9月16日はT.Rexのマーク・ボランの命日。今年で亡くなって42年になりますが、世界で一番長く続いている追悼イベントが、ラーマアメーバの秋間さん主催『グラムロックイースター』です。没後10年(1987年)からスタートして、毎年欠かさず、今年で33回目!



パディは、Cuddly ToyZのベースのルディと会場の渋谷Club Asiaへ。



T.Rexの定番曲はもちろん、軽快なアレンジになっていた「Country Honey」や、デイブ・コクラン&イヤーウィッグス(マークの変名バンド)の「Oh Baby」 なども印象的で、いつもながら最高に楽しかったです♪

ティラノザウルス・レックスの曲を中心にした秋間&石田のアコースティック・コーナーでは、秋間さんが入手したばかりのAntoriaのギターを初披露。



これはマーク・ボランが使っていたのと同型で、とてもレアな逸品とのこと。繊細な音色が美しかった。
マークが演奏している様子は、映画『Born To Boogie』の中で見ることができます。



春先から体調不良が伝えられてた石田さんも、回復していて良かった〜😊

今年も、最高なボラン・ブギーで盛り上がりました❣️💫

with 秋間さん


with パンタさん


with ブギーくん



シスター・ポールの2人が参加した、ドクターズ・オブ・マッドネスのニューアルバム『DARK TIMES』発売記念日本ツアー、東京公演の2日目@ZONE-Bに行ってきました。





1年ぶりに再会したリチャード、めちゃくちゃ元気!💪




ドクターズ・オブ・マッドネスのリズム隊としてロンドンでレコーディングしてきたススムさんとマッキーさんの演奏、シスターポールの時とは違う種類の「熱」を感じました。



ニューアルバムは、リチャードが「ポリティカル」と紹介したように政治や社会問題をテーマにしていて、ステージはとてもアグレッシヴ。

1970年代半ばの英国ロックシーンで、グラムからパンクへ続く流れに軸足を置いたリチャードの反骨精神は、今なお健在です。



あと、長身で痩せ型の彼が、「僕のこれまでの人生で『バンド内で一番のデブ』だったことは一回もないんだけど……。今はバンドで一番デブなんだよ! ススムもマッキーも細すぎる!」とぼやくMCに笑いました。




共演バンドも気合いが入ってて、熱かったです!

らいむらいと、この日は急遽の2人編成でしたが、その世界観は揺るぎなく、静かに燃えるような気迫のグルーヴ🔥
「ひとつだけ」はドラマチックで良い曲だなぁ。






ラウドでブルージーな9000 SONICSからは、マグマのような熱気と迫力が!🔥
「所沢に女を殺しに行く…」と歌う曲があって、パディはこの曲で「所沢」という地名を覚えたのでした。






ロックンロールの多幸感あふれるキラキラした放熱で会場を包んだDannie B Good🔥
みんなの顔が自然とほころぶ、遠赤外線みたいな心地よさに気分が上がります♪






どのバンドからも映画のシーンのような情景が浮かんできて、複数の映画(らいむらいと=ATG映画、9000 SONICS=任侠もの、Dannie B Good=青春映画、ドクターズ・オブ・マッドネス=社会派ドキュメンタリー)を一気に鑑賞した気分。

熱気と刺激に満ちた『DARK TIMES』の夜でした!





8月31日はZONE-Bの「The☆Pink'99復活祭」へ!





リーダーの渋田さんとパディは池袋手刀で知り合ったんだっけ? リハのスタジオでも会ったりして、いつかライブを見たいと思っていたので復活をお祝いに🎉


出演バンド、みんなインパクト強く、超個性的で楽しかった✨



以前、別バンドで対バンしたあすかちゃん(RIOT MISSILE)がチョコレートスラッジに参加してモフモフしていたり、



DAMED、とにかく面白くて☆



歌をじっくり聴きたくなるスネメガマフィー♪



ブラックメタルのAPOLOGISTはヴォーカルの衣装というか装備(武器?)がすごかった⚡️⚡️⚡️



パディの大好きなボンクラ、相変わらず最高!



ボンクラのリズム隊のお姉さんたちと✨




The☆Pink'99は直球PUNK! めちゃくちゃ盛り上がりました!










暖かくて、復活の祝祭感あふれる夜でした😊



8月28日の夜、パディは原田千栄(ちえぞう)&吉本匡孝のユニットによる『ケイト・ブッシュ・ナイト@錦糸町アーリー・バード』へ。





1977年、「ピンク・フロイドのディヴ・ギルモアに見出された天才少女」としてデビューしたケイト・ブッシュ。



透き通るハイトーン・ヴォイスで幻想的な自作曲を歌い、デビュー・シングルの『Wuthering Heights(嵐が丘)』は全英チャートNo.1を獲得。一躍有名になりましたが、やがてライブ活動を封印してスタジオワークに没頭するなど、表現者として独自の道を追求してきた人です。

デヴィッド・ボウイと同様、マイムのリンゼイ・ケンプに師事していたことから、デビュー当時は「女版ボウイ」と呼ばれていたり。風変わりな人ですが、イギリスではアルバムを出すごとに高く評価され、数年前には大英帝国勲章を受賞しています。

パディはロンドンで、ケイト・ブッシュのデビューからの快進撃をリアルタイムで見聞きしていて、アルバム『The Kick Inside』もよく聴いていたそうで、「ケイト・ブッシュ大好き!」とのこと。



今の日本で、彼女は有名とは言い難いけれど、「嵐が丘」がテレビ番組『恋のから騒ぎ』のオープニング・テーマに使われていたので、歌声を知ってる人は多いはず。

とはいえ、ケイト・ブッシュの楽曲は低音域から高音域までを網羅、変拍子や一筋縄ではいかないアレンジが多く、再現性のハードルが高すぎて「誰もカバーできないよね〜」と思われていたのも事実でしょう。



ところが……! ちえぞう(Vo)と吉本くん(Gu)のユニット「299(ニクキュウ)」がケイト・ブッシュをカバーする企画をやっている、と! 

かつて、秋間さん率いるAKIMA & NEOSのメンバーだったこの2人ならセンスも技術もバッチリ♪

この日は、ピアノ含めて3人というミニマムな編成で、ケイト・ブッシュの世界を展開。ちえぞうは原曲キーのまま(!)自在に歌いこなすし、吉本くんのアレンジは美しく情感にあふれ、ゲストの野口さんのピアノは小粋に。サックス奏者のお店のマスターが参加する曲もあり、錦糸町に英国の森や妖精が出現した一夜でした🌙✨



「ケイト・ブッシュの曲は美しいけれど、気色悪いよね(笑)」という吉本くんのMCにも深く共感。すごく綺麗で、すごく変。それがケイト・ブッシュの魅力かな💕

なお、お店のフードメニューには北海道のヨシツネ・ジンギスカンがあって、ラム肉好きなパディが食いつきました! イギリスのラムより臭みがなくて美味しかったそうです😊🍖








映画『グッド・ヴァイブレーションズ』を観ました!



1970年代末、THE UNDERTONESやRUDIなど、北アイルランドのパンクバンドを世に出したテリー・フーリーの半生を描いた映画で、彼のレコード店(レーベル名も)がGood Vibrations。パディはRAPEDのベルファスト・ツアーの時、この店に行ってテリー本人にも会っているので「なつかしい!」を連発していました。

北アイルランドで多くのパンクスの人生を変えたこの店、実はパディにとっても重要な、ある意味で「救われた場所」なんです。

パディの「ベルファストでの危険体験」は、本人がインタビューで話したりしてますが、この映画を観て思い出したこともあるので、改めて「パディのクリスマス危機一髪@ベルファスト1978」のエピソードをまとめました。(以前、FacebookのCuddly ToyZページに「Glam Punk Xmas Gigの思い出」として書いたものに加筆しています)

-----------------------

1977年にパディが加入したパンクバンドRAPEDは、同年12月に4曲入りデビュー・シングル「Pretty Paedophiles」を、1978年にはセカンド・シングル「Cheap Night Out」をリリースして、ロンドンのパンクシーンではけっこう知られた存在になっていました。









同時にトラブルも勃発。インパクトを狙い過ぎてデビュー盤に「小児性愛」という言葉を使ったことと、「自分たちは社会的にレイプされた存在」という意味を込めていたバンド名が誤解を呼び、「子どもへの性的虐待を肯定する変態バンド!」とメディアから大バッシングを受けたのです。

パンクの自主盤を多く扱うラフ・トレードでさえ、「こんなものは売らない!」と店先で「Pretty Paedophiles」を燃やし、一方で小児性愛者グループが「自分たちのためにライブをやらないか?」と接近してきたり。スキャンダラスなイメージが先行して、今で言う「炎上」状態に!

パンク・シーンでは人気が出て、ファンも増えてきたものの、RAPEDが出演すると会場に抗議が殺到するので事前告知ができず、シークレット出演が多くなります。1978年12月20日はレインボーシアターで、アダム&ジ・アンツやUK SUBSと対バンしていますが、そのフライヤーは直前まで「RAPED」の部分を空白にしていたそうです。



そんな時、北アイルランド出身のRUDIが、「俺たち、クリスマス前にベルファストに帰るんだけど、向こうで一緒にギグやらない?」と誘ってくれて、1978年12月21日と22日、「RAPEDとRUDIのクリスマス・ギグ@ベルファスト2days」が実現。RAPEDは、翌年からバンド名をCuddly Toysに変えることを決めていたので、このツアーがRAPED名義での最後のライブになりました。



レインボーシアターのライブを終えたパディたちは、機材車でロンドンからリヴァプールへ。そこからフェリーに乗ってベルファストに上陸。初日は映画に登場したライブハウス「Pound」に出演し、「ロンドンから来たパンクバンド、かっこいい!」と地元のオーディエンスに大歓迎されます。2日目も盛り上がり、ツアーは大成功。そして、お客さんから「今夜、パーティーがあるから来いよ」と誘われたパディとショーンは、「面白そう! 行く行く〜♪」とついて行ったのでした。

ところが、当時のベルファストは彼らの想像以上に危険な街だったのです。1970年代の北アイルランドでは独立問題や宗教対立で激しい紛争があり、ベルファストでもさまざまな武装組織が衝突を繰り返していました。

そのパーティーで最初は楽しく過ごしていたのですが、参加者の中にはイギリスを敵視する独立派もいて、「おい、なんでイギリスの奴らがここにいるんだ?」と気まずい空気に……。パディたちが「じゃあ、もう寝よう」と用意された部屋に引き上げると、そこに2人の女の子がやって来ておしゃべりを始めます。

と突然、ドアがバーンと開き、「何やってんだよ!?」と女の子の彼氏登場! 「ちょっと話してただけじゃない!」「ふざけんな、あいつらが誘ったのか?」と痴話喧嘩が始まり……。なんと、その彼氏、過激なテロで有名な「IRA」のメンバー。そのIRA彼氏が「イギリス野郎、ぶっ殺す!」と叫び、女の子が必死に止めています。ショーンの顔色が変わり、「パディ、逃げるぞ!」

「IRAなら武器を持ってるし、一度、殺すと言ったら絶対に殺すから」とショーンに説明されて、さすがのパディも震え上がり、窓から外へ脱出! 背後から「どこ行った?」「探して殺せ!」の大声。IRA彼氏と仲間たちも外へ飛び出し、車に乗ってパディとショーンを追跡してきました! 厳寒のベルファストでサーチ&デストロイ!

ベルファストは北緯54度の寒冷地で、12月末の寒さはロンドンの比ではありません。しかし、泣く子も黙るIRAメンバーが「許さん、殺す!」と追ってくる……。パディとショーンは震えながらひたすら逃げて、まるで映画やドラマの脱走犯のように、車が通るとライトに当たらないように物陰に身を隠し、通り過ぎると再び走り、また隠れ……。「捕まったら絶対に殺されると思った。本当に怖かった〜!」と、パディは今でも言います。

2人は大きな工場の明かりを見つけて駆け込みます。守衛さんに頼んで、マネージャーに電話して迎えに来てもらおうと思ったら、なんと連絡がとれない! 実は、宿泊先のホテル近くで爆弾テロがあり、マネージャーと他のメンバー(トニーとフェビアン)は安全を考えて別のホテルに移動していたのでした。

途方に暮れた2人は警察を呼ぶことに。やってきた警官はいきなり2人に銃を向けて「Hold up!」。警官にすれば、パディたちは不審者です。まず、武器や爆弾を持っていないかチェックされて、「自分たちはロンドンから来ていて、誤解からIRAに追われている」と事情を説明し、やっと保護してもらいました。

「保護」といっても留置所で一泊です。留置所は厚さが数10センチもある鉄の扉と壁の中で、「中の人間が、外から殺されないように丈夫に作ってあるんだよ」と警官が教えてくれました。ベルファストでは、IRAと対立して警察に逃げ込んでくる人たちがいて、そんな人たちを殺すために留置所に爆弾が投げ込まれるのだとか……。あとでわかったことですが、パディとショーンがパーティーに行った家のあたりは、ベルファストの中でも有数の危険地帯でした。

翌朝、警察からRUDIのレーベルを通して、RAPEDのマネージャーに連絡がつき、待ち合わせに指定された場所がレコード店「Good Vibrations」なのです。

「あの店でやっとバンドと合流できて、本当にホッとしたんだよ〜」とパディ。おそらく、テリー・フーリーが警察の問い合わせに対応してくれて、店を集合場所にしたのだと思います。ありがとう、テリー! 



無事にロンドンに戻ることができたRAPEDは、1979年からCuddly Toysとして活動をスタートします。もし、ベルファストでショーンとパディが殺されていたら、Cuddly Toysは存在せず、ボウイとボランの共作「Madman」やアルバム『倒錯のギロチン・シアター』がリリースされる事もなかったでしょう。



映画『グッド・ヴァイブレーションズ』には、THE UNDERTONESの「TEENAGE KICKS」を最初に評価したキーパーソンとして、DJのジョン・ピールが登場しますが、パディたちにとってもジョン・ピールは恩人です。

RAPEDが世間からバッシングされている中、BBC Radio 1で「Moving Target」をオンエアしてくれて、バンド名の変更を相談した時も、「今の過激な名前と真逆のかわいい名前にしろ、皮肉を込めて」とアドバイスし、いくつかあった候補から「Cuddly Toys」を勧めてくれたのでした。





あの時代のパンク・シーンにはテリー・フーリーやジョン・ピールのような「自分の耳を信じる大人」がいて、若い子たちの感性を過小評価せず、いろんな潮目を変えていったんだなぁ、と映画『グッド・ヴァイブレーションズ』を観て改めて感じました。