(日々)紫陽花について | ♪トラベラーズノートと万年筆と文房具とガチャと100均が好きなパパのblog

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庭に
白い紫陽花(あじさい)が咲きました


名前もよく知らないのですが
妻が植えたらしく
花が咲いて喜んでいました

紫陽花(あじさい)は
原種は日本のガクアジサイとされており
園芸用のホンアジサイが生まれ
それが西洋に渡ってセイヨウアジサイに
なったようですが
北米にもあじさいの種類があるようで
ヨーロッパで発見されたのが
北米原産のアメリカノリノキであったことから
「アジサイ属」の名前は
そちらからHydrangeaと定められているようです

ここら辺の紆余曲折については

「げたにれの”日日是言語学”」
と云うblog記事が非常に面白かったです

3つ目の記事です

流れをまとめてみたら
かなり面白いです


後々になって
同じ種類だと判明することで
「アジサイ属」が統合され(1830年)
ツンベルク(出島の三学者のひとり)の
発見した「ホンアジサイ」(1784年)の
属名が変更になるとか

シーボルトが
現地妻(楠本瀧、お滝さん、芸名「其扇」)の
名前を付けたと
「日本植物学の父」牧野富太郎が言った
Hydrangea otaksa Siebold et Zucc
の名前は
既に先述のツンベルクが発見していたので
幻の名称となっていたこととか

同じくシーボルトが見付けた
「ガクアジサイ」については
Hydrangea azisai Siebold et Zucc
と”アジサイ”と学名に入っていましたが
当初「ホンアジサイの変種」である(1923年)
とE.H.ウィルソンに言われ
シーボルトの名前も”アジサイ”の名前も
消えてしまいました

しかも後年
「ガクアジサイの方が原種」と
原寛が発表したため(1956年)
更に名前が変更しています

ちなみに
シーボルトが「ホンアジサイ」に名付けた

Hydrangea otaksa Siebold et Zucc

ですが
”「otaksa」は「お滝さん」じゃない”
なんて意見もネットで見たのですが

東京ズーネットさんの調べのよると
アジサイの学名を検討する際に
「sonogi」か「otaksa」で悩んだ手稿の形跡が
あるらしいので
矢張り「お滝さん」から来ていると思います

牧野富太郎先生は
シーボルトが恋人の名前を
学名に付けたことについて
「命名に私情を挟むのは花の神聖を汚す」と
強く批判されていたのですが
後年
亡くなった妻の寿衛子さんを偲んで
新種の笹に「スエコザサ」と命名しています

もう少し雑談を入れると
シーボルトの娘「楠本イネ」ですが
父の姿を追ってか
後に「日本人初の女性産科医」となります

司馬遼太郎さんの著作「花神」では
天才軍略家、大村益次郎(村田蔵六)と
プラトニックな恋愛関係で描かれています

しかし
楠本イネさんは
シーボルトの門下でイネの師である
石井宗謙に強姦され
娘、楠本高子を出産します

お滝さんの下で育った楠本高子も
医師である夫の死後に
産科を学びますが
医師片桐重明に強姦され
息子、周三を出産し医業の道を断念します

高子はその後再婚し
子宝に恵まれますが
二代続けて医師に強姦されるとは
何とも言えません

庭に咲いた紫陽花の花から
つらつらと
考えてみたお話です