アルベルト・アインシュタイン | ~少しでも楽しく幸せに生きるノウハウ~

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どもっ!!
ひぃくんですっ(∵)♪


今回はアルベルト・アインシュタインについて勉強したいと思いますっ!!
ひぃくん「天才は?」と質問されたら真っ先にアインシュタインと答えるとですっ(∵)



アルベルト・アインシュタイン(アルバート・アインシュタイン)


物理学者(現代物理学者の父と呼ばれる)

生涯:1879年3月14日~1955年4月18日


アインシュタインは数々の理論を提唱させた人物です。
一番有名なのは,相対性理論っ!!

質量の大きい物体の周りでは,時間は遅くなり空間は歪む。
まぁ~なんと難しいコトを言ってるんでしょっ(;゚ロ゚)

簡単に言えば,異性と食事に行ったとします。
興味がまったくないどうでもイイ相手と10分間食事すると1時間のように感じる(感じる時間が長い)
逆にスキな相手と食事を1時間すると10分間ぐらいにしか感じない(感じる時間が短い)
これが相対性理論やとですっ(∵)


この相対性理論は,アインシュタインが見た夢をきっかけに生み出されました。
たしか,光が早いとかなんとかの夢だったと思います。


そんなアインシュタインも言語障害で,5歳頃まではまったく話すコトが出来ませんでした。
アルファベットの【R】は生涯反対にしか書けなかったと言われています。

大学受験にも失敗しました(スイスのチューリッヒ工科大学)
数学と物理の点数は最高得点でしたが,苦手分野の点数が悪かったためです。

女好きで不倫や家庭内暴力,タバコも好きで道ばたに落ちているタバコを吸うほどスキでした。


アインシュタインが天才になるきっかけになったのが,5歳のときに父親からもらった方位磁針です。
自然界の仕組みに興味を持ちました。
9歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り,様々な分学を独学で習得しました。
気になったコトには寝る間も惜しんで勉強し,考え自力で理論を提唱していきました。
当時は文明的に「何言っちゃってるのこの人?」って感じで変人扱いでした。
文明の発展した現代においてアインシュタインが提唱した理論は,ほとんどがその通りでした。
まさに現代物理学者の父ですっ!!


第二次世界大戦中にルーズベルト大統領に核兵器開発を薦める手紙に署名した手紙を送ったりしました。
のちに日本に初めて落とされる原子爆弾開発(マンハッタン計画)の起点とされています。
そのような爆弾を持つコトで抑止力になると考えたためです。
しかし実際に広島や長崎に原爆が落とされると「罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と激しく泣いた。
「もし広島や長崎のことを予見していたら,1905年に発見した公式は破棄していただろう」と言い,その後は核兵器や戦争の根絶に努めました。
1905年とはアインシュタイン(26歳)にとって「奇跡の年」と呼ばれています。
その数年で「光重子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」などの重要な論文を次々と発表しました。


天才であるアインシュタインも1955年4月18日,76歳で生涯を終えました。
アインシュタインの遺体は焼却されましたが,当時のアインシュタインの解剖を担当した解剖学者は脳を自宅に持ち帰り知人などに配布したりしました。
そんな脳の一部は,世界各地の博物館や科学館で展示されたりしました。


死してなお彼の脳を欲しがる人がたくさんいた証拠であり,アインシュタインが天才である証です。

 

【アインシュタインの雑ネタ(後日公開)】

内容:ひぃくんが20代前半の頃に異性とドライブした際に使っていた雑ネタ。

 

 

【オススメの本】