クレア
サルーキ:狩猟犬の一品種だが、飼育犬の中ではもっとも古く、狼からもっとも早く分化した品種。時速77 kmの最高速度で走ることができる。体型は美しく、スリムで無駄のないボディライン、歩き方は実にエレガント。性格は温厚知的で、気高く気品があり、飼い主には忠誠心が強い。あらゆる点で洗練度が高い。
クレアも私も初めて出会った犬種、サルーキ。スリムで美しい!
男の子で、体重はクレアとほぼ同じ約30 kg。年齢も同じくらいのようでした。
名前はアランだそうだ。クレアとアラン!
名前だけは素敵なカップルなのだが、臆病なのか牽制し合っているのか、お互いに近づこうとはしませんでした。
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ベルリン 2011
初日
ベルリン国際会議場センター(ICC, Berlin)
国際会議でのプレゼンテーションはいつも緊張します。理由は多分、自分の英語に自信がないため、加えて人前でしゃべくるのが生来苦手なためだと思います。しかも、この時は自分のプレゼンの内容自体にもあまり自信がありませんでした。
会議の初日、いつものように自分のプレゼン会場を下見しました。
こんな感じでした。定員40〜50名程度の部屋、少し立ち見の人たちがいましたが、この程度の小部屋ならいつもの雰囲気です。
二日目、この部屋の廊下を通りかかりました。すると、部屋の出入り口の扉に貼り紙がしてありました。それによれば、『会場をホール1に変更します』。
「え〜〜〜」、私は悪い予感がしました。「ホール1とは、あそこじゃないのかなあ〜」。一応確認のために行ってみました。「げぇ〜〜〜、やっぱりそうだ!」
私のプレゼン会場となった実際のホール1。収容人数2,000~3,000人と思われる大講堂で、オープニング・セレモニーが行われた場所でした。
国際会議でプレゼンテーションを行う場合、私の頭の中では相矛盾する二つの想いが過ぎります。一つはできるだけ多くの人たちに自分の考えを聞いてもらいたい、もう一つは目立たないようにそっと済ませたい、の二つです。この時は、プレゼン内容がショボかったので後者でした。
その結果、最終日の私のプレゼンまでの二日間、空き時間を利用したベルリンの街歩きは緊張で悶々としたものになりました。
悶々街歩き1
東西分断時代の象徴、ブランデンブルク門
連邦議会議事堂:向こう側のガラスドームに上がってみたかったのですが、事前のネット予約が必要なようであきらめました。
街中で見かけた光景
エーベルト橋からのテレビ塔とボーデ博物館方面の眺め
森鴎外記念館
鴎外のベルリン滞在中の住まいが記念館として公開されています。
(左)森鴎外記念館の外観、(右)記念館の内部:当時の書斎でしょうか。
1888年(明治21年)6月3日、当時はまだプロイセン王国だった時代のベルリンで撮影された日本人医学留学生たちの集合写真。①が森鴎外(本名、林太郎)、その右は「舞姫」の主人公のモデルと言われる武嶋務、さらにその右の②はジョン万次郎の長男、中浜東一郎、③は北里柴三郎。他の人たちも、夭逝された人たちを除いて、内科、外科、産婦人科、眼科、小児科、細菌学、衛生学、解剖学、法医学、医化学など、日本における医学の各分野を先導した著名人のようです。
チェックポイント・チャーリー壁博物館
東西ベルリンの国境検問所跡、および自由を求めてベルリンの壁を乗り越えようとした人たちの記録や使われた自動車、気球などが実物展示されています。
(左)今や観光地と化したかつての検問所跡、及び(右)後方の壁博物館
私がベルリンを訪れたのは2006年と2011年の2回ですが、2011年のこの時も壁博物館では、"Mit dem Wind nach Westen" ("With the Wind to the West")という映画が上映されていました。気球に乗って家族が東側から西側に脱出する映画ですが、非常におもしろく時間が経つのも忘れて見入ってしまいました。
(左)当時見た時はドイツ語でしたのでドイツ映画と思っていたのですが、後で調べると原題は"Night Crossing"という壁崩壊前1982年のアメリカ映画、しかもディズニー映画でした。日本では「気球の8人」というタイトルで公開されていたようです。
(右)2018年の映画 "Balloon" (日本では「バルーン 奇跡の脱出飛行」)はドイツ映画で前作のリメイク版だそうです。
悶々街歩き(2)
旧東独、旧ソ連の軍隊の帽子をお土産物として売るお店:マニアには応えられないことでしょう。
気球乗り場:ちょうど気球が降りてきたところのようでした。
トポグラフィー・オブ・テラー:ナチス時代にゲシュタポ司令部があった場所だそうです。当時のさまざまな資料が壁に沿って屋外展示されています。
当時の壁、一部鉄骨が剥き出しになっています。
ジャンダルメンマルクト
この広場には、ベルリン・コンサートハウス、フランスドム、ドイツドムの3つの建物が建っています。コンサートホールに向かって左側がドイツドム、右側がフランスドムですが、これら二つのドムは双子のように似ていてすぐには見分けがつきません
(左)広場の南側に建つドイツドム、(右)広場の北側に建つフランスドム
フランスドム展望テラスからの眺め
(左)気球乗り場がある南西方向の眺め
(右)北東方面の眺め:左から、ベルリン大聖堂、マリエン教会、テレビ塔、遠くに赤の市庁舎が見えます。
シャルロッテンブルク宮殿
初代プロセイン国王フリードリヒ1世が妻ゾフィー・シャルロッテのために建てた夏の離宮だそうです。
シャルロッテンブルク宮殿の正面
右の写真は日本や中国の陶磁器を所狭しと並べた陶器の間
フランスのベルサイユ宮殿を参考にしたと言われるバロック風の庭園
庭園奥からの宮殿の眺め
最終日
いよいよ運命の日がやってきました。私のプレゼンは午後から最初のセッションの3人目、20分プレゼンテーション、10分質疑応答です。
(左)階下では展示会のようなイベントも行われていました。
(右)プレゼン会場のHall 1入り口にはその日の午後のプログラムも張り出されていまして、私の名前も書いてありました。
2,000人ぐらい収容できるこのホールに、聴衆はたった100〜200人程度でした。ちょっと拍子抜け!しかしこの頃にはすっかり開き直って、自分でも信じられないくらい平常心になっていました。
前の人のプレゼンがキャンセルされたので、ファシリテーターによって私は予定より10分ほど早く登壇させられました。パワーポイントも順調に作動し、大きなスクリーンを指し示しながら20分以上喋り続けました。プレゼンが終わったら引き続き質疑応答に入ります。ファシリテーターは聴衆に向かって、「次のプレゼンもキャンセルされたので、質問時間は十分にありますよ」と言いました。私は内心「くそっ、なんて迷惑な話だ!」と思いました。しかし結局、3名の方に質問していただき、計5〜6件の質問がありました。
中には厳しい質問もありましたが、何とか「オトボケ」をかまして乗り切りました。15分ぐらいの質問時間が終了して自分の席に戻ると、また別の聴衆2〜3名が質問しにやって来ました。これに15分ぐらい対応しましたから、初めから終わりまでトータルで1時間近くかかったと記憶しています。
しかし毎回そうですが、終ってしまえばすべてが心地よく、それまでの憑き物がどこかにふっ飛んで行ってしまったような、底抜けの解放感に浸ることができました。
終わった!終わった! さあ、遊びに行こう!
ベルリン観光は不完全燃焼だったけど、次はドレスデンだ!



































