今は昔、JWの日々。。。 -162ページ目

”子連れの証人”


Who is つまずきのもと?

エホバの証人の集会で繰り返し読まれた聖句の一つにルカ17章2節がありました。
人の躓きのもとにならないように戒める言葉です。
 
「その人にとっては、臼石を首にかけられて海の中に投げ込まれたとすれば、そのほうが、これら小さな者の一人をつまずかせるよりはましでしょう。」 ― 新世界訳
 
その人にとっては???
この部分はどうにも理解できませんでした。
自分が海に沈められるよりは他人がつまずいたとしても(つまずいた人にだって責任あるはずだし…)その方がマシでしょ?なんて考えたものです。
人がどう思うかを考えすぎると何もできないじゃないか!ってね。
イエスは律法から自由にするために来たんじゃなかったっけ?
 
別の翻訳で同じ聖句を読むと、こんな言い回しになっています。
 
「そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。」 ― 新共同訳
 
こちらの方がシックリきます。
誰かがつまずくということはそれはつまずいた人や、その親族、友人、ひいては例えば会衆にとって損失であることは間違いないので、つまずきのもとになった「その人」にとっては、ではなく、全体にとっては…ということで理解すれば、海に沈められた方がマシっていうのもわかる気がします。
 
さて、ここで論じたいのは二つの翻訳の比較ではありません。
どちらにしても、つまずきのもとになる人が海に沈められるべきと言っていることに変わりはないのです。
 
そして、今、ここにつまずきのもとになっている人たちが(何人も)います。
そのひとたちこそ、誰あろう、(自称)統治体の「兄弟」たちです。
彼らは天に行く希望をもっているとされています。
その人たちにロレックスの腕時計は必要でしょうか?
 
ロレックスの腕時計が悪だとは言いません。
しかし、彼らの生活を支えているのは純粋な気持ちから差し出された寄付です。
イエスが感嘆したやもめの差し出した硬貨(ルカ21:2,3)に値する寄付も含まれるでしょう。
協会は子供たちがアイスクリームを我慢して寄付することを奨励してさえいます。
 
アイスクリーム代の100円を寄付箱に入れた子供たちはブロードキャスティングに登場する統治体の爺さんたちの腕に巻かれているロレックスやアップルウォッチを見てどう感じるでしょうか?
 
彼らにはイエスの次の言葉が見事に当てはまるのではないでしょうか?
「書士たちに気を付けなさい。彼らは長い衣を着て歩き回ることを望み、市の立つ広場でのあいさつと、会堂の正面の座席、そして晩餐では特に目立つ場所を好みます。彼らは、やもめたちの家を食い荒らし、見せかけのために長い祈りをする者たちです。こうした者たちはより重い裁きをうけるでしょう。」 - ルカ20:46,47
 
いかがですか?
ピタリと当てはまりませんか?
 
私なりの結論はこうです。
 
彼らは首に臼石を懸けられて海に投げ込まれるに値する者たちです!
彼らのために寄付をするのをやめましょう!
なぜならばあなたの善意の寄付は決して正しいことのために使われることはないからです!
 
繰り返します。
ものみの塔協会に寄付をするのをやめましょう!
 
 
 
 

”JW5世長老が突然覚醒しました。そのきっかけとは・・・”

やっぱりあるんですね。
あってはならないことが。
しかも隠蔽されるんですね。
この組織に神を本当に信じ敬っている人はいるんでしょうか?