ていると、私の寿命が尽きる頃にはどうなっているのかな?と不安になったりも。

 

長嶋さんは野球の星に帰られた、とはぴったりの表現ですが、本当は本当はどうなのでしょうか?

 

戦地でお亡くなられた方達ももちろん、母は今はどうしているのだろうか?

とか、色々と発達し過ぎた?と思うような中であっても、決して誰も正確には語ることが出来ない、それでいてどんな人であっても、絶対にいつかは訪れる、最期の時。

 

その時が来たら、私はどうなるのだろうか?

人は一人で生まれて一人で死んでゆく、とは昔からよく言われた言葉ですが。

私は一人でどんな世界に行くのだろうか?