微熱亭快楽丸航海日誌 -4ページ目

微熱亭快楽丸航海日誌

徒然なるままに、何処からか微風が・・・

 快楽丸の節煙生活で気が付いたこと。いままで昼寝というか朝寝をしていたのであるが、これが良く寝られるようになったのである。たぶん呼吸器官の関係ではなかろうか、と勝手に良いほうに解釈している快楽丸なのであるが、さて本日はどんよりとした気がめいるようなお天気きではなかろうか?つまり「憂鬱な日曜」というやつなのである。こんな日は寝てすごすか飲んですごすかに相場が決まっているのであるが、快楽丸の場合はNETで遊ぶことに決めている。睡眠で思い出したが、さっき夢を見た。某100円ショップでタバコを吸いながらレジに並んでいるのだ。夢で禁断症状を補間する行為をしていたことになる。普段ならここで一服だが、我慢する。

 さてライブドアはフジの株を45%まで買い進んでいるようだ。まもなく50%を超えることは確実であろう。TOYOTAはフジの増資した株の買取を拒否しているとのこと。当たり前だ。こんなごたごたしている会社の株なんざ買って企業のイメージが悪くなったらそれこそ問題なのである。フジはもうほりえもんのモノになったも同然なのであって、いまさら悪あがきをしても見苦しいだけだろう、ねえフジさん。株式会社なんて買ったり売ったり出来るから意味があるので、突然買われて経営権が移るなんて当たり前なのである。それがいやなら株を公開しなければよいだけの話。あとはあの西武の堤さんのように牢屋に入ればよろしい。大体が株式会社は株主のもので経営者はサラリーマンなのだ。

  オーナーで大株主というのは良いときは良いが問題が起こると見苦しいことになりかねない。ワンマン経営をしたいなら株なんか公開せずに家族で経営でもしていれば世間に迷惑がかからない。それかあらぬか家族や兄弟での争いを世間にさらす愚だけは謹んで頂きたいものである。
節煙生活の記録=ただいま9本目を揉み消す。坂口安吾の堕落論は好きな作品だ。そのなかにこんなかっこいいい言葉があった。「親が無くとも子は育つというが・・・親があっても子は育つ」う~ん安吾は深いね~。私が好きな思想家に「唯幻論」の岸田秀がいるが、この安吾さんも好きな思想家の一人である。安吾は無頼派と言われていたが、その世界を見つめる視線はあくまでも鋭く透明であった。興味のあるかたは「堕落論」を一読あれ!!角川文庫版がお勧めだ。ISBN-04-110003-8 C0195 表題の「堕落論」はもとより「大阪の反逆」では織田作之助を「教祖の文学」では小林秀雄を「不良少年とキリスト」では太宰治を論じている。その論の爽快にして鋭い刃の快楽に酔われんことを!

 今10本目に火を点けた(笑)
たった今11本目のタバコを揉み消した。これで今日は寝ることにしよう。最近のお気に入りはタイピングの練習だが、これがなかなか上手くならないんだよね。

 夕べの雪もおおかた溶けたようだ。関東地方は雪に関してはとりわけ東京は脆弱だから明日の凍結が心配ではある。

 まだまだ寒い日が続くので皆さんも体調に気をつけて、がんばって頂たいと思うのである。

 西武の堤さんが刑務所に入っているとか。かなり寒いのではなかろうか。これは刑務所ではなく心のなかのことである。独裁者の末路は惨めなものと相場が決まっている。しかし独裁者はじぶんが権力を握っていることを永遠のこととして捕らえる傾向がある。しかしそんなことは幻想にしか過ぎないことは歴史が証明している。プリンスホテルのスイートルームと刑務所の落差について考えさせられた。

 指の動きが良い!う~んこれも節煙の効用だろうか!!
 快楽丸の節煙→禁煙生活はほぼ順調に推移している。なんせかなりのヘビスモの私であるがゆえ、おそらくは禁断症状が当然襲ってくるものと思っていたが、意に反してそんなことはないようである。朝からいま(20:48)まで7本に抑えている。これはかなり画期的なことである。節煙の効用はすぐに出てきた。痰が絡まないのである。いかにタバコ身体に良くないものであるかが解ったのであるが、世の中にはタバコが無ければ生きていても意味がないと思っている方もまだまだ大勢いるのであるから、この彼らの喫煙権はそれとして尊重したいと思う快楽丸でもある。快楽丸のお世話になっておる会社では昼と3時と夕方に休憩が設けられていて、そのときは廊下が煙幕のようになるのである。嫌いな人には地獄の如き様相を呈している煙幕廊下では今夜も愛煙家が虚ろな眼差しで一服していることであろう。

 しかし節煙→禁煙の道に踏み出した快楽丸は、そんな彼らを横目で睨みながら、そそくさと帰宅したのであった。
 禁煙をしたいと思っている。これは特に理由はないのであるが、言ってみれば快楽の為であると自分に言い聞かせているのである。食べ物の薫りや味の快楽のタバコは邪魔になるのであってみれば、ここはひとつ快楽丸としては「禁煙」に挑戦してみたいと思うのである。さて未練がましい快楽丸ではあるが先程禁煙すること10時間目に1本だけ吸ってみたが、気持ち悪くなって参った。
 私は人生は楽しくあるべきだと思っている。嫌なことはすぐ忘れることにしているし、楽しいことはいつまでも覚えていることにしている。そして常によき人生を想い描く努力を惜しまないのでもある。だから快楽的な人生を切望もしているのである。おいしい酒や美しい女の人が大好きな私であるが、そんなものはどうでもよいというのもまたある種の生き方であるから、これにかんしてとやかく言うこともない。

 都市の生き様の問題の話でもある。好き勝手に生き得るのが都市の要諦である。ただし他人に関して干渉することは都市で生きることにおいては最も恥ずべき行為である。

 好きに生きていこうね♪


サド・マゾヒズムに関しては私は素人である。最近ではあまり読まれなくなった?マルキ・ド・サドの小説を故澁澤龍彦の翻訳で読んだのは大昔のことだった。サディズムという言葉は後に他の人がつけているのでサドがどのような気持ちでこの言葉の意味を捉えているのかは永遠にわからないことになる。さて一般にサディズムという言葉は鞭とかろうそくとか、そのほかあらゆる道具を使用して他者を攻めることとさせている。マゾヒズムとはそれが反転したものであり、攻められることに快楽を覚えることとされている。したがってここでの基準値は快楽であるかどうかにあることは確実なのである。  マゾの人はそれぞれの基準値の中で快楽を追求しているのだから、それから外れた攻めが行われると「怒る」わけだ。つまりあまりにも想像を超えた痛みは快楽が伴う可能性が少ないことになり、それを逸脱するサディストには激怒するという構造がある。しかしサドの思想の本質は個人の快楽の徹底的な追求にあり、その文学的な表現が彼の小説群なのであるから、個人の快楽の為であるならば、他者の死をも肯定してしまうという、おそらくは近代国家や近代法では赦されることのない考えに基づいている。「わしが気持ち良ければいいもんね~」という考えを突き詰めていった思想家がサドなのだ。この考え方は個人と国家という対の概念に楔を打ち込む破壊力があったので、当時のフランスでは危険極まりないとして牢獄に閉じめたのだった。すくなくともサドの小説に登場する人物達はマゾヒストではないだろう。彼らの多くは無残な死を遂げているが主人公は何食わぬ顔で快楽を貪り続けている。勧善懲悪というのは一般論なのであって、サドの世界では悪は栄える「運命」にある。これは実に困るわけだ。しかしこの困ることも当時のフランスではけっこうひそかに容認されていた節があるので、あまりおおっぴらには研究はされていないのでは?貴族が村の子供をかっさらってお城で無茶なことをしていたらしい。貴族が相手てなので役人も見て見ぬ振りをしていた。それをいいことにやりたい放題をして逮捕、投獄されたのが、かのサドである。かれは牢獄のなかで「ソドムの120日」を書いている。どうもこのサドという人は命がけで無茶をしていたのではないかという感じがあり、実はマゾヒストではなかったのでは、というのが私の考えである。ただ彼の場合はあまりにも透徹した視線があったので無茶が思想にまで昇華されているのでわかり難いのだ。いずれにしてもバスティーユの牢獄からフランス革命を指揮したなんて逸話もあるし、たんに鞭とか蝋燭という表層的なことで括れるほど軟な人物ではないことだけは確かであろうと思われる。   
 私はコスプレの撮影経験はないが、世の中いろいろな趣味があるもので、コスプレイヤーと言われる愛好者が存在するのだ。主にアニメの登場人物のコスチュームを着てイベントなどに出没する。いわゆる「ごっこ」というやつである。これは本人はかなり気持ちが良いのだろうし、それを見て楽しんでいる方々がいるので、ジャンルとして成立しているのだろう。アニメで遊んでいるうちは良いが、例えばスッチーとかナースとか女学生とか、女奴隷とかのジャンルも確実に存在しているらしい。これはもう無限に妄想が膨らむ領域であり、我々の想像力をはるかに超えたところで成立するジャンルもあるに違いないのである。

 ここにフェチがたち上がることになる。人体のある部分に異常に性的興奮を覚えるということはよくあるが、例えば足袋おフェチなるフェチの場合は女性が足袋をはいている姿に性的興奮を覚えるのではなく足袋そのものに性的興奮を覚える。この場合には女性の身体の一部はどうでもよいのであって、足袋そのものが関心の全てである。いうまでもなくこれは性的倒錯である。しかしこの場合でもきっかけは女性が足袋を履いている姿なのであって、彼の関心は謂わば正常な好みから始まっていることに注意しなければならない。
 
 さらに彼は足袋にしか性的興奮を感じないようになるだろう。足袋にもいろいろあるのだが、例えば地下足袋フェチなんてのはあるのだろうか?そしてもっと気になるのは女性にはフェティシズムが存在するのだろうか。地下足袋をみると興奮する女性を私は見てみたいのだが・・・
 エロスとは隠蔽することに見たり!
露出と隠蔽のハザマにこそエロスは立ち上がるんだね~。

 こんな物語はどうだろうか?

グラビアアイドル、つまりグラドルであるが、肌を露出することにエロスを我々は感じているのだけれど、実は小さな布切れの中になにが隠されているかということのイマージュにエロスの実態があるのだ。エロスとは想像力に多くを負っている。つまり優れて頭脳的な所産であることになる。言葉をかえれば妄想といってもよいだろう。しかし布切れの中にはあなたも私も熟知している物があるに過ぎないのではなかったのか!