身延山久遠寺 | りうりー的房間

りうりー的房間

個人的、記録的、日記的、な。

思い立って身延山久遠時へ参りました。
我が家は実家は曹洞宗、義実家は真言宗であり、日蓮宗ではありませんが、ご本山のパワーを恃みにいたしまして。
パパの快癒を願いに。

287段の階段は急勾配でまさに胸突き。
15年前は何とも思わなかった脚への負担甚だしく、一段一段の高さがつらい。


悟りに至る階段と伺いました。
心を込めて登ります。


登りきって開ける広い境内は、つらさの後の開放感。


早咲きの桜が一分咲きで、なんだか他宗の私のお願い事も、受け入れてくださる気がしました。
こちらのお寺は気前よく拝観料など取らずに、寺院の内部かなりの部分を自由に拝観できます。
宝物館は別料金ですが、くるくると渡り廊下を経て本殿から他へ移動する間に多くの僧侶の方と出会い、ご挨拶くださいます。
勤行も一緒にできます。

お掃除をされていたり、何かの準備をされていたり、でも拝観者の質問に答えてくださいます。

身延は日蓮宗の町。
ひなびた田舎の風景が広がる、宿坊や学校など信仰と共にある町。

門前町で馴染み深い名物の身延饅頭を買い求め、パパに届けました。

私はまったく熱心な仏教信者ではありませんが、
女子高生の頃の将来の夢は尼僧になることだったし、リタイア後は仏教を学びたい。
小さい頃から自然と家庭や地域の中にあった(田舎なら当たり前に)なんだかよくわからない尊い存在を、大切にするよう教えられて育ちました。
古典文学を学んで以来は、なおのこと近しく感じると共に、人々がそうしたものにすがりながら、支えられながら生活してきたことを自然に思っています。

祈らずにいられない人の気持ちと、受け止める存在と。
木立の参道を歩きながらそんなことを思いました。