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PACK RATのブログ

こちらは退職したあるシニアのブログサイトです。はるか昔の想い出話と無責任なひとり言を書き綴っています。

クレア

 

  

お稲荷さんの赤鳥居、クリスマス・リース、町子先生とサザエさんの銅像、それぞれを背景にした今日のクレア

 

 

コロナ

 

幸いなことに、日本では新型コロナウイルスによる新規感染者数は非常に低レベルで推移している。東京を例にとればこの1ヶ月間概ね30名以下の日々が続いている。2回のワクチン接種率も75%に近づいている。現在の位置をグラフ上で推定してみた。

 

感染状況のマップ縦軸はコロナ前を基準とした接触削減率、横軸は有効なワクチン接種率で接種者の75%が十分な免疫抗体を保有すると仮定している。逆に言えば接種していても25%の人はブレークスルー感染の可能性があるとみなしている。

 

赤線は基本再生産数が従来株の1.3倍(3.25)とした場合の、感染拡大に向かうか収束に向かうかの境界線(実効再生産数が1)を示す。この赤線の外側は収束領域、内側は拡大領域となる。小さなグレーの丸はデルタ株が主流の第5波について、実効再生産数から接触削減率を逆算し、それを有効なワクチン接種率に対してプロットしたものである。

 

7月上旬は赤線の内側で感染が急拡大したが、接触削減率の増加とワクチン接種の効果で8月20日以降、急速に赤線の外側、つまり感染収束側に移行した。現在は、薄いオレンジの矢印のあたりにあるものと推定される。

 

一時的に赤線の内側に入ることもあるが、概ね接触削減率40%程度、有効なワクチン接種率50%程度で、ほぼ赤線(境界線)上にあり新規感染者数の下げ止まり状態が維持されていると解釈される。

 

ドイツ、オランダ、オーストリアなどのヨーロッパ諸国、及び韓国では最近感染の再拡大が報告されている。これは、感染対策の一部解除による接触削減率の低下、及び十分な免疫抗体を保有する人口の減少(有効なワクチン接種率の低下)によって、赤線の内側の感染拡大域に長く留まってしまったためと考えられる。

 

日本も今後、6月以降早期にワクチン接種を行った高齢者の免疫抗体価の低下(有効なワクチン接種率の低下)、年末にかけての接触削減率の一層の低下が懸念される。もしそうなれば、つまり赤線の内側に進入しそこに長く留まれば、感染の再拡大(第6波)が起こることになる。そうならないためにも、第3回目のワクチン接種を円滑に進めるとともに、外出時にはこれまで通りの感染防止対策を実践したいものだ。

 

 

 

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アルルとゴッホ

 

現在、上野の東京都美術館ではクレラー・ミュラー美術館所蔵のゴッホ・コレクションの一部が展示されている。来月22日からは地方への巡回展示となるらしいのでぜひ足を運ぼうと考えている。

 

フィンセント・ファン・ゴッホは1888年〜1890年のアルル滞在時およびサン・レミでの療養時代に後世に残る主要な作品を残している。世界の美術館で我々を魅了するゴッホの絵画はこの時代のものが多いようだ。

 

「アルルの女」と言えば、ゴッホとビゼーだが、まずゴッホから。

 

  

(左)「アルルの女(ジヌー夫人)」(手袋と傘)1888年11月:パリのオルセー美術館所蔵

(右)「アルルの女(ジヌー夫人)」(本)1888年11月か1889年5月:ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵

 

「アルルの跳ね橋」もいくつかのバージョンがあるが。。。

「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」1885年5月:ドイツ・ケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館所蔵。他にファン・ゴッホ美術館所蔵版、クレラー・ミュラー美術館所蔵版などがある。

 

 

アルルの街を歩いていると、ゴッホの足跡に触れることができる。今回はそれらの幾つかを拾い出してみた。

 

「黄色い家(アルルのゴッホの家)」1888年9月

  

(左)現地パネルの写真:実物はゴッホ美術館所蔵だが、今回のゴッホ展で展示があると思う。

(右)アルル駅近くの(事件が起きた)ラマルティーヌ広場からの眺め:黄色い家は第二次大戦で破壊され現存しない。

 

「ファン・ゴッホの寝室」左上の黄色い家の2階にあったゴッホの部屋。左のドアの向こうはゴーギャンの部屋。

「ファン・ゴッホの寝室」1889年9月:パリのオルセー美術館所蔵。元々はゴッホの母親のために描いた縮小版だったらしいが、のちに松方コレクションに加えられた。第二次大戦時にフランスに残され戦後フランスの国有となった。他に1888年10月の第1バージョンがあり現在ゴッホ美術館所蔵、1889年9月の第2バージョンはその複製で現在シカゴ美術館に所蔵されている。

 

アルルの円形闘技場

 

「アルルの競技場の観衆」1888年12月

  

(左)闘技場前の現地パネルの写真

(右)実物はロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館所蔵

 

「アルルの病院の中庭」1889年4月

  

(左)エスパス・ヴァン•ゴッホの中庭にある現地パネルの写真:実物はスイス・ヴィンタートゥールのオスカー・ラインヒャルト・コレクション所蔵

(右)当時35歳のゴッホが入院していたアルル市立病院の中庭(左の絵をもとに復元された現在のカルチャー・スペース、エスパス・ヴァン•ゴッホの中庭)

 

 

アルルを流れるローヌ川の眺め

 

 

「ローヌ川の聖月夜」1888年9月:パリのオルセー美術館所蔵

 

  

「夜のカフェテラス」に描かれたアルル・フォーロム広場のCAFE VAN GOCH

 

「夜のカフェテラス」1888年9月:クレラー・ミュラー美術館所蔵。写真はWikipediaより。この絵は残念ながら今回のゴッホ展には含まれてはいないようだ。クレラー・ミュラー美術館はおそらくどこにもこの絵を貸し出さないだろうな。。

 

 

アヴィニョン

 

ヴァン•ゴッホの作品はアルルには1点も残されていない。プロヴァンスにあるゴッホの作品は以下の一点のみである。

 

「貨物列車(線路上の汽車)」1888年8月:フランス・アヴィニョンのアングラドン美術館所蔵

 

アヴィニョンと言えば、14世紀にローマ法王庁が置かれていたことと、「アヴィニョンの橋の上で」の童謡で有名な「サン・ベネぜ橋」。

 

  

(左)途中で切れたサン・ベネゼ橋とその向こうが法王庁宮殿

(右)アヴィニョンの橋の上で輪になって踊る昔の子供たち

 

  

(左)かつてのサン・ベネゼ橋はローヌ川の対岸の街、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのフィリップ美男王の塔付近までつながっていたという。

(右)アヴィニョン側からローヌ川越しのヴィルヌーヴ・レザヴィニョンの眺め

 

 

ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンと

アンゲラン・カルトン

 

  

ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのフィリップ美男王の塔からの眺め

(左)ローヌ川対岸のアヴィニョン、(右)サンタンドレ要塞と周辺の街並み

 

「アルルの女」と言えば、ゴッホの他にもう一人、作曲家ジョルジュ・ビゼーによる戯曲のための付随音楽がある。ビゼーはまたオペラ「カルメン」も作曲している。この「カルメン」はプロスペル・メリメの小説に基づいている。

 

中野京子氏の「はじめてのルーヴル」によれば、若き日のメリメはヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのノートルダム参事会教会を訪れた際(1834年)、のちに美術史上に残る大発見をしたというのだ。それが、現在はルーブル美術館が所蔵するアンゲラン・カルトンの「ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのピエタ」である。

 

  

ノートルダム参事会教会の内部(左)と回廊(右)

 

ガイドブックによればここに「ピエタ」の複製画があると記載されていたが、私の訪問時にはそれが修復中で観ることはできなかった。しかし、後年ルーブル美術館で実物を鑑賞することができた。

 

「ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのピエタ」アンゲラン・カルトン 1455年:ルーブル美術館所蔵。右からマグダラのマリア、聖母マリア、使徒ヨハネ、左端は寄進者。

 

素人目にも繊細で美しい絵だと思ったが、この絵画を見出したメリメの審美眼にも敬服した。ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンにはアンゲラン・カルトンの絵画がもう一枚ある。ピエール・ド・リュクサンブール美術館にある「聖母戴冠」である。

 

 

 

「聖母戴冠」アンゲラン・カルトン 1453−1454年:ピエール・ド・リュクサンブール美術館所蔵。

 

上は天上、地上は左がローマで右がエルサレム、地下は左が煉獄で右が地獄だそうだ。15世紀に描かれたとは信じ難いほどに色彩豊かで繊細に描かれている。父なる神とキリストに冠を授けられる中央の聖母がガブリエルとミカエルの両大天使をはじめ天国の住人たちに祝福されている。地下の煉獄では罪を悔い改めて天使に救い出されているものもいるが、地獄では救いようのない罪人が悪魔に残酷に罰せられている。

 

宗教画はあまり好きではないがこの絵画は美しくわかりやすいと感じた。この絵画がパリに行ったのは1904年とされる。ゴッホのアルル滞在時にはこの絵画はまだヴィルヌーヴ・レザヴィニョンにあったことになる。ゴッホはこの絵画を見たのだろうか?見たとしても、当時のゴッホは日本の浮世絵に魅了されていたので、このような宗教画には関心がなかったかも知れないね。