アンコンフォートゾーン | 株式会社 丸信 社長のブログ

株式会社 丸信 社長のブログ

株式会社丸信 代表取締役 平木洋二のブログ
包装資材販売、シール・ラベルの印刷、紙器印刷加工業を営む株式会社丸信の社長のブログです。

昨年の暮れ、福岡県在住の同じ大学出身者3人で飲んだ。

年齢や専攻もそれぞれ違う。

仕事もバラバラだけど、あの千葉県野田市というド田舎での厳しい体験を共有しているので、話は尽きない。

コロナで2次会こそ行けなかったが、大いに盛り上がった。

このメンバーなら定期的に飲みたい。

 

一浪の末、補欠合格でなんとか滑り込んだ大学。

関東ではそこそこの知名度だけど、

うちの両親は学校名さえ知らなかった。

 

華やかなキャンパスライフとは無縁の厳しい大学で、留年する人も多く、「試験」という関門を卒業までに何度も超えなければならなかった。大学なのに前期試験、後期試験の他に「中間試験」まである。最初は驚いたが、中間試験がなかったら、もっと留年が増えただろう。

 

 理系なので丸暗記は効かない、基礎的な理屈を理解した上で、試験前夜にはそれをアウトプットする訓練をやらなばならない。

授業をサボったり、寝てたりしたら、その「ツケ」は試験で払わされた。

 

今でもたまにその「試験」の夢を見る、、

(なんと!他の2人も同じらしい)

 

明日試験なのにぜんぜん勉強できない夢、試験に寝坊する夢(これは一度正夢となった、、)

それくらい辛い試練だった。試験の途中で逃げ出して、そのままドロップアウトした人もいた。

留年している先輩や同級生は大袈裟でなくそこら中にいた。

3年の最後の後期試験が終わった後は仲間と「弾けた」。

仲間と柏の街で遅くまで飲んで歌って大騒ぎしたのを今も覚えている。

留年という恐怖と隣り合わせなので、浪人時代よりもプレッシャーがあった。学生時代に戻りたいなんて思ったことがない。

 

あんなに勉強したのに、大学時代に学んだことは、もう1mmも覚えていない。

シュレーディンガー方程式どころか、2次方程式さえ社会人になって使ったことはない。そりゃー包材屋ですもの。

今なら高校の物理、いや中学の理科の問題も解けないだろう。

 

じゃあ、あの努力は無駄だったのかと言えば、断じてそれはない。

(高額な学費と仕送りを負担してもらった身で、口が裂けてもそれだけは言えない、、)

 

あの厳しい試験をくぐり抜けた体験が、その後、社会人となってから、

様々な厳しい場面を乗り越える糧となった。

 

「これはあの試験より厳しいか?」

「あのキッテルの固体物理学より難解か?」

 

が20代の頃の判断基準だった。

4年生の時に研究室で師事した、理論物理界の巨星「芳田圭」先生から卒業式後の謝恩会で

 

「社会に出ても物理より難しいことには、そうは遭遇しない。

物理学科を卒業した自信と自負を持って今後の人生を歩め!」

 

と言われた影響だ。

新卒で入った会社は今でいう「ブラック」で大変厳しい会社だったが、

同期が最初の1年で1/3に減るくらい退職者続出の中、家業に戻るまでの4年も耐えることができた。当時平均勤続年数は2年で、最後は「ベテラン」と呼ばれてた。

(先輩方や同期生存者の名誉の為に、、今はコンプライアンス重視のホワイト企業に変革されてます)

出会った上司、先輩、お客様のお陰も大きいが、

辛いことへの耐性が大学時代に培われていたことも大きい。

そして、この厳しい前職での経験はブースター接種となり、辛いことへの耐性をさらに高めた。

 

30代の後半で学んだ大前研一さんの大学院も私には結構厳しかった。

 

積極的な発言が求められるのだが、東大や京大出身等の大企業の幹部候補生や海外法人の社長、現役ファンドマネージャーや国税捜査官、医師など多彩な顏ぶれの中で発言するのには相当な準備と勇気が要った。

2年間、劣等感に苛まれ続けた。

最初は発言の意味さえ理解できなかった。

普段使いのボキャブラリーがぜんぜん違う。

自ずと発言が少なくなり、何度も事務局から警告受けた。

ドロップアウトしそうに度々なりながら、努力を続けた。

 

とてもクラスの議論に貢献できたというレベルではなかったが、なんとかしがみついて2年で卒業できた。

卒業直後に社長になったが、このBBT大学院での学びは大きかった。

 

今になって思うと快適じゃない場所に身を置いた時こそ成長している。

 

営業として、前職と今の会社で2度、ベテランの先輩から超大口顧客を引き継いで担当するという体験をした。

いずれも20代の頃。

最初は知識もなければ、人間関係もない。お客様とコミュミケーションも取れずとても苦労した。元来、私は「人見知り」だ。

ただ振り返ると営業職としてこの時ほど成長できた時はない。

当時は

 

なぜ若くて経験のない私に?

 

とさえ思って、別の先輩に担当変わってもらいたいとさえ思っていた。

どんな商売でも超大口顧客は仕事量も多く、営業に求められるものも厳しい。

今となっては自分に成長の機会をもたらした、とても有難い経験だったのだと解る。

 

40代でマラソンや100キロウォークに嵌まったのも、どこかで厳しい場面に身を置きたいと考えたからだろう。

 

52歳の今、次の「虎の穴」を探している。

 

裏を返せば、まだ成長したい、

これまでの貯金の切り崩しで生き残れるほど、

今、そして、これからの経営環境は易しくない。

この歳で現状維持して楽をしたくなったら、もう「オワコン」だ。

社員の為にも引退すべきだろう。

 

「我に七難八苦を与えたまえ」

 

って、お前は山中鹿之助か、、

 

さてさて、話は変わる。

 

今年は二人の可愛い姪っ子や親しい社員さんのお子さんが受験だと聞いている。

 

あの子らが、もう受験か~

 

親戚の子とキュウリの成長は本当に速い。

あっという間だ。

 

途中経過を聞くと、可哀そうに推薦で落ちたとか、、、

 

よかよか、大丈夫、本試験で頑張れ!

楽して手に入れたものに価値なんてなかよ。

 

おっちゃんは高3ではクラスビリまで落ちこぼれ、現役ではどこにも受からず、浪人までして私立大に補欠合格が精一杯やったんよ。

大学院受験も失敗し、就活に出遅れて、ブラック企業にしか

就職できんかった、、

 

でも、縁のあった所で頑張って、今はなんとかなってるよ(^-^;

 

どこの学校に入るかよりも、入ったところでどう頑張るかの方がずっとずっと大切ばい。

 

合格祈ってます。

 

さあ、おっちゃんも頑張ろう。