平気で嘘をつく長老たち
エホバの証人は毎週3日(当時)ものたくさんの時間をつかって様々な教育を受けます。
そのなかで、高い道徳基準を保つことや、いつでも正直にふるまうことについて繰り返し教え込まれています。「神は嘘を憎まれる」そう教え続けている、教え手である長老たちは時に(しかもくだらないことで)平気で嘘をつく事実に直面した時は、ショックを受けました。
まだ若かったということもあったかもしれません。
当時の私は奉仕の僕と呼ばれる、長老を補佐する立場にありました。
家族を養うためにサラリーマンをしながら会衆の仕事もこなすことはなかなかハードではありましたが、それでもやりがいをもって取り組んでいました。
そんなある日、3人いる長老のうちの2人から呼び出しを受け、注意を受けました。(助言と呼ばれています。どこが”助”なんだか…)理由は誰かの告げ口によるものでした。とてもくだらない内容でしたのでそこは割愛します。
実は私は誰の告げ口によるものかはわかっていました。有名企業を定年退職してから入信してきたおじいさん(奥さんは入信歴の長い姉妹でした)がいたのですが、この人が誰かの小さな失敗や不手際をいちいち告げ口する嫌~な男だったのです。
私はそれに気づかないふりをして2人の長老に尋ねてみました。
それは誰から聞いたことですか?と。
すると、長老の一人は間髪を入れずにその場にいなかった三人目の長老の名前を挙げたのです。もう一人の長老もそれに同意しました。
もちろんそれが嘘であることはすぐにわかりました。
そもそも私が助言に値することをしたとしても(そういうレベルではなく些細なことでしたが)もう一人の名前を挙げられた長老がそれを問題視したとしたら、その人の人柄から考えて、他の長老に告げ口をするのではなく、私に直接、注意するはずだと思ったからです。他にもつじつまの合わないことはいくつもありました。
まだ若く純粋(笑)だった私にとって、日ごろ演壇の上から教えていることとかけ離れた長老たちの振る舞いはショックでしたし、猜疑心を掻き立てられるに十分すぎる出来事でした。
馴染めなかった特権体質
エホバの証人の世界には様々な「特権」というものが存在します。
そして「特権」をとらえるようにと教えられます。
伝道活動をする伝道者には、月60時間(当時)を伝道に費やす補助開拓者としての「特権」をとらえるようにと”励まし”(JW用語で、平たく言うと圧力)が与えられます。
補助開拓者は月60時間を伝道に費やしますので一日平均2時間になります。
これは通常の会社勤めをしている人にとってはなかなかハードルが高いのですが、それでも土日が5週ある月であれば土日をほぼ伝道に充て、さらに週中に同僚に昼休みに伝道したり、夜の聖書研究に同席したりすれば不可能ではありません。
補助開拓者になると今度は正規開拓者になるように”励まし”が与えられます。
正規開拓者というのは年間1000時間(当時)の要求時間がありますので、月平均80時間を超え、パートタイマーでもなければ不可能な時間を伝道に費やすことになります。
まあ、ここまでは本人の気持ちと努力次第なので、特権をとらえるも、とらえないも、本人次第。
圧力はあってもそれに応えるかどうかは本人の自由なのでそれほど違和感はありません。
ところが、そうやって特権をとらえていくと、男性であれば奉仕の僕という「特権」がチラついてきます。これはカトリックでいうところの司祭に相当する長老と呼ばれる会衆を監督する立場の人を補佐する役割で、演壇に立って公開講演をする機会も与えられるものです。
さらに奉仕の僕から長老へと階段は続いていくのですが、これは長老の推薦があって初めてとらえることのできる「特権」であり、推薦をもらえるよう強烈に長老、あるいは会衆の成員たちからの評判を気にするようになります。
僕はこの「特権」という言葉が大嫌いでした。
信仰というのは本来、神に対して抱くものであり、神からの評判を気にすることは当然だとしても、推薦は神が与えるわけではないのです。
ある日、目覚めてみると神からの奇跡によって推薦状が届いていた!
なんてことは無い訳で、推薦を出すかどうかは言ってみれば長老の胸先三寸。
いきおい、会衆の成員、特に長老からの評判を常に意識して行動するようになります。
心から神に対してささげられるべき信仰心が、人からの評判という邪念で汚れまくってしまうことになります。
実際、長老からの評判を気にするあまり、長老に対する態度と、日ごろの成員に対する態度がかけ離れているような二面性を幾度となく見せつけられてきました。
自分にはどうしても馴染むことのできない「特権」体質。
それでも若かった自分は馴染めないのは信仰心が足りないせいなのかな…
などと無理やり飲み込んでいたような気がします。
実際、自分には目に見えない神を信じる気持ちが強くなかったため、そう感じていたのかもしれません。
そんな信仰心の弱い自分にとっても(当時の)JWの教えは純粋で魅力的なもののように映っていました。
略歴
以下、自分の略歴です。
13歳で両親が入信。
19歳でバプテスマ。
有名進学校に通っていましたが、高等教育否定の(というより、事実上の禁止)方針の中で揺れ動きながらも大学進学を断念。
決め手になったのは長老(今思い出しても嫌な奴でした)の「大学進学を選ぶならバプテスマは受けさせない」という宣告でした。
その後、開拓奉仕を始め、奉仕の僕になり、結婚、子供にも恵まれながら徐々に熱意を失い(色々ありました)不活発に。
そして排斥、離婚...
今は再婚してJWやWTにはまったくかかわることなく、興味も持たず生活していました。多少の郷愁の念が無かったかといえば...
ところがふとした事からキャンディス・コンティ裁判を知り、信じられない思いでネット上を色々と検索してみると次々とJWの闇の部分が出てきて、はじめは驚き、次第に怒りに変わりました。そうなると、いまだ組織にとどまっている自分の肉親やかつて親しかった人たちが心配になってきました。
JWにいたころは背教者として教えられてきたレイモンド・フランズや明石順三、調べるべきことはたくさんあるのかもしれません。それでもすべてに関心を持つには人生は短すぎる。そんなわけで元&現役JWたちのブログを斜め読みする日々です。