今年もまた、あの声がスタート地点の河川敷に響き渡る。
「どMの皆さーん!!」
MC宮崎さんの恒例のシャウトで、僕らの長く過酷な旅が幕を開けた。
私の「今年もやりますよ」という何気ない煽りメールに、12名もの社内の仲間が手を挙げてくれた。その約半数が初挑戦。この日のために、春から練習を重ねてきたメンバーも少なくない。ちなみに、スタート地点の行橋からゴール地点の別府までは、特急列車に乗ればわずか1時間の距離だ。その道のりを、僕らは自らの足だけで踏破しようとしている。
後方に並んだため、号砲から実に50分後、ようやく僕らの100kmが始まった。
例年通り、川沿いを抜け、穏やかな海を横目に、ひたすら最初の中継地・中津を目指す。序盤の空気に煽られたのか、気づけばキロ9分前後という、100kmウォークにしてはあり得ないほどのハイペースで飛ばしていた。
高めの気温が体力を奪い、ボトルから面白いように水分が消えていく。
陽が落ち、ようやく中津のチェックポイント(CP)にたどり着いた。
エイドステーションでバナナを頬張り、水分を補給するのもそこそこに、先を急ぐ。ここからが、この旅の本番なのだ。
次のCP、宇佐までが本当に遠い。街灯もまばらな暗い道を、ただ黙々と歩く。その時だった。足の裏に、じわりと熱を持つような違和感が広がり始めた。過去に何度も経験した、あの嫌な感覚。
「あー、やっぱりか…肉刺(まめ)だ…」
練習では一度もできなかったのに、なぜ、この本番で。オーバーペースや、無理な追い越しが知らず知らずのうちに足に負担をかけていたのだろう。痛みはみるみるうちに鋭さを増していく。「これは、少し破れたな…」最悪のシナリオが頭をよぎった。
一度立ち止まり、ザックから針を取り出す。暗がりと、忍び寄る老眼でおぼつかない手元。指でぷっくりと膨らんだ箇所を押さえ、意を決して針を刺し、中の水分を抜く。これを4か所に施し、テーピングで固めた。(※もし真似される場合は、清潔な針でお願いします)
再び歩き出す。しかし、ごまかしようのない激痛が、一歩ごとに脳を揺さぶる。過去6回の挑戦でも、ここまで酷い状態は初めてかもしれない。
「今回は、さすがにリタイアか…」
ふと、数年前に同じイベントに参加したI君のことが頭をよぎった。彼は終盤の日出CPまで到達しながら、肉刺の悪化を理由にリタイアした。「もったいない」と当時は思ったが、今の自分なら彼の気持ちが痛いほどわかる。
だが、私には、こんな過酷な挑戦に社員を巻き込んだ責任がある。彼らにどんな背中を見せるべきか。「20時間以内でゴール」なんて目標はもうどうでもいい。ただ、この足を前に進め、歩き切ることだけを考えよう。心の中で、弱い自分と強い自分が激しくせめぎ合っていた。
長い葛藤の末、一つの答えにたどり着いた。
「リタイアだけは、絶対にしない。最悪、制限時間いっぱいで強制終了になったとしても、その姿を見せれば皆も納得してくれるはずだ。ならば、つべこべ言わずに歩け。ただ、一歩前へ」
腹が決まった。
不思議と、心はすっと軽くなった。 幸い、前半の貯金で時間にはまだ余裕がある。どんなに遠く、果てしない道でも、この一歩の積み重ねだけが、自分をゴールに近づけてくれる。
ヘロヘロになりながら宇佐CPに到着し、機械的に補給を済ませて、また歩き出す。
痛みはもはや体の一部となり、慣れてきていた。そして目の前には、このコースの難所、長い登りの立石峠が立ちはだかる。孤独な時間が続く。そんな闇の中、突然後ろから声がした。
「社長!」
E君だった。陸上経験者で、本気を出せば17時間台も狙える実力者の彼が、私のことを心配してペースを落とし、待っていてくれたのだ。その優しさが胸に沁みた。申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになりながら、しばらく彼と並んで歩いた。
しかし、深夜になると、再び足の裏の肉刺が悲鳴を上げ始めた。眠気も限界に達し、E君を先に行かせ、道の反対側に見えたコンビニの明かりに吸い寄せられるように立ち寄り、2度目の治療を行った。だが、ここで飲んだ「眠眠打破」が効いたのか、少なくとも眠気だけはどこかへ消え去った。
「よし!このまま七曲り峠を越えるぞ」
峠の麓のエイドで、団子の入っていない温かいぜんざいと梅干しをいただく。竹の杖を借り、この旅のクライマックスへ挑む。
不思議なことに、登りでは肉刺の痛みが少し和らぐ。毎日の早朝ランニング後、日課にしていたマンションの非常階段10階駆け上がり。トレーニングで登った地元の高良山。先月お客様と踏破した日本一の石段3333段。地道な努力が、今この一歩を支えてくれている。「去年大ブレーキとなったこの峠にリベンジするぞ」――照準を合わせてきたこの峠を、一人、また一人と追い抜いていく。
だが、七曲り峠の本当の恐ろしさは、長く、暗く、終わりの見えない「下り」にこそある。
一歩ごとに、体重が足の裏に突き刺さる。たまらない。治療する場所も、気力もない。もうどうにでもなれ、と体重を前に預け、スピードを上げて駆け下りた。ブレーキをかけるより、いっそ身を任せた方が痛みはマシな気がした。危うい賭けだったが、竹の杖を頼りになんとか下りきった。
杖を返した後も、最後の関門、赤松峠が待っている。立石、七曲り、赤松。この三連峠が後半に待ち構えていることこそ、この100kmウォークの過酷さと、そして面白さなのだろう。
これを越えれば、最後の日出CPだ。温かいチキンスープが塩分を欲する体に染み渡る。スマホで時間を確認すると、ある可能性に気づいた。
「ひょっとしたら、18時間台でゴールできるかもしれない…」
その瞬間、体中の細胞がカッと燃え上がるのを感じた。足は限界だ。でも、こんな記録はもう二度と出せないかもしれない。出すなら、今回しかない。
別府湾が見えてきた。今年は曇り空で、荘厳な日の出は拝めなかったが、ゴールの光は確かに見えている。
周囲を歩くのは、見るからにベテランばかり。体幹がブレず、安定したフォームで淡々と進んでいく。それに引き換え、僕の姿はどうだ。見栄も外聞もかなぐり捨て、足を引きずり、ズルズルと音を立てながら歩いている。格好なんて、どうでもよかった。
「痛い、痛い、痛い…」心の中で何度も繰り返す。だが、この痛みこそが「どM」の真骨頂。粘って、粘って、ただ粘り抜いて、ついに見慣れたゴールゲートが目の前に現れた。
18時間48分01秒。
信じられない数字がそこにあった。思わず「やった…」と声が漏れた。ちょっと泣けた。これまでの苦しみが、すべて報われた瞬間だった。
そして、なんと。我が社から3人が、18時間台でゴールするという快挙を成し遂げた。もちろんE君もその一人だ。10年前に初めて参加した頃は、「完歩」だけが目標だったのに。
仲間と合流し、乾杯のビールを掲げる。
この最高の一杯のために、僕らは歩き続けてきたんだ。最終的に、参加した13人のうち10人が完歩。皆、本当に、よく頑張った。
なぜ、人はこんなにも辛い挑戦をするのだろう。 興味のない方には、一生理解できないかもしれない。貴重な休日を使い、長い期間練習し、この夏も多くのことを犠牲にしてきた。黙って支えてくれた妻には、本当に頭が上がらない。20時間近くも苦痛が続くだけの、非合理的な行為。
しかし、ゴールした者だけが味わえる達成感は、45歳でフルマラソンでサブ4を達成した時の、おそらく10倍は大きい。辛く苦しい時間が長ければ長いほど、その喜びは深く、濃くなる。
人間の足で歩けるとは思えない、とてつもない距離と高低差。壮大すぎる目標に、時にプロセスさえ見失いそうになる。それでも、目の前の一歩、また一歩と足を前に出し続ければ、いつか必ずゴールにたどり着ける。
この100kmの道は、人生そのものを教えてくれる。
55歳にして(もうすぐ56だが)、私は今回の挑戦で、また少しだけ成長できたと思う。ひと昔前の自分なら、あの痛みと孤独に、きっと心が折れていただろう。
年齢を重ねることは、何かを諦めることじゃない。昨日より少し強い自分になるための、新たな挑戦の始まりなのだと、そしてアラ還でもまだまだ成長できるのだと、この100kmの道が改めて教えてくれた。
末筆ながら、一緒に歩いてくれた仲間、ボランティアスタッフとして至れり尽くせりのサポートを行ってくれた仲間、そして大会の主催者及びボランティアの皆さんにはに心から御礼を申し上げます。
誠に有難うございました。
夜のオフィスにて








