クレア
11月に入り気温はかなり低下してきましたが、クレアの朝散歩はまだ夏時間のまま継続しています。5時に起床し、7時ごろから1.5〜2時間の散歩に出かけています。住宅街に漂う金木犀の甘い香りや公園を彩るイチョウ、カエデ、モミジの紅葉に癒されています。
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ヴェスプレームを再訪する
ヴェスプレームはハンガリーの首都ブダペストの南西約110 kmに位置する人口6万人程度の小さな学園都市である。ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世の妃ギゼラのお気に入りの街であったことから「王妃の町」と呼ばれる。近郊には華麗な磁器で有名なヘレンドやバラトン湖に面する保養地ティハニなどがある。
1990年代は私にとって暗黒の時代であった。官僚的な上司と折り合いが悪く、何をするにも不自由であった。今で云うところのパワハラを受けていたと言っても過言ではない。そんな暗い日々を送っていた私にある国際会議開催の通知状が届いた。参加者40〜50名程度の小さなサテライト会議のようではあったが、いい気晴らしになると思い喜んで参加した。その開催地がヴェスプレームであった。
その時の素晴らしい思い出を忘れがたく、27年経った2017年6月ヴェスプレームを再訪した。1990年8月の会議出席では、ブダペストからバスで行き、戻りは鉄道を利用した。2017年の再訪では鉄道で行き、ブダペストへはバスで戻った。
(左)2017年のヴェスプレームの鉄道駅、(右)1990年の同駅
塗装し直されたようだが、27年前とちっとも変わっていなかった鉄道駅
駅の南側に立つ標識。このJutasi通りを道なりに南に向かえば街の中心に出る。バスも利用できるが本数が少ないので、ここから約1時間歩くことにした。
駅から20分ほど歩くと右手にかつてのホテルがある。少し改築されたように見える。
(左)現在は東方正教会関係の教育施設になっているようだ。
(右)1990年にはこのHotel Jutasに宿泊した。チェックアウト時に宿泊料金を支払おうとしたら、すでに支払い済みだと言われた。どうも会議主催者側が私を招待者扱いにしてくれたようだ。ボロシュ氏とシーシャク氏に感謝したものだ。
(左)さらに20分ほど歩くとサッカーコートがあり、子供たちが練習をしていた。その向こうに見えているのが目的地、ヴェネディクトの丘に広がる旧市街だ。
(右)左手にバスターミナルが見えてきた。1990年はバスでここに到着した。2017年の再訪時はここからバスでブダペストに戻った。
バスターミナルを過ぎたら右手のコッシュート・ラヨシュ通りに入る。この辺りはすでに町の中心部だ。昔の写真はないが、何となく街並みが明るくなったように感じた。
自由広場に出たら北方向のラーコーツィ通りを少し歩くともう一つの広場、オーヴァーロシュ広場(旧市街広場)に出る。
(左)手前の建物の向こうに「火の見塔」が見えている。
(右)ヴェスプレームの市庁舎
ここから英雄の門を潜って旧市街に入る。
(左)2017年、オーヴァーロシュ広場側から見た英雄の門
(右)1990年、城通り側から英雄の門方面の眺め
この短い城通りの突き当たりに見えてきたのが、イシュトヴァーン王とギゼラ妃の像
(左)2017年、イシュトヴァーン王とギゼラ妃の像
(右)1990年、イシュトヴァーン王とギゼラ妃の像。この時には、像の台座に花輪が飾られていたようだ。
(左)2017年、テラスからのイシュトヴァーン橋と聖ラズロ教会方面の眺め
(右)1990年、ほぼ同じ方面の眺め
(左)2017年、十字架のモニュメントが立つベネディクトの丘方面の眺め
(右)1990年、ほぼ同じ方角の眺め
1990年、初めてこのテラスに立った時、周囲が垂直の崖になった「ベネディクトの丘」とその向こうに見える家並みの美しさに息を呑んだものだ。しかし、丘に建つ十字架のモニュメントまで近づいたことはなかった。そこで2017年の再訪時にはそこまで歩いてみることにした。
(左)聖ミハーイ大聖堂の右手の階段を降りていくと前方に十字架のモニュメントが見える。
(右)左後方を見上げると、先ほどのイシュトヴァーン王とギゼラ妃の像が並ぶテラスが見える。
(左)ベネディクトの丘の前方までくると、イシュトヴァーン橋方面の眺めがよりクリアーになる。
(右)モニュメントに近づくと、十字架だけではなく、そこに磔にされたキリストの像も見えた。ここはクリプトだったようだ。
ここでしばらく休憩をとって元の城通りに戻った。
(左)2017年の三位一体広場から見た聖ミハーイ大聖堂
(右)1990年の同大聖堂
(左)2017年の聖ミハーイ大聖堂内祭壇
(右)1990年の同聖堂内の祭壇
(左)2017年のドゥブニツァイ宮殿
(右)1990年、当時はここで結婚式の光景も見かけた。
ドゥブニツァイ宮殿の入り口。1990年の小さなサテライト国際会議の会場はこの宮殿の2階だった。2017年の再訪時、この建物は博物館として使用されていた。
上の4枚の写真はすべて1990年のものである。コングレス・ディナーの席上、会議の本題とは何の関係もないたわいない会話が楽しかった。
(左)2017年、ドゥブニツァイ宮殿のテラス
(右)1990年、ディナー後の同テラスにて
1990年初めてこの地に滞在して以来27年の歳月が流れていた。2017年、建物や屋根瓦が塗装し直され、街は全体的に明るくなったと感じた。しかしそれ以外の変化は何も見出せなかった。大して観光資源もないこの素朴な街になぜそんなにも惹かれていたのだろう。答えはブダペストに戻るバスの車中でわかった。1990年ごろの私は暗く沈んでいた。自分の仕事が否定され周りからも孤立していた。しかし、ここでは多くの人たちが私の仕事に関心を寄せてくれたし、彼らとの交流を通して将来への微かな希望を感じることができた。
旅とは不思議なものだ。その時自分が置かれている状況や抱いている心情によって、訪れる街の印象も変わってくるようだ。華麗な世界遺産の街を訪ね歩くことだけが旅行の意義ではない。見るべきものが少なくとも、そこで出会った人々との温かい触れ合いが少しだけ自分の人生を変えてくれたような気がする。ヴェスプレームは当時の私に少しだけ自信を与えてくれた、そんな街だった。








































