2月17日祝福から始まった、グローバルな祝福運動に関して、現統一教会の方達に知らせるために書いた記事を2つ出しました。

 

英語には、non-sectarianという表現があります。「宗派が無い」とか「宗派を超えた」の意味になり、英語圏の方達には伝わりやすい表現ですが、言い換えると、「普遍的」という事です。2月17日祝福から始まった、グローバルな祝福運動は、普遍的な祝福運動です。

 

普遍的なものは、科学的法則を例に取るとわかりやすいのですが、重力の法則は、法則を信じていてもいなくても、普遍的に働きます。そして、神様が立てて運行する原理というのは、物質的なものだけでなく、霊的な原理があります。それが例えば、文顯進会長が2月16日のスピーチ(リンク)の中で言及している、人間に与えられた自由と責任です。

 

どんな宗教を信じていても、信じていなくても、人間として生まれた以上、自由があり、自分の自由意思で生きるようになっています。同時に、自由とは放縦のことではなく、神様がモーセを通して与えた十戒の中で、殺人や姦淫をしてはならないと教えたように、するべき事やしてはいけない事を左右する霊的原理というのは、どんな人にも当てはまります。ですから、主要な宗教の教えは似ています。それは神様が宗教を通して、人間を導こうとしたから、つまり、同じ神様が源だからです。

 

では、全ての人間に普遍的に働くのは、十戒のような内容だけかと言うと、そうではありません。神様が宇宙と人間を創造した事を信じる時、解かなければならない疑問があります。それが、「なぜ神様は宇宙と人間を創造したのか」です。つまり、創造目的です。

 

宇宙が始まる時、物理的に自然法則と定数がわずかの狂いもなく設定されていた事が、人間が誕生できるようになった理由です。これは“微調整された宇宙”(リンク)と物理学で呼ばれているものです。宇宙、空間、時間の始まりは“微調整”されていたのですが、そのような“微調整”も、神様は目的を持ってされたはずです。それは何でしょうか?

 

歴史上、神様を信じる人たちは、「善で愛で完璧な神様であるのなら、どうしてこの世に悪や不幸があるのか」という疑問に悩まされてきました。神様が全てを定めるので、人の幸や不幸、信仰や不信仰も、神様が定めると信じる人もいました。

 

しかし、2月16日の国際会議で、文顯進会長のお話を聞いた、宗教者の方達は、そのお話に感銘を受け、祝福の意味に触れました。

 

(続く)