スピとそれぞれの幸せの形。 | 石読みと人間観察ラボ

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先に断っておきますが、うちのハムスター、可愛いんですよ。

本当に可愛いんですよ。

 

けれども最近は、

 




 

この顔である。

 

 ハムスターは夜行性の為、昼間は大人しく眠っているのだが、

時折姿を現しては、ガリガリとこの調子である。

 

 これが毎回だとハムスターに何らかのストレスがかかっている証拠だそうなので、

そうなったら対策を練らないとダメなんですが、

うちの場合は大体お腹が空いた(自分の好きな食べ物が食べたい)か、外へ出たい時みたいです。

 

 ハムスターの餌は、色々入ったミックスフードをあげているのですが、

コーンがお気に入りらしく、口元に持っていくと際限なく頬袋に詰めます。

たまにフェイントでヒマワリの種を渡すと、口で咥えて持って行った後地面に叩きつけるw

 

 それで大体落ち着くのですが、それでもガリガリしているときは部屋の中を散歩させます。

部屋中をクンクンしながら動き回り(とても速い)、部屋を二周くらいしたら回収して

ハウスの中に入れます。

 

 その時にちょっと物足りなさそうな顔をしているのを見ると、

幼稚園時代に、公園から帰りたくなくて怒っていた一子を思い出す。

時間なんて定めずに、もっと遊ばせてあげればよかったかなぁとか。

そういうちょっと後悔に似た記憶を、ハム子を見て思い出したりもする。

 

でもそういうことを言ってると時間の許す限り際限なくくるくるパタパタしているので、

やっぱりきりの良いところでハウスしてしまうのである。

 

こんばんは。石読み師のサカモトです。

 

最近朝方になると旦那(眠りが浅い)がハム子がガリガリしているのを見て

散歩(二回目)させてあげてるみたいですね。

何回も催促するとは流石だなハム子。。。

 

 

 さて。昔、幸福について考えてみるという事でブログを書いたことがあります。

それがこちらなんですが。

 

 
何か知らんが幸福ってこういう事らしいという事を調べてまとめた記事になっています。
長いんでお暇な時にでも。。。。なんでこんな改行ばっかしてんだろうな昔の私。
 
 幸福というのはすべての人類が目指す所でもあり、しかしその実態が漠然としすぎているきらいがあるわけで。
全ての人が求めながらもみんな違ってみんないい(by金子みすず)それが幸福ということですね。
 
 私は人の幸福そうな姿を見るのが好きです。
五感を通して、感覚を通して感じた幸福そのものの出来事が、自分の身に起こったように感じられるから。
それが大好きな人、大切な人であればなおさら。
幸福を感じているその人ごと、その幸福を祝福したくなる。
 
 ただそれは当たり前と言えば当たり前だけど、どうしてやはり”私”の幸福ではない、のではあります。
スピリチュアルをされている方々は、”スピリチュアルで幸せになる”と仰っているのをよく目にするのですが、
(誓って批判をしているわけではありません)私の感覚の中にはない感じなんですね。
 その違和感が長い間ずっと解決していなくて、なんというか、普遍的な、誰もが理解できる、共感し合える幸福の形
ではなくて、自分の身が自分の中にだけにしかない、幸福という感覚が知りたいんだなという事が最近になってようやくわかって、
それが何なのかがついに腑に落ちたので書いてみようかなと思った次第でございます。
 
本当に何度も言いますが、普遍的な幸福も皆が一様に感じている幸福も”違う”と言いたいわけではないです。
それはそれで本当に理解できますし、肯定していますし、批判否定をしているわけでは全くない、ということを、
どうか理解していただければ幸いです。
 
 で、何でこんなにもしつこくこういうことを言うかというと、今、私は年齢域が火星期なんですが、
私の火星期って乙女座なんですよ。なんで、数年くらい前から考え方や文章の書き方がうっかりすると
なんだか批判的になっている気がするんですよね。
なので気を付けながら書いているわけですが、口調が以前よりもきつくなったりしていたらごめんなさいね。
 
 で、私の幸福って何なのかを考えたときに思い浮かべたのが、
昔、鞄を探しに梅田に出かけたときの記憶でした。
 
 私は凝り性で妙にこだわりが強いところがあるので、
〇〇が欲しい、けれども欲しい〇〇が見つからない、という事がよくあるのです。
 
 その当時は凄く鞄が欲しくなって、梅田に繰り出して朝から晩まで探し回ったことがあるんですが、
多分その時が一番自分にとっての幸福を感じた思い出なんですよね。
あんまり理解してもらえない感覚かも知れないんですけど。。。。
 
・欲しいもの(追求したいもの)がある
・欲しいものの理想形が頭の中にあってそれを追求することができる
・どこまでも行動できる
 
という条件が私の幸福の条件みたいです。
因みにこの時、理想のカバンは見つかりませんでした。
その先で条件ぴったりのカバンを見つけたことが幸福だというのであれば、
凄く理想通りのカバンを購入したことが幸福となるのでしょうが、
私の場合は、追及している過程そのものが幸福につながるようで。
 
 スピリチュアルにおいても、私はスピリチュアルで幸福にする、人を救うということよりも、
このスピリチュアルというのは結局のところどこから始まって(起源)、
どのように伝わって行って、今こういう形になっているのか?
を追求することそのものが幸福です。
 
スピリチュアル、とくにオカルト方面や龍や天使やっていうのは、
批判するのは簡単でです。
”お前がそう思うんならそうだろう お前ん中ではな”
で済む話ですから。
スピリチュアルという名前のついているものすべてが正しいものではないのだけれども、
視点を変えたり起源を見つけ出すことで、見えてくることもある。
全肯定でも全否定でもない中庸のところで、その何かが見つけられたらなと思います。
 
 だから、調べた事や分かったことをバンバンブログに書いてお伝えするのが楽しいですし、
なんかこう・・・携われたらそれでいいやっていうか。。。
”それでなんかしないんですか?”
みたいなお声もちょいちょい頂いてはいたんですが、
 
 

 
こんな感じです。
 
あ、言語化したらちょっとすっきりしたな。
 
昔は幸福なんてどこか嘘くさいと思っていました。
どれだけ笑っても楽しんでも、陰みたいにまとわりつく不幸の種みたいなのが体の芯に
常にある感じで、楽しい出来事があるたびに揺り戻されては不幸になって落ちこんでましたね。
感情を解放するっていうことを提唱されているブログを読ませていただいて、
解放をしていきながらスピリチュアルを学んでいくうちに、
気が付いたら自分の根っこに常にあった問題と不幸が、
心の底からどうでも良いことになっていました。
これから先、何が起こるかわからない山あり谷ありの人生を、
悩みや迷いなんてどうでも良いと自分の歩幅で進むことができたなら、
それだけでこんなにも有難いことはない。
 
そう思っております。
 
そして、追求したいテーマが降りてきたら、それが私の幸福の始まり、なんですきっと。
 
いやもう言語化が難しいなほんとに。
 
少しでも伝わっていたら嬉しいなと思います。
 
 
オマケ。



なんか一子が作ってたんですよね。
ちゃんと見れるかな?
 
それでは今日はこの辺で。
好きな香りに包まれて体をほぐしてみてくださいね。
優しい明日がきますように。
おやすみなさい。