マクラメブレスレット作ってます。
石読み講座については
サカモトチヨの石読み講座概要
九月の予定はこちらからどうぞ☆彡
hiro☆さんとのコラボ、いよいよ今日の10時から!
有難いことにほぼほぼ埋まりまして。
hiro☆さんと龍さんとのハイエナジーなエネルギーエステと、
サカモトの石のエネルギーとメッセージをお伝えする、
盛りだくさんのイベントを、是非是非楽しんで行ってくださいね♪
ありがとうございます!!
11月14日には、いけじりさんとのコラボもやらせていただきますので、
よろしくお願いいたします〇
LINE official account始めました!
よろしくお願いいたします(U óㅊò)
不安とは―
ふ‐あん【不安】
[名・形動]気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。 日常に潜む漠然とした不安感は、人の精神を脅かし、安定感を無くしてしまい、それは幸福とは程遠い精神状態へとなってしまいます。そんな不安を研究し、どのように対処していけばよいか、安心感を得られる方法はあるのかを調べることを目的として、ウィリアム・D・上原先生よりアドバイスをいただき、”不安研究所”を立ち上げさせていただきました。今回のテーマは、不安になる事と安心する事を知る。という事で書いていきたいと思います。 不安というよりも、物事を突き詰めて考えこんでしまったとき、狭量になりますね。なんていうか、めちゃくちゃ視野が狭くなって、これしか選択肢がない!って思いこんでしまいます。正反対の選択肢なんてありえない!と言う風に、反対意見を受け取れなくなってしまったり、他の選択肢が見えなくなってしまって、自分の選択を守るかのように理論武装してしまう。そこで感情的になってしまうと、理論的な会話をしていたはずなのに、人の好き嫌いや人格否定に論点がずれてしまいます。 おしゃべりは好き(共感)だけど、議論は苦手(理論)という人は、割と多いかもしれません。一つの話題について情報を沢山集めて、纏めて、隙のない会話をするのが好きなのです。「〇〇はこうこうこういう理由で△だから、それは意味がないねん」「それはもう、論点がずれてしまうから話にならない」 そんなやり取りを嬉々としてするので、内心、私の事めっちゃディスってくるけど嫌いなんかな・・・(・公・)。 そうではなくて、なんていうか、自分が組み立てた論理がどれだけ綺麗な羅列を作っているかを知ってほしいのだと最近分かったので、分かる所は会話をするけれども、入り込めそうにない話題であれば(旦那は私が興味あろうがなかろうが関係なく好きな事喋る)、興味深く聞いています。 わからない、が分かるようになると、”じゃあ、今後どうしていこうか?”ということを考えていけるので、 私は嫌われたり、怒られたり、というのがとても怖いと感じるので、その”気配”を感じると不安になります。それをどうにかしようとして闇雲に突き詰めようとしているとき、とても不安を感じます。 不安を突き止めたとき、どうすれば安心できるようになるでしょうか。 それらすべてを手放したとき、手放してよいのだと気付いたとき、人は初めて安心できるのかもしれません。 私の場合は、例えば、それが綺麗な時、ベランダを見て流れる雲を時間の許す限り眺めます。 自分で簡単にできる、”突き詰めてしまう思考の手放し方”です。人によっては、真逆のことが不安になるかもしれません。 何もしていないことが、不安という人もいるでしょう。そんな時は、自分に”仕事”を作ってあげると良いかもしれません。 自分を知るということは、良く効く薬を飲むのと似ているように思います。人は世界を見る時に、自分の今まで培ってきた価値観という色眼鏡で見ています。これを認知バイアスと言うのですが、できるだけフラットな状態で見れるようになった時、世の中にはAしかないのではなく、Bだけが正しいわけでもなく、AやBやCやDと様々な選択肢があって、それを自由に選んでいいのだという事に気が付きます。 その時初めて、不安で自分を縛って安心していたのは、自分だという事に気が付くのかもしれませんね。 書いていてふと思いついたのですが、タロットの0番、”愚者”のような人は、不安にならないんじゃないかなと。愚者のような人と言うのは、例えば、様々な場所へとさすらう旅人のような、はたまた果敢に目の前の出来事へとぶつかっていける挑戦者とか、そういうイメージなんですが、次回はちょっとこのことについて書いてみたいと思います。
グッバイ宣言、一子が聞いていて妙に刺さったんで聞きたかったんですが、
一子が曲名を覚えていなかったのと、私もうろ覚えだったんで辿り着くのが遅くなってしまったんですね。
いつもよりも優しい夜に包まれながらおやすみなさい。