クレア
オミクロン
11月末、オミクロンと命名された新型コロナウイルスの変異株が南アフリカで確認された。それ以来、新聞、テレビ、ネットが急に騒々しくなった。しかし考えてみると、この度のウイルスは感染・増殖の過程で2週間に1度ぐらいの頻度でコピーミスをしでかすというので、厄介な変異株がいつ出現してもおかしくはなかった。やはりグローバルな規模で感染が収束方向に向かわない限り、変異株の脅威から逃れることはできないことを思い知らされた。
今回の新しい変異株、オミクロンはまだその正体が明らかになっていない。スパイクタンパク質に関与する変異が30箇所もあるという点が我々に恐怖を与えている。それで感染力と既存ワクチンの有効性はどの程度のものなのだろうか。。
しかし、過去を振り返ってみると、我々は未知なるものに過剰な脅威を感じる傾向にあった。今回のオミクロン株もその特性が明らかになるにつれて意外に脆弱なものに感じるようになるかも知れない。事実、半年前にあれだけ騒がれたデルタ株に対しても、日本では現在のところほぼコントロール下にある。
我々ができることはこれまで通り、三密回避やマスク着用などのワクチンに依存しない感染防止策(ヒト間接触機会の低減)の徹底、加えて第3回目のワクチン・ブースター接種の促進である。我々にはこの二つの武器があるし、二つの武器しかない。
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ケープタウンと喜望峰、南アフリカ共和国
南アフリカの歴史は15世紀終盤にボルトガル人がケープ半島の喜望峰に上陸した時から始まった。その後17世紀、オランダ東インド会社がケープタウンに入植し、海洋貿易のための拠点とした。19世紀に入ってイギリス領の植民地となったが、複雑な人種間対立を背景としたボーア戦争を経て、1910年イギリスの自治領南アフリカ連邦が成立した。しかし、1961年にイギリス連邦から脱退し南アフリカ共和国となったが、人種差別政策アパルトヘイトが国際的な批判の対象となった。1991年アパルトヘイト政策は廃止され、反アパルトヘイト運動のため1964年から27年間投獄されていたネルソン・マンデラ氏が1990年に釈放された。マンデラ氏は1994年〜1999年南アフリカ共和国の大統領を務めた。
日本人の多くが子供の頃同じような疑問をもったと思う。アフリカ大陸の南の端に「喜望峰」という地名がある。太平洋や地中海といった海洋の名称についてはあまり気にならなかったが、地名で日本語が定着しているのは他にはないような気がした。英語「Cape of Good Hope」の和訳を考える時「喜望」は名訳だと思うが、「岬: ミサキ」ではなく「峰: ミネ、peak, summit」とした背景は何なのだろう。
ケープ半島のマップ
ケープタウン市街
ケープタウンの街は予想以上に近代的で、欧米の街並みと比べても遜色ない都会だった。
朝のロング・ストリート界隈
マレー・クオーターのウェール・ストリート
おしゃれなウォーター・フロントの光景:背後に横たわるのがケープタウンのシンボル、テーブル・マウンテン
(左)ノリのいいアフリカン・サウンドを演奏するミュージシャン、(右)ウォーターフロントのカモメ
テーブル・マウンテン
ケープタウンのシンボルで標高1087 m、侵食により地盤の硬い部分のみが残った台形状の山である。山頂が3キロにわたってまっ平なためテーブル・マウンテンと称される。この山に南東の強風が吹くとき、山頂から雲が滝のように流れ落ちる幻想的な光景を目にすることができる。
ホテルで見かけたテーブルマウンテン上のテーブルクロス現象
南アフリカの南方海域では暖流と寒流が交わる。南東の風が吹く時、暖流上で発生した水蒸気を含む大気は寒流域で冷やされ、テーブルマウンテンにあたると霧(雲)となって平な山頂を乗り越える。(テレビ番組:「絶景・世界自然の謎 ▽南アフリカ・テーブルクロス現象」より)
雲がかかっていないタイミングで山頂に登れば眼下に素晴らしい景色が広がる。
テーブルマウンテン山頂から見下ろしたケープタウン市街地およびウォーター・フロント方面の眺め
上の写真よりわずかに西側の眺め;左の丘がライオンズ・ヘッド、右の丘はシグナルヒル(ライオンズ・ランプ)。ライオンが横たわっている姿に似ているという。
南アフリカの花
南アフリカの国花、プロテアのブーケ;一束60ランドを40ランドに値引きして売っているようだ。600円が400円、いずれにしても安い。
南アフリカには世界の植物種の10%以上が生息しているという。
ロベン島
ウォーターフロントから船で30分ほどのアパルトヘイト時代の刑務所島。ネルソン・マンデラ氏が1990年までの27年間収容されていた。刑務所は1996年に閉鎖され、島自体が1999年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。
(左)ネルソン・マンデラ氏が過ごした独居房、(右)番犬小屋
ロベン島から見たテーブルマウンテン
「46664」とはマンデラ氏がロベン島の刑務所に収容されていた当時の囚人番号。この番号を使用した衣料ブランドが2011年にオープンした。立ち上げたのはネルソン・マンデラ財団である。
ドイカー島
ハウト湾の小さな漁港からクルーズ船に乗りドイカー島を30分ほどで周遊する。オットセイの群れをウォッチングできる。
(左)ハウト湾は風光明媚な漁港、(右)観光客相手の土産物屋が並ぶ。
ドイカー島にはオットセイとカモメが共生している。
海中および島に群れる無数のオットセイを観察できる。
ボルダーズ・ビーチ
ここには絶滅危惧種のケープペンギン、もしくはアフリカペンギンが生息している。2021年9月ごろ、「ハチの群れに襲われてペンギンがたくさん死んだ」という報道は記憶に新しい。
人懐こいペンギンを遊歩道に沿って歩きながら観察できる。
ケープ・ポイントと喜望峰
ケープ半島の南端、喜望峰自然保護区内に位置する。灯台が立つ展望台からはケープ・ポイント、ディアス海岸とその先に喜望峰を見下ろすことができる。
(左)ケープ・ポイントの標識、(右)展望台に立つ世界の主要都市の方角指示板
展望台から眼下に望むケープ・ポイント
展望台から西に見えるディアス・ビーチ、及びその向こうが喜望峰
アフリカ大陸の最南西端、喜望峰『CAPE OF GOOD HOPE』
左の記述は英語、右の記述はオランダ語を基盤に、欧州各国語、先住民の言語、マレー語などが融合してできた南アフリカの公用語、アフリカーンス語だそうだ。
喜望峰から見る大海原:この先でインド洋と大西洋がぶつかっているのだろうか。。
この地点に立って喜望峰の意味を考えてみようと出発前は勇んでいたが、実際にこの地に立つと、強風に煽られ、強烈な紫外線に曝されて思考力が働かなくなった。
そこで今考えてみた。時は18世紀の中頃、場所は長崎の出島。オランダ商館にて東インド会社のオランダ人社員が幕府の役人に説明していた。「このブツはたった今、南アフリカのカープ・ディ・フーイ・ホープというところから着いたばかりなんだぜよ!」日本人のオランダ語通訳はそれを適当に「キー・ボー・ホー」と伝えた。書記はその意味を少し聞いて、とりあえず「希望峰」と記した。それが「喜望峰」にマイナーチェンジされて後世に伝わった。つまり「KAAP DIE GOEIE HOOP」カープ・ディ・フーイ・ホープの曖昧な聞き取りとユニークな当て字の結果ということにしておこう。
この話、絶対誰も信用しないでください!






































