その辺はもともと装備されてた。(30歳すぎて付き合った彼氏でしばらく変わってしまうけど。)
会いたいと言えば飛んできてくれたし、熱を出したら実家まで無言で薬だけ届けにきてくれたし、大学の実習の準備の手伝いもしてくれた。
お誕生日やホワイトデーには自分で買えない憧れブランドのバッグやネックレス、お財布、指輪、沢山買ってもらった。
でも彼は、自分のルックスのコンプレックスを、わたしで満たそうとしていた。
自分の思うとおりの「可愛い子」を隣に置いておくことが、自分の価値をあげるように感じていたんだと思う。
わたしのメイクの仕方ひとつずつ、こうして欲しいと指示した。
可愛い子はこうだから。と毎日のように言われていた。
わたしは彼の言う通り、どんどん垢抜けていった。
そうすると今度は街中で
「◯ちゃんのことをみんなが振り返って見てる。その後俺のことみて、俺なんかと釣り合わないと思ってる。」などしょっちゅう言うようになった。
今まで以上にちやほやされはじめると、今度は自分のもとから離れていってしまわないように、わたしが自信をなくすようなことばかり言うようになった。
わたしは怒って、それでもしつこく言われて耐えきれず泣くと、本当に思っていたら言うわけない、冗談だからと言っていた。
いま考えると完全にモラハラだ。
そんな体験がベースにあって、長期的にルッキズムに支配されていた。

ルッキズムとは、外見重視主義。
主に人間が、視覚により外見でその価値をつけることである。
「look+ism」であり、外見至上主義、美貌差別、外見差別、外見を重視する価値観などとも呼ばれる。
「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。
Wikipedia
そんな経緯から、わたしはこのままじゃダメ、もっと可愛くならなくちゃ、ちゃんと痩せなくちゃ、などという強迫観念にかられていた。
食べることが大好きなので、太ってしまう自分はだめだといつも自分に悪口を言っていた。
いまも華奢な女性に多少の憧れはあるけど、その人らしくいられればどんな体型でも可愛いじゃん!て思えるようになった。
そうすると全く見た目への執着を感じない、ルッキズムゼロの相手が現れた。(いまの彼くん)
街を見渡してみると、モデルのような女優のような理想的な完璧な女性なんていないけど、みんなそれぞれに愛されてる。
でもSNSを見ていると、キラキラした世界だけアップしている女性や加工されまくった虚像と自分のリアルを比較して、自分を卑下しがち。
そこに他人の不幸話や、自己価値を下げるような厳しい情報ばかりをインプットしていたら、どんなにポジティブな人でも自分を不幸な方向へと導き始めてしまう。
ありのままの自分を愛してくれる旦那さんがほしいなら、まずは自分が自分のありのままを愛すること。
いい人になんだかむかついた自分がいてもいいし、ネガティブなときがあってもいいし、無気力なときがあってもいい、他人にディスられてもいい。
あなたの価値はどんな時も変わらないし、どんな自分でも絶対的に愛し続ける。
(まだ自分の中でネガティブなのがだめだと思ってた時は彼くんにネガティブにならないでって言われたことがあった。)
自分のわがままを聞いてくれる旦那さんがほしいなら、まずは自分で自分のわがままを許して、ひとつひとつ叶えようとしてあげること。
なに食べたい?はいつも聞いてあげて叶えてあげてるから彼くんの問いにもいつも即答。よくわからなくても、漠然としたことも言語化。
水分摂取ですら、毎日同じものが欲しいとは限らない。炭酸水飲みたい?それとも常温のお水?
(彼くんはそれを知って2本買ってきて選ばせたり、その都度聞いてくれるようになった。)
見た目で判断してほしくないなら、まずは自分の価値を見た目で左右させないこと。
太ってきたら、なんかむちむちして可愛いね♡
お昼まで寝て1日中パジャマでボサボサでも、こんなゆるい自分も最高じゃん♡
鏡に映ったすっぴんの自分にも笑顔で今日も可愛いね♡って声をかけてあげる。
(彼くんはどんなときも特になにも言わない。笑
病気で痩せた時は心配してたけど。)
自分が欲しいものは、まず自分で自分に与えてあげられていないと、相手からもらえることはない。
基礎化粧品はラロッシュ一択!

