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江の島電鉄 藤沢駅


今年は、種類豊富に紫陽花を愉しみたかったため、青色の姫アジサイが中心の明月院はパス。
成就院から切通を下って、御霊神社により、長谷寺へ、ついでに高徳院で大仏様に拝んでまわるコースに決定。


江ノ電で藤沢から、極楽寺へ。

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  江の島電鉄 極楽寺駅


極楽寺にて下車。
紫陽花を巡る旅、始まる。



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陸橋から、タイミングよく来た江ノ電をぱしゃり。



まずは、成就院へ。

弘法大師さまが修業したことでも知られる縁の地に、
1219年、北条泰時が一族繁栄を祈って建立。
ご本尊は、「縁結び不道明王」と知られ、縁結びのご利益があるとして人気。


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弘法大師像

逆光でお顔が・・・(汗)。



成就院から下へ続くのが、紫陽花で有名な切通。 

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極楽寺坂切通し

鎌倉七口のうちの、一つ。
遠景に由比ヶ浜を望み、
除夜の鐘数と同じ108段の階段の両側には、
般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が続く。


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上から見下ろした景色が有名だけれど、
下からの図もなかなか。

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  真ん中の女性は気にせず(笑)


この日は、日差しが強くて、日傘が手放せなかった。

日光をまともに浴び、なかには枯れて萎びたようになってしまったものもちらほら。
ここの切通しは日差しが強いので、旬の時期も早めだろう。

梅雨時こその紫陽花。
愉しむなら、曇ってるか、小雨くらいの方が丁度良い。

雨空の下、霧に撒かれて咲く紫陽花は、別格。
一房ごとに、自ら発光するかのごとく、浮かびあがり、
水気を帯びて色味が冴え、輪郭は際立ち、艶やかな影を落とす。
夕暮れ時でも良い。
日が落ちて辺りが暗くなってくると、植物は妙に生気を帯びて、生々しくなる。



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 成就院の御朱印

紫陽花のシーズン中は混んでいるため、
御朱印は、もともと書き溜めてあったものを頂いた。
御朱印帳を忘れて落ち込んでいたのだけれど、ちょうど良かった。


このまま坂を下って、御霊神社をめざす。




途中の道すがら、ウソみたいに可愛らしい花を発見!

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 これも紫陽花の一種なのだろうか。。
可愛いにも程がある。
刺繍みたい。
しばし見惚れて立ち尽くす。



本格的に紫陽花を愉しめるのはこれから。
浴びるほどに紫陽花を(`∀´) !

続く。 
 
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  こども展 ー名画にみるこどもと画家の絆ー @森アーツセンターギャラリー
(2014,4,19~6,29)


前々から行きたかった企画展!


3分の2が日本初公開。
48人の名巨匠たち(モネ、ルノワール、ルソー、セザンヌ、ピカソ、マティス、ドニ)の作品計87点はすべて!
“こども”(とその家族)の肖像画のみ!

2009年にパリ・オランジュリー美術館で開催されたLes Enfants modèles(「モデルとなったこどもたち」と「模範的なこどもたち」のダブルミーニング)が、日本向けに再構成された今回の企画展。
パリでは20万人を動員して大盛況をおさめました。


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モーリス・ドニ 《サクランボを持つノエルの肖像》 1899年 個人蔵

数々の名画が並ぶ中、今回1番こころに残ったのがこのあどけない笑顔。
思わず抱きしめたくなるほど愛らしい。


―展示構成―

序章
第1章 家族
第2章 模範的な子どもたち
第3章 印象派
第4章 ポスト印象派とナビ派
第5章 フォーヴィスムとキュビスム
第6章 20世紀のレアリスト



西欧諸国で、こどもの肖像画が描かれるようになったのは、16世紀頃。
当時、両親と子どもが一緒に過ごす時間はほとんどなく、
日常の世話は、女中や家庭教師に任されていた。
肖像画において重視されたのは、その子の跡継ぎとしての地位や格式のみ。
子ども自身の存在や感情は問題視されていなかった。

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ルイ=レオポルド・ボワイー 《私の小さな兵士たち》 1809年 ドゥエー、シャルトルーズ美術館


展示品第1作目。
写実性に優れ、セピア色の写真のよう。
なぜか困り顔の犬にも注目。


18世紀半ばに、思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)の教育論「エミール」によって、新たな教育法が説かれた。
ルソーは、子どもたちを固有の人格をもった自立した存在と認め、親たちが子どもとのふれあいを大切にするように奨励する。
今まで「小さな大人」としかみなされていなかった子ども。
この頃から漸く、教育の問題や、母親のあり方が議論されるようになった。

フランス革命(1789年)後、市民階級の出現と共に、子どもの肖像画も広まり、
19世紀になると、「子ども王様」(アンファン・ロワ)といわれ、子どもは家族の中心となっていく。



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シャルル・ブラン《ジャルメール・ピショの肖像》1881年 ポワティエ、サント=クロワ美術館

やわらかな白肌に、瞳の大きな美人さん。
抱かれた鳩は、こどもの無垢の心の象徴。

でもこうして肖像画に残されるのは、裕福な家庭の子どものみ。


19世紀後半、義務教育が本格化した。
しかしその反面、孤児も社会問題に。
貧しい子どもや捨て子は、孤児院や修道院に送られる。

 
アンリ・ジュール・ジャン・ジョフロワ 《教室にて、子どもたちの学習》 1889年 パリ、フランス国民教育省

教科書を書き写したり、読み上げたり、生徒それぞれの様子がよく描かれている。



ベルナール・ブーテ・ド・モンヴェル 《ヌムールの寄宿舎》 1909年 ブーローニュ=ビヤンクール、1930年代美術館

こちらは修道院の様子。
規律きびしく、そろいの黒い制服に身を包み、
上の教室の光景と比べると、どこか物悲しい雰囲気。


 
 今回の副題は「名画にみるこどもと画家の絆」。
絵と共に、解説、音声ガイドを通じて鑑賞していくうちに、
巨匠たちの、職業は画家でもその反面、子を持つ親であり、
いつの時代も変わらぬ、親が子を大切にしていた愛情が感じられて、
温かな気持ちになった。

まずはルノワールの作品から。

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 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《遊ぶクロード・ルノワール》 1905年頃 オランジェリー美術館

女の子に見えるけれど、実際は三兄弟の末っ子。
当時フランスでは、男児も、8歳頃まで女の子として育てる風習があった。
ルノワールは、息子が学校に上がる年になって、金髪を切らなければならなくなるのを嘆いたそう。
 
あくまで自然な姿を好んだルノワールは、子どもたちにポーズをとらせる事はしなかった。
おもちゃで遊ばせたり、絵本を読み聞かせる家族の姿を描いたり。
子どもたちがアトリエ嫌いにならないように、叱らないようにしていたとのこと。



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  ピエール=オーギュスト・ルノワール 《ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども》 1887年 オルセー美術館

この絵のモデルは、女流画家ベルト・モリゾの一人娘、ジュリー・マネ。
モリゾは師であるマネの弟、ウジューヌ・マネと結婚している。
ルノワールは当時、印象派から離れて、古典主義的な画風に移行していた。
そのアングル風の優美な画風に魅せられて、モリゾ、ウジューヌ夫妻が愛娘の肖像画を依頼。
ルノワールもはりきって取り組んだらしく、本作の前に、くり返しデッサンを重ねたとのこと。



モリゾ自身も、この一人娘をかわいがり、くり返し描いている。


ベルト・モリゾ 《庭のウジューヌ・マネとその娘》 1883年 個人蔵


しかしジュリーが16歳の時、モリゾは娘を残し、この世を去ることとなる。
ルノワールは、ジュリーの後見人として選ばれているが、
後にジュリーも、画家となった。

モリゾが亡くなる間際、ジュリーに残した手紙↓

「かわいいジュリー。
あなたが結婚するまで元気でいたかった。
優しい人でいてください。
あなたの事で、悲しい思いをした事は一度もありません。
あなたを抱きしめる以上に愛しています」

母親でありながら、働く女性の先駆けとなったベルト・モリゾ。
アトリエに早くいって場所を確保したりと、ウジューヌも優しい夫だったらしい。



そして今回楽しみにしていたのがこちら。
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ポール・セザンヌ 《芸術家の息子の肖像》 1881‐82年 オランジェリー美術館

セザンヌのひとり息子、ポールを描いたもの。

「リンゴのようにおなり!」
と人物を描く際にもモデルに言い聞かせたとされるセザンヌ。
彼にとっては愛する息子も、静物画を描くときと同じモチーフにかわりはない。
ポールは当時9歳で、初めての肖像画とのことだが、動かずにじっとできる年齢になるまで待ってのことだろう。
この時だって、遊び盛りのポール少年、さぞかし退屈したに違いない。
賢固で実直で重量感のある、セザンヌらしい肖像画。
右の椅子の背の存在も気になる。
先にみたルノワールの画風との、両極端の対比がおもしろかった。



 
アンリ・ルソー 《人形を抱く子ども》 1904‐05年頃 オランジェリー美術館

今回の目玉、一度みたら忘れられない、インパクトある作品。
当時子どもの死亡率は高く、幼少のうちに半数は亡くなってしまう。
ルソーも7人授かった子どものうち、6人を夭折している。
この絵が描かれた当時、早世の子どもや最愛の妻の他界と不幸が続き、
少女の表情から、その悲しい気持ちが反映されているのでは、とのこと。

悲しみ、というよりも、もっと根底からみなぎる力というか、込められた思いというか、
力強く描かれたその表情からは、パワー感じた。
濃い眉、くっきりした瞳と眼縁、鼻筋や、鼻下、顎の影、がっちりした輪郭。
渾身こめて一筆一筆、忘れないように、見落とさないように、全力で描き残そうとした結果、
このような絵になった、、という気がした。

チラシでは、宙に浮かんだような態勢やら、身体に埋もれすぎな顔やら
諸々のおもしろい構図に目がいったけれど、
実物を目の当たりにすると、まずはこの迫力ある顔から目が離せなかった。



会場でみていて終始笑顔がたえなかったのがこちら。
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モーリス・ドニ 《トランペットを吹くアコ》 1919年 個人蔵

9人の子を授かり、子だくさん、子煩悩で知られた、ドニ。
明るい水色の瞳は、ドニ家の証。
子どもの純粋さ、、あどけない表情。
天真爛漫、無邪気に遊ぶ様子が、特徴のある曲線で、色彩豊かに描かれている。
 
  
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モーリス・ドニ 《ボクシング》 1918年 個人蔵
 
確かな画力と、あとは親の100%の愛情が込められてこそ、完成した作品だと思った。
親は我が子の魅力を、傍で1番よく知っている。
描かれた子どもが、そこらにいたよく知らない子どもとかだったら、
ここまで魅力あふれる絵は、描けなかったに違いない。



1番気に入った作品をもう1度(笑)

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モーリス・ドニ 《サクランボを持つノエルの肖像》 1899年 個人蔵

あ、愛くるしい!!

ドニは息子について、こう書き残している↓

「ドミニクの傍にいると、私はすべての不安を忘れてしまう。無気力にやる気の無いまま、
古い物をくり返しているアトリエで、
ドミニクはそこにいて、ゼンマイ仕掛けの馬を修理し、絵を描いている。」




 
クロード・モネ 《玉房付の帽子を被ったミシェル・モネの肖像》 1880年 マルモッタン・モネ美術館

上のミシェルは当時2歳。
マネ自ら描いた子どもたちの肖像画は、プライベートで大切に、最後まで手もとに残した。

友人に宛てた手紙から↓

「今のあの子の、何とかわいいことか。
この小さな生き物が大きくなっていくのを見るのは、実にわくわくすることだ。
そうとも、息子がいて、僕はとても幸せだ」



他におもしろかった作品がこちら。
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 アンリ・マティス 《ピエール・マティスの肖像》 1909年 個人蔵

被っているのはインディアンの羽根飾り。
できるだけ簡素な描線で、表情をとらえているとのこと。
ピエールは後に、ニューヨークで画廊を開き、当時の前衛的な作家を支援して活躍する。

この前行ったバルテュス展でも、ニューヨークでバルテュスが初めて個展を開いたのは、
彼の画廊であったと解説されていた。


 
 20世紀に入ると、ダダイズム、シュルレアリスム、抽象絵画、ポップ・アート等、
前衛的な芸術活動が盛んになるが、
エコール・ド・パリの画家たちなど、具象、レアリスムの動きも活発であった。


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キスリング 《オランダ娘》 1933年 日本テレビ放送網(株)蔵




日本人のエコール・ド・パリ作家といえばレオナール・フジタ。
 
  
レオナール・フジタ 《機会化の時代》 1958-59年 パリ市近代美術館

たくさんの子どもたちが、ミニカー、ラジコン、飛行機、ミシン、電話、掃除機等、それぞれ操っているが、
機械化・電化の時代のオマージュである。

額の大きな、無愛想なこども像で有名なフジタだが、
彼自身は、3度の結婚でも子に恵まれなかった。
第一次世界大戦が終わった1918年頃から子どもを描き始め、晩年まで描き続けた。
フランス人形のコレクションを大事にし、時には一緒に寝たそう。

フジタのことば

「私の子どもは、この世に存在している子どもではない。
 私ひとりだけの子どもだ。
 私の絵の子どもが私の息子なり娘なりで、1番愛したい子どもだ」




以上。

他にも、ピカソとその愛人、フランソワーズ・ジローの間に生まれた子どもの兄妹が、
ふたりそれぞれの手で描かれていた。

ピカソは自分もそうして育ったように、紙に直筆で描いたイラストを切り抜き、
こどもたちの玩具とした。
その切抜きも展示してある。
大きくなった息子いわく、今その話をすると、そのあまりに贅沢な玩具に皆驚くらしい。

そりゃそうだ。。


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会場入り口に飾られていた
レゴ認定プロビルダーの三井淳平さん作
アンリ・ルソーの「人形を抱く子ども」


こちら、実物の作品を観た後に再度みてみると、実によく特徴を掴んでいる! 
実物鑑賞後というのがポイント。


こども展 名画にみるこどもと画家の絆 @森アーツセンターギャラリー
(2014,4,19~6,29)



音声ガイドは、子ども向けバージョンも設置されて、親子で楽しめるようになっていた。
会場には、ちいさなお子さんや、赤ちゃんを連れて来場されているお母さんがちらほら。
実際に子を持つ親からすると、よけいに感慨深いものがあるんじゃないかなぁ(*´ω`*)


どんな子どもも、皆隔てなくかわいい。
大人になったら消えてしまう、あの純真さはどこへやら。
とてもほっこりした時間を過ごせましたε=(。・д・。)

ありがとうございました。



ゴッホの原点 オランダ・ハーグ派展 近代自然主義絵画の成立 @東郷青児美術館
(2014,4,19~6,29) 


聞き慣れない画家が盛りだくさん。
そもそもハーグ派っていったい・・・?


「ハーグ派」とは、
1870‐1900年頃、
アムステルダム、ロッテルダムに続くオランダ第三の都市、ハーグを拠点に活動した画家たち。
17世紀のオランダ黄金時代(フェルメールやレンブラント等)の絵画を再評価し、
フランスのバルビゾン派の影響を受けながら、
近代的な意味の自然主義絵画を確立。
屋外における自然観察を基盤として、
風車や運河、海景や船といったオランダならではの風景、漁業や農業に従事する人たち、室内など、
身近でありふれた光景を、透明感のある繊細な光とともに描いた。

本展では、国内初の、ハーグ派に焦点をあてた作品や、バルビゾン派の作品、
その影響のもと生まれた著名な画家、ゴッホとモンドリアンの初期作品、約90点を展示している。


第1章 バルビゾン派 ―ハーグ派の源―


1830~1870年代にかけて、
フランスのパリ郊外、バルビゾン村に集まって活動していた画家たち「バルビゾン派」。
近くのフォーンテーンブローの森に出かけ、自然を観察し、風景やそこに生きる人々を描いた。

 
 ジャン フランソワ・ミレー 《バター作りの女》 1870年(吉野石膏株式会社)

言わずと知れた画家ミレーは、バルビゾン派を代表するひとり。
自然のなかで逞しく生きる農民を堂々と描いた。

他にも、ルソーやコロー、ドービニーにジャック、デュプレ、ヨンキント等、
たくさんの画家の作品が展示されていた。


ミレーは、後に続く画家たちに多大な影響を与えた。

これは後に展示されたハーグ派の作品↓
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 マタイス・マリス 《種をまく人(ミレーによる)》 1883年(ハーグ美術館) 

こ、これは例の《種をまく人》!?
をもとにした版画。
マリスは、3兄弟のうちの次男坊。
兄ヤコプ、弟ヴィレムと共に3兄弟そろってハーグ派の画家として活躍した。


とにかくミレーの影響、ミレーの、ミレーの・・・と
「ミレー」づくしの解説が続き、どれだけミレーが偉大な画家だったのかがよくわかった。

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ヨハン・バルトルト・ヨンキント 《デルフトの眺め》 1844年(ハーグ美術館)


自然と向き合い、その光や色を絵に表そうとしたバルビゾン派は、17世紀のオランダ絵画を手本にしている。
17世紀のオランダでは、当時主流だった聖書や神話をテーマにした絵ではなく、ヨーロッパに先駆けて、
風俗画や風景画を描いていた。
つまり、ハーグ派の画家たちは、バルビゾン派を通じて、自国オランダ絵画の良さに気づいたとも言える。



第2章 ハーグ派

セクション1 風景画

「オランダのバルビゾン」と呼ばれたハーグ。
王宮を有した歴史的な古都でありながら、
街のすぐ背後には、牧草地や運河、干拓地に、森や砂丘をともなった海岸線が広がっていた。
1870年以降、そのありのままの自然に魅了された画家たちが集まる。
ハーグ出身者以外にも、他地で活動し、名を成してからハーグに来る者など、様々であった。


 
 ヴィレム・ルーロフス 《アプカウテ近く、風車のある干拓地の風景》1870年頃(ハーグ市立美術館) 

「アプカウデ」はオランダ中部のユトレヒト州の地名。
連なる雲から垣間見える青空のもと、
広がる牧草地、風車、水辺に反射する光、遠くには牛と小屋、更に奥に広がる森。
全てがのどかで、いかにも!なオランダ風景。


 
 ヘラルト・ビルデルス《干拓地の風景のなかの牡牛(オーステルベーグ)》 1867頃(ハーグ市立美術館)

バルビソン派のフォンテーヌブローの森のように、
ハーグ派は自然豊かなオーステルベーグの森に出かけた。

「わたしは牡牛を描かない。むしろその光の効果を描いているのだ」
(動物画家で知られたビルデルス本人の言葉)


セクション2 大地で働く農民
セクション3 家畜のいる風景
セクション4 室内と生活



ミレーによってもたらされた「大地で働く農民」という主題は、
ハーグ派を中心とするオランダの画家に大きな影響を与え、
農民、漁民、および人々の日常生活を描いた作品がたくさん制作された。

また、簡素な家の室内で、縫い物や読書、子供の世話などに、
静かに集中している人々の姿も主題とされた。

 
ヨーゼフ・イスラエルス《縫い物をする若い女》 1880年頃(ハーグ市立美術館)

窓からの光に照らされている様子は、17世紀のオランダ風俗画(フェルメールやレンブラント)を想起させる。


 
 ヨーゼフ・イスラエルス 《日曜の朝》 1880年(ハーグ市立美術館)



また、「動物を世話する女性たち」というのも
田舎の生活を描く上で興味深い主題だったらしい。

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マタイス・マリス 《出会い (仔ヤギ)》 1865年頃(ハーグ市立美術館)

当時の人々に、力強く、デザイン感覚が激賞されたという。
20㎝×15㎝位の小さな絵なのだけれど、
やわらかな日の光に照らされたなか、
仔ヤギにおっかなびっくりしている幼い妹と、それを抱き寄せる姉の、健気な姿が微笑ましい。
ちいさな仔ヤギも初々しく、画面全体が何ともいえない可愛らしさに包まれていて、気に入った。


セクション5 海景画


海に面したハーグは、市の中心地から歩いて2時間で海に出ることができた。
海岸や砂浜、船、 漁師なども重要な主題。

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ヘンドリック・ヴィレム・メスダッハ 《オランダの海岸沿い》 1885年(ハーグ市立美術館)

淡いパステル調で描かれた空模様も良いが、それが反映された海岸がまた美しい。
影になった漁船も映え、味を加えている。

海景画で知られるメスダッハ。
裕福な家庭に生まれ、バルビゾン派や同時代の絵画を集め、「メスダッハ美術館」も創設している。


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ヤコブ・マリス 《漁船》 1878年 (ハーグ市立美術館)

背景全体を覆う雲と、海岸だけでここまで描けてしまうのが素晴しい。
漁船は「ボムスハイト」と呼ばれるニシン漁のための船。
ハーグの漁村スヘフェンニンゲンには港がない為、
馬をつかって砂浜まで引き上げていたらしい。

ハーグ派の典型だという「銀灰色」の色調から、なんとなく寂しい印象を受けた。


第3章 フィンセント・ファン・ゴッホとピート・モンドリアン


ここにきて、ようやく二大画家の登場。
はっきり言って、いくらなんでもずっと風景画ばかりみていると、あきてくる。
なんかパッとしないな・・・などど目をこすっていたところにゴッホの作品、一気に目が覚めた。

何で同じ画題で、こんなにも違った作品が出来上がってしまうのか。。
ゴッホ独特の力強い筆づかい、ゆがんだ構図で描かれた作品群は、
今までの流れからするとインパクトがありすぎ、
「あぁ、これがゴッホなんですね」としか言いようがなかった。


 
 フィンセント・ファン・ゴッホ 《紡ぎ車を操る農婦》 1884年(和泉市久保惣記念美術館)

ゴッホ(1853~1890)は16歳から20歳までハーグに住み、美術商、グーピル商会で見習い社員として働いている。
27歳で画家になる決意をかため、ベルギーのブリュッセルへ絵を学びに行くが、その後またハーグに戻り、いとこと結婚したアントン・マウフェ(1883~1888)に絵を学んだ。

バルビソン派のミレーや、ハーグ派のイスラエルスのように、農民の姿はゴッホの重要なテーマであった。


フィンセント・ファン・ゴッホ 《白い帽子をかぶった農婦の顏》1884~85年(クレラー=ミュラー美術館)


「働く農民を描くこと(・・・)これこそ現代の芸術の中心となる重要なものなのだ」
(ゴッホの手紙より 1885年7月14日頃)


 
フィンセント・ファン・ゴッホ《ガシェ博士》 1890年(ハーグ市立美術館)

ゴッホ唯一のエッチングであるという、こちらも興味深かった。
何ですべてがうねってしまうのだろう。。



そしてもう一人、ハーグ派の影響を受けたオランダ画家、ピート・モンドリアン(1872~1944)。
赤・青・黄の三原色と水平や垂直にのびる黒い線で表現された、抽象画が特徴。
 
  
ピート・モンドリアン 《赤、黄、青と黒のコンポジション》



しかし、初期にはこんなパステル調の風景画も描いていた!
 
 ピート・モンドリアン《アムステルダムの東、オーストザイゼの風車》 1907年頃(ハーグ市立美術館)

モンドリアンの作品は計4枚展示してあったが、
画風が独創的に変化していくのがおもしろかった。



ピート・モンドリアン 《ダイフェンドレヒトの農場》1916年頃(ハーグ市立美術館)


 
 
 ピート・モンドリアン 《ドンビュルクの風車》 1908年(ハーグ市立美術館)


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 ピート・モンドリアン 《夕暮れの風車》 1917年(ハーグ市立美術館)


こうやって並べて見ていくと、極限まで簡素化して、1番上の抽象画に辿り着いたという経緯が、なんとなく理解できる気が・・・する?



以上。


所蔵作品には

 
ポール・セザンヌ《りんごとナプキン》 1879‐80年(東郷青児美術館)
 

 
フィセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり》 1888年(東郷青児美術館)


セザンヌが1番好きな作家なので、
今回1番時間をかけて鑑賞したのは実はこれら所蔵作品だった。

他に、ルノワールやゴーギャン、
初めて絵を描いたのが居間のマントルピースの蓋で、58歳だったというグランマ・モーゼスの、
とても99歳の頃に描いたとは思えない、絵本の挿絵のように可愛い絵や、
72歳で始めた刺繍画など、年表つきで展示されているのでわかり易くおもしろかった。


ゴッホの原点 オランダ・ハーグ派展 近代自然主義絵画の成立 @東郷青児美術館
(2014,4,19~6,29) 


ハーグ派。一人ひとりは、初めて知った名前ばかりだったけれど、勉強になった。
みんな上手い。
だけれどただ上手いだけでなく、
更に進んで独自の才能を上乗せして開花させなければ、後世に大きく名は残せない。。

どの世界でもそうだけれど、改めてその厳しさを痛感した・・・(;´ω`)

ありがとうございました。

 

 

 





没後五〇年 松林桂月展―水墨を深め、画中に詠う― @練馬区立美術館
(2014,4,13~6,8)


明治・大正・昭和の3つの時代を生き、数々の名作を残した、
近代を代表する日本画家、松林桂月(まつばやし けいげつ)(1876~1963)。

山口・萩の出身。
幼いころから絵に親しみ、上京後、文人画家・野口幽谷(渡辺崋山の孫弟子)に入門し、南画を学ぶ。
詩・書・画のすべてに優れ、三絶の境地を目指し、南画の真髄ともいうべき水墨画を極める。
精緻で格調高い表現を基にした、独特の叙情的な作風は高く評価され、南画界の重鎮としての地位を確立。
1958年には文化勲章を受章。
文化功労者、日展顧問、1961年日本南画院会長。
死後従三位勲二等旭日重光章受章。

没後50年を記念した本展では、初公開を含む大作や、
師である野口幽谷、同門の妹弟子で妻である松林雪貞(せってい)の作品を含め、約100点が展示される。
「最後の南画家」と評された桂月の、30年ぶりと久しい回顧展。


第一章 1876~1918
―若き日の桂月 師・野口幽谷と妻・雪貞(せってい)―



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松林桂月 怒涛健鵰(どとうけんちょう) 明治30(1897)年 個人蔵

桂月は、18歳で上京し、19歳で野口幽谷に入門している。
こちらを描いた当時はまだ21歳。
約半年かけて構図を3回描き直し、幽谷の手助けもあえて断ったとか。
結核を患い、苦しみのなか必死で描いたという。
努力は実を結び、日展で銀牌を受賞して飛躍のきっかけとなった、
若いころを代表する1作。

もちろん後年に比べたら、まだまだ甘いけれど、
力強い線で描かれた動きのある波や、鷲の緻密な描写は見事。



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松林桂月・雪貞 不老長春(昭和後期) おおすみ歴史美術館


同じ門下である女流画家、松林雪貞(1880~1970)とは、明治34年に結婚している。
左が雪貞の作で、薔薇と雀。
右が桂月で、松。
桂月は後に回して、ここで特筆したいのが、雪貞の作。
精密に描写された草花の、鮮やかさに目を奪われた。
薔薇は白と薄いピンクの2色で縁どられ、
濃い緑と黄緑の葉。
えんじの小木と、薔薇の棘。
濃く薄く、表情をつけながら丹念に彩られている。


さらには
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松林 雪貞 雁来紅朝顔(がんらいこうあさがお) 大正4(1915)年 山口県立美術館 

解説から。
鮮やかな紅色を示す雁来紅(葉鶏頭)。
青紫が涼しげな朝顔、露草といった秋の草花が描かれ、爽やかな初秋の風情を感じさせる。
上部には蜂や蝶も飛んでいる。

雪貞は、このような草花図を得意としたらしい。
一見、派手にみえるのだが、じつは静かで落ち着きがある。
上品で優美、楚々としていて、描いた作者も絵同様、凛とした女性に違いないと思わせる。
こちらの絵は装飾的で、木いっぽん、葉枝含む全てが明るいピンクやオレンジで塗られていたり、
葉も、1枚の葉面を、赤と黄、紫と黄緑に塗りわけられたりしている。
華やかで清楚、何ともいえぬバランスが魅惑的。
結婚後は、表だった制作活動はしなかったらしいが、もったいないと思った。



第二章 1919~1945
―桂月美術の最高潮 大正期から戦後まで―


 
松林 桂月 威振八荒(いしんはっこう) 昭和2(1927)年 宇部興産開発株式会社

解説から。
鷹や鷲などの猛禽は、他の鳥の上に君臨することから、
支配者の威光が天下にあまねく及ぶ(威振八荒=全世界に振るう)ことを示す画題。
鷲のとまる岩には、右上から左下へと流れる桂月独特の描線が見られる。
透明感のある藍色の海水など、色彩の美しさが特筆される。

鷲の羽根一枚まで丁寧に描写されている。
第二章では、屏風や掛け軸等、大きな作品が目立ったが、こちらも壁一面を占領し、圧巻の迫力。
鋭い視線の鷲は下界を睥睨し、存在感を放っていた。



第三章 1946~1963 ―孤高の境地 戦後の桂月―


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松林 桂月 竹林幽趣(ちくりんゆうしゅ) 昭和31(1956)年 個人蔵

これぞ桂月。水墨画の極み。
墨一色でここまで描けるのか。
画面全体にたちこめた、白くいぶる霧。
濃く淡く、重なるごとに描きわけられた竹林。
辺りの静けさに、流れる川や葉の擦れあう音、肌にしっとりとはりつく湿気を帯びた空気が、
みているこちらにまで伝わってくる。



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松林 桂月 長門峡(ちょうもんきょう) 昭和26(1951)年 個人蔵

名勝・長門峡は、桂月の故郷である、山口県・萩市にある峡谷。
山口県観光課に、名勝保存のため長門峡図を描いてほしいと依頼され、第7回日展にも出品されている。
自ら「会心作」とする作は、山口に納められたので、こちらは自宅保存のために再制作されたもの。

解説に、
うっそうと茂る森林の深さと、水流に映る光の輝きが見事なコントラストを示す、とあるが、
川面の白い部分には、ひっかいた様な線がたくさん散っていて、それが川面に反射する光に見えた。
水墨画なのにやけに眩しい。
なぜかこの絵だけ、最初見た瞬間、油彩画に見えた。
それはこの絵が描かれている紙の表面が、よく見ると、
キャンバス地みたいなこぼこしたものであったせいかもしれないし、
強い眩しさが油彩画の迫力に似ていたせいかもしれない。

 
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松林 桂月 閑庭 昭和28(1953)年 個人蔵


揺れる筆致で縁どられた、ダイナミックな岩。
その岩肌は、たらしこみ等、技法を駆使し、じつに変化に富んでいて見ごたえがある。
寝そべる猫は、何かを企んでいそうな悪人面。
手前の木や花の細長い草は、墨の輪郭線で縁どって、中を色で塗り込んでいる一方、
岩に這うように生えている植物の葉は、墨の輪郭線が用いられていない。



 
松林 桂月 白梅紅梅 (左隻) 昭和37(1962)年 萩博物館

 
松林 桂月 白梅紅梅 (右隻) 昭和37(1962)年 萩博物館

解説から。
白梅・紅梅の一対の屏風でありながら、
構図的にはまるで呼応しているようには見えない点が興味深い。
それぞれクローズアップされた梅の枝が、真四角な画面上を縦横無尽に流れているかのようで、
見る者を幻惑させるような図様となったいる。

背景の濃い金地は、よくある屏風みたいに泥や箔をつかって豪華さを演出しているわけではないので、
そのぶんシンプルに梅図自体をたのしむことが出来た。
視界に勢いよくとびこんでくる紅、やさしく見つめたくなる白、明るい苔の緑、
味のある枝肌や節に、ポテっと丸い梅の花も可愛らしい。
白紅2本とも右側からのびていて、呼応していないという構図も新鮮だった。




松林 桂月 野雨 昭和37(1962)年 個人蔵

夜の雨に濡れる竹林と、その間を流れていく霧、夜露の揺らめき。
それらが墨の濃淡のみで表現されている。
日展最後の出品作。
他の画家たちが厚塗りの現代的な日本画を制作していた時代に、一人南画の道を守り続けた桂月らしさが表れている、と解説されていた。
詩・書・画の三絶を極めた桂月。
詩は
「月もない深夜になると、ふと目が覚めて思うのは苦しいことばかり。まだまだ私は学び続けよう」

読んでいて、しんみりと切なくなってしまった。
「最後の南画家」とよばれた桂月は、その南画を引き継いでいくのにどれだけの力を労したことだろう。
本人にしかわからない、辛苦もたくさんあったに違いない。


一番最後に展示されていた、桂月絶筆の作も心に沁みた。
流れていく川と、その両辺に並んだ木々を描いた絵なのだが、使われている色は、墨と、木の葉の緑のみ。
全体的にぼんやりとかすみがかり、どこか寂しげで物悲しい。
大変静かな絵である。
詩にはこうある。
「何気ない山水の姿を描くことこそ、南画家として私が行き着いた営み。
絵が上手く描ければ喜んで酒を飲み、楽しんで詩を詠う。
あぁ、私はまだ若いつもりだ。
願わくば、この絵の中に遊ぶ仙人のような私を、私の描く南画を思ってほしい・・・」

昭和38(1963)年、3月24日に、桂月はこの作品を描いてから外出し、倒れ、
5月22日に息をひきとったらしい。

戦後の桂月は、南画の美意識を理解する人の減少に直面せざるを得なかった。
桂月が没して50年になるのに、回顧展も過去に二度開かれたのみ。
もっと、回数を重ねていてもいいはずなのに。
私も、今回初めて桂月のことを知ったし、南画じたい何ぞや?だった残念な人間だけれども。。



他の作品

 
松林 桂月 秋水群雁 明治42(1909)年 山口県立美術館

まだ若いころの作。



 
松林 桂月 愛吾廬 昭和11(1936)年  山口県立美術館

豊富な緑。余白があまりなくても見苦しくない。



 
松林 桂月 朝陽桜花 昭和30(1955)年 個人蔵


朝焼けを背景に、薄ピンクに染まる桜が美しい。



本展の目玉であった《春宵花影》は、本当は5月11日までの展示だったのだが、
特別に延長されていた。

松林 桂月 春宵花影(しゅんしょうかえい) 昭和14(1939)年 東京国立近代美術館


しかし、壁ではなく台にねかされての展示で、解説もなかったのが残念。



展示期間を過ぎてみられなかった作品

 
松林 桂月 秋園 左隻 昭和13(
1938)年 宇部市

  
松林 桂月 秋園 右隻 昭和13(1938)年 宇部市



最後に
 
松林桂月(1876~1963) 山口・萩生まれ。日本画家。1958年文化勲章。



没後五〇年 松林桂月展―水墨を深め、画中に詠う― @練馬区立美術館
(2014,4,13~6,8)
 



会期も残りわずかで、場所は練馬区中村橋と家から遠い。
しかし、行って正解だった。
むしろ、展示の入れ替えが行われる前にも行けば良かった。
もっと桂月の名が世に広まり、鑑賞する機会が増えればいいと、しみじみ思った。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆ *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆ *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


からの・・・
帰宅してから書道のお稽古。
4時間ぶっ通しの鑑賞の後、くたくただったけれど、気合が入った。
桂月が実際に使っていた、年季の入った大きな硯が最後に展示されていたのだが、それが頭に焼き付いて離れなかった。

そして名人の崇高なる作を拝したあと、目の当たりにする、
自分の作品のヘタクソハナクソ加減ときたら・・・(笑)
幼稚園のお絵かきじゃないんだから(ノД`)

見て肌で感じてきたものを
日々の励みにして頑張ろう  (。・ω・)ノ


今回有り難いことに、受付でチケットを購入しようとしていたところ、
前にいたご婦人が、招待券を1枚くださった。

ありがたやーーー(゚ーÅ) ・:*: 

ということで、
とても充実した時間を過ごせました。
ありがとうございました。

 



日本の美・発見Ⅸ 日本絵画の魅惑(後期)@出光美術館
(後期2014,5,9~6,8)


「日本の美・発見」というテーマで、館蔵品の日本美術コレクションの内、鎌倉時代から江戸時代までの名品や知られざる逸品を集結。
代表的なジャンルおよび作家の作品を選りすぐり、
学芸員のすすめる鑑賞のツボを紹介。
従来気づかれてこなかった新たな切り口でおもしろさを伝える。


1絵巻―アニメ映画の源流
2仏画―畏れと救いのかたち
3室町時代水墨画―禅の精神の表現が芸術へ
4室町時代やまと絵屏風―華麗なる屏風の世界
5近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描く
6寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美
7黄金期の浮世絵―妖艶な人間美
8文人画―自娯という独特の美しさ
9琳派―色とかたちの極致
10狩野派と長谷川等伯―正当な美vs斬新な美
11仙厓の絵―未完了の表現

陶磁器の工芸品を間にはさみながらの、
かなり細かい構成だった。


綺麗なお姉さん好きな自分としては前期同様、
第7章の「黄金期の浮世絵―妖艶な人間美」がド壺であった。

 
勝川春章 《柳下納涼美人図》 江戸時代

今回1番楽しみにしていた作品。
勝川春章が描く美人図は、本当にうつくしい。
柳のもと、水際で団扇片手に涼しむ女性。
月光に照らされ、透き通るように白い肌は淡く光り、画面上から立ちあがり、浮き立つ。
胸元は少し開かれ、乳房の影が。
まばゆさに思わず目を細めてしまうその肌を、食い入るように見つめながら、いつしか幻想的な世界へ誘われ、
気づけば私は、すっかりこの女性の虜である。
解説によると、柳、月、川、雲、すべて黒で色味をおさえているらしい。それが女性の色味を際立たさせてなお良い。
たまらぬ艶やかさに、思わず熱い溜息がもれた。

解説から。
勝川春章(1726~92)は、明治・安永・天明の浮世絵黄金期に活躍した浮世絵師。
役者絵を創始し、とくに精密で優美な肉筆美人画は、
晩年では複数の大名に支持されるなど、主導的な役割を果たす。

花は盛りで月はおぼろげな春の夜が、千金にも値するほどの価値があることを
「春宵一刻値千金」(しゅんよういっこくあたいせんきん)というが、
当時の春章ファンはそれをもじって
「春章一幅値千金」(しゅんしょういっぷくあたいせんきん)
とよんだ。
ちなみに葛飾北斎は、春章の門人である。


そして北斎の美人画がこちら↓
 
葛飾北斎 《月下歩行美人図》 江戸時代

満月の下、うつむきかげんの女性が思案気な表情で歩んでいく。
その大きくしなったからだの、ゆるやかな曲線美に自然と目がいく。
幾重にもかさなった、淡い桃、白、緑、しだれた植物文様入りの黒色の着物も美しい。
解説で、女性が中心より左に描かれていることに気が付いた。
それによって、今にも画面を飛び出して歩いていきそうな効果が生まれるらしい。

 
 
宮下長春 《立姿美人図》 江戸時代

こちらの女性もふくよかなからだを大きくくの字にしならせているが、
印象的なのは、その表情。
恰幅よく強気にうつる顔立ちから、芯の通った潔さみたいなものを感じる。
姐御肌というのかな。女としても頼りたくなる美人。


美人図の感想ばかりになってしまった。
他に気になった作品。


第4章のやまと絵屏風から。
 
 
重文《四季花木図屏風》右篇(上)左篇(下) 室町時代

様々な花木により四季の移り変わりが表現されている。
全体に雲母(きら)を刷き、銀の微塵箔を散らしてあるらしいが、
やはり銀が黒変してしまっているのが残念だった。
きらびやかな光を放っていたであろう完成時を、想像して楽しむしかない。
花木の種類は少なめにして、楚々とした風情で描かれているとのこと。
よく見ると、左篇の紅葉した楓の葉越しに見える松林には、雪が積もっている。
もうすぐ冬が来る、という新しい季節への憧れ、あるいは去りゆく季節への哀愁がこめられているらしい。

個人的におもしろかったのが、右篇の左側に生えている、花。
 
 黒変してしまっているせいで、小さな花の固まりが、
どう見てもタワシにしか見えないのだ。
でもよく目を凝らすと、固まりの中の数か所に小さな花弁が描かれていて、
タワシそれぞれが、アジサイのような小さな花の密集だとわかった。


第5章 近世初期風俗画から。
 
《桜下弾弦図屏風》 江戸時代

満開の桜の下、思い思いにくつろぐ遊女たち。
三味線を弾き、文を読んでいるのは、琴棋書画の琴と書か。
背景全体が金ぴかなので何とも派手である。

解説によると、長煙管を手に立つ女性は、額の髪の生え際がほつれている。
そこからは、仕事意識の高い彼女たちには似合わぬ、退廃的で倦怠的なにおいが・・・。
彼女たちが演じる、一夜限りの客との恋愛。
しかし、純粋な恋愛感情も存在したのではないか。
純粋であればあるほど、切なさ、退廃感も強かったのではないか。
という見方ができるらしい。
解説がなければ、そんなことは絶対に読み取れない。
というか生え際のほつれなど気にもとめないだろう。
西洋絵画みたいにわかり易くモチーフが描かれている訳でもなし。
どれだけ深い読み解きがなされているのだ。。


第9章 琳派から。
前期展示の酒井抱一《風神雷神図屏風》に替わって展示されていたのがこちら↓

酒井抱一 《八ツ橋図屏風》  江戸時代


光琳が「伊勢物語」第九段で著名な三河八つ橋の故事にちなんで描いた屏風のうち
《八つ橋図屏風》(アメリカ・メトロポリタン美術館)に倣ったと考えられている。
光琳本に比べ、思い切って燕子花の数を減らし躍動感を与え、
剣に似た緑の葉の一つひとつをリズミカルに表現し、
軽めで洒脱な作品となっているとのこと。

ちなみにこちらが光琳↓
尾形光琳  《八つ橋図屏風》 (1711-1714年頃)


第10章 狩野派と長谷川等伯から。
  長谷川等伯 《波濤図屏風》 桃山時代
 
線が力強く迫力がある。
スピードのある直線で描かれた岩。
一本いっぽんくねりにくねった曲線の波。
雲や霞みは金箔で描かれていた。


画像はないが、
第11章 仙厓の画でおもしろかったのが
《すりこぎ画賛》 仙厓 江戸時代
紙面には杓子と、すりこぎに使う用具のようなものが描かれていて、
「姑の杓子あたりがひどければ、嫁子の足はすりこぎとなる」
(ご飯の盛り加減にまで細かく注文をつけ、時にはきつく意見を言うと、嫁はすりこぎのように摩耗していく)とあった。

あぁ、嫁vs姑問題、古今東西変わらず・・・。


以上。

最後に。


休憩室の窓際から、無料サービスの茶を片手に1枚。
帝劇ビル9階からの夕やけ。

 

日本の美・発見Ⅸ 日本絵画の魅惑@出光美術館
(後期 2014,5,9~6,8)


もうすぐ会期終了。
作品の合間にちょいちょいある学芸員さんの鑑賞のツボも見どころ。
前期がおもしろかったので、後期も期待していたけれど、
いまいちぱっとしなかったかな。。
素人にもわかりやすい派手な作品が、前期に多かったってことだろうか・・・(´・ω・`) 

まぁ、美人なお姉さんもたくさん拝めたことだし
ヨシとしましょうヾ(* ´ー`*)
 

ありがとうございました。



先日のMOOMIN!(ムーミン)展で
まだまだムーミン熱が冷めやらぬなか
(というか年中火照りまくりだけれど)
炭酸飲料水GEROLSUTAINER(ゲロルシュタイナー)
のペットボトルに
ムーミンのマグネットブックマーカーがオマケ付きで販売されていることを知った。


後日行きつけの美容院で、
ムーミン展の感想に
熱弁を奮っていたところ
店の奥から戻ってきた店長の手に握られていた↓



か、かわいい(*´Д`)=з


炭酸水はお腹が張るから苦手だ。
ふだん居酒屋でもビールは初めの一杯までと決めている。
単なるガスのせいで、その後美味い酒と肴を目前に
指をしゃぶるのみとなるツマラナサときたら( ゜∋゜)


全12種類。
少しづつ集めるとして・・・
あらでも販売期間はいつまでかしらん(´・ω・`) ?
と、ぼけっとカメさんしていた今日この頃


昨日、友達の家に訪問して奇跡が・・・!!



ドォーーーーーーーーーーン!!!!

机の上に見事に並べられていた。

炭酸水好きの友達が、わざわざ種類を選んで買ってきてくれたらしい。
友達さまさまである ・°・(ノД`)・°・


ということで全種類コンプリート。
心温かなお方々からの恩恵、ありがたや、ありがたや。 



ブックマーカーとして使うときは半分に折りたたんで




伸ばすとマグネットに



美容室店長いわく
初めは別のお客のお子様(男の子)たちに、あげようとしたところ、
ムーミンを知らなかったため断念したらしい。
うそでしょ?
今の子どもたちムーミンを知らないの(゚ー゚ ) ?





かわいいのにムーミン・・・
うそだといいな(´_`。)


フランス印象派の陶磁器 1866-1886 ジャポニズムの成熟 @パナソニック汐留ミュージアム
(2014,4,5~6,22)


今回は、陶磁器をみてきたはずなのだけれど、
絵画をみてきた気分になった。


1874年4月、第1回印象派展がパリで開催された。
陶芸の世界においても新しい技術やジャポニスムからの発想を生かすなど、近代性を取り入れた革新的な陶磁器が作られる。
同展の出品画家で銅版画家のフェリックス・ブラックモンも、日本美術の影響を受けた一人。
彼は、リモージュ磁器で知られるアビランド社の経営者で、
日本美術の蒐集でも知られるシャルル・アビランドと出会い、
美術監督として、ジャポニスムのモチーフなどを生かした伝統に捉われないデザインで才能を発揮する。
1880年代初頭には焼締陶器や銅紅釉を使用するなど新しい素材への挑戦を続け、アビランド社はフランスを代表する陶磁器メーカーとして発展した。
第1回印象派展から100年を経た1974年には、
「セラミック・インプレッショニスト(Céramique Impressionniste)」という展覧会がパリで開催され、
作品群は「印象派の陶磁器」と称され、その芸術性の高さが認知されることとなった。

第1部 テーブルウエアの大革命!
—フェリックス・ブラックモンの《ルソー》シリーズとジュール・ヴィエイヤール工房

 
「ルソー」シリーズ 雄鶏に熊蜂(くまんばち)図皿
クレイユ・エ・モントロー陶器工場 フェリックス・ブラックモン 1867年、 Y. &L. ダルビス蔵


フランス陶器における最初のジャポニスムの作品。
まるで浮世絵の世界そのもの!
葛飾北斎による版画「北斎漫画」や「花鳥画伝」をそっくりそのまま参考にした図皿がずらり。
鶏だけでなくて、
体中トゲトゲの針をもった赤魚、カサゴや、
エイや車エビ、ハゼなど個性的なモチーフがたくさん。
「黒く太い輪郭線で囲われた動植物の絵柄の色彩が、余白を強調するほどに鮮やかなのです」
と解説にあるけれど、その通り。
縁取りの青い梳毛模様もきれい。
印象派以前の食器は、中心と縁取りに模様を施すのが常識だったため、
このフェリックス・ブラックモン作の《ルソー》シリーズはまさに革命的だったらしい。
1867年のパリ万博で好評を得てから、1930年代後半まで制作された
アビランド社のロングセラー商品とのこと。

ちなみにアビラント社は、
1853年にニューヨーク万博で初の金賞を受賞してから
1867年にパリ万博で金賞、1876年フィラレルフィア万博で銀賞、
1878年のパリ万博でもまた金賞を受賞している。

他にも、「北斎漫画」以外に「冨嶽百景」を参考にした図皿が展示されていたのだけれど、
本当にあの北斎の絵に出てくる、当時の着物姿の男衆が、
皿の中で釣りをしたり蹴鞠をしたりしている!
しかも、浮世絵よりも種類豊富にカラフルに描かれていて
まるで現代絵本の挿絵を切りとったみたい。
何とも癒され、かわいさに胸ゆすぶられる作品群であった。



テーブルコーディネート
《ルソー》シリーズ 4人用のカジュアルセッティング


第2部 アビランド社の硬質磁器における革命  オートゥイユ工房のデザイン

1842年の春、アメリカ人のダヴィッド・アビランド一家が、アメリカの顧客が気に入りそうな食器の買い付けに、
フランスの磁器産地、リモージュにやって来た。
ダヴィッドはすぐこの地に装飾工房を、さらに数年後には独自の磁器工場を建て、
1879年には、ヨーロッパで最大の磁器製作所となる。
その後、普仏戦争を終えたフランスの新しい中流階級層向けの、
近代的で手ごろな価格の製品開発にむけ、シャルル・アビランドは
国立セーヴル磁器製作所を訪問。
そこでフェリックス・ブラックモンと出会う。
パリの西部郊外にあるオートゥイユ工房の芸術監督となったブラックモンは、
磁器の装飾に多色石版印刷術を用い、コスト削減するなどし、
伝統やルールに捉われない、新しいデザインを生み出すことに成功した。

 
「散る薔薇」シリーズ コンポート 
アビランド社(リモージュ) フェリックス・ブラックモン 1876年、 Y. &L. ダルビス蔵


↑上品にピンクのバラや花びらが散りばめられて気品たっぷり。



《海草》シリーズ6人用のティータイムセッティング
貴婦人たちが集ってティータイムを愉しむ光景が頭に浮かんできた。

《花とリボン》シリーズだったり《パリの花》シリーズだったり、
名称からしておしゃれな皿がたくさん。
中には、金彩でペルシャ柄をとり入れたり、藍地に金彩で草花の模様を施したものなど、豪華なものまで。
けれど、余白が多いのに加えて、絶妙な配置でモチーフが配置されているから、嫌味にならない。

明るさをおさえたパステル調というのかなぁ。
つかわれているグレーやピンク、えんじなどの色味がシックで魅せられた↓


《パリの花》シリーズ 花文楕円形大皿 
アビラント社 ジラルダン、アルベール・ダムーズ1883年、 Y. &L. ダルビス蔵


第3部 ファイアンス陶器から「印象派の陶磁器」 テラコッタへ-アビランド社オートゥイユ工房

1876年にはオートゥイユ工房で、新しい技術「バルボティーヌ」による作品製作を開始した。
「バルボティーヌ」とは、テラコッタ(イタリア語で焼いた土)の上から泥しょう(スリップ)を掛け、
絵画のように絵付が施されるという技法で、エルネスト・シャプレが開発。

オートゥイユ工房では、それぞれ「花」や「風景」など担当するモチーフが決めらた芸術家たちが、
素材や光、日本の版画や前衛的な印象派絵画にみられる新しい構図や絵の具の扱い方を取り入れた。
花瓶に描かれた花は、まさに自然の中で生き生きと咲き乱れる風景の中の花であったように、
風景画の作品の多くが、バルビゾン派の絵画様式を取り入れたものだった。



バルボティーヌ 薔薇クレチマス図花瓶
アビラント社 オートゥイユ工房 アンリ・ラベール1876年  Y. &L. ダルビス蔵


 
バルボティーヌ 草花燕図水注
アビランド社 オートゥイユ工房 レオン・パリゾ 1876-1883年 テラコッタ Y. &L. ダルビス蔵


色彩豊かな作品群はまさに印象派の絵画そのもの。
この辺りからだんだんと、陶磁器をみているのか印象派の絵画をみているのかわからなくなってくる。
カミーユ・コローをお手本にしたという花瓶や皿は、
全面まさにコローの風景画そのものだったし、
ゴーギャンに影響されたという大皿(下図)も、色づかいからして
THE・ゴーギャンといった風合いだ↓


彫文青山秋景図大皿
アビランド社 オートゥイユ工房 フェリックス・ブラックモン 1874年、 ファイアンス陶器 Y. &L. ダルビス蔵

 
大皿なので本当に大きく(60㎝位?)迫力も油絵そのもの。

更には、
「風景図陶額」なんていう、
風景画が描かれた四角い陶器が、絵画よろしく木の枠にはめられて飾られたのまであるのだ。
途中、日本画の余白が恋しくなってくる感覚におそわれた。

他に、彫刻家が作ったのがひと目でわかる、立体的な天使像がくっついていたり、巻貝の形をした陶器や、
黒地に金彩で花鳥図が描かれた日本の漆器様式のものなど、
バラエティに富んだ作品がたくさんあった。


第4-1 炻器・新しい素材への新しいアプローチ — アビランド社ブロメ通り工房

 
日本風花文ティーポット
アビランド社 ブロメ通り工房 1883-1885年 炻器、 Y. &L. ダルビス蔵
  
 
炻器といえば、農場で日常的な道具として使われていたものだった。
シャプレは、細かくふるいにかけた酸化鉄の豊富な土を選び、作品を型に入れてからろくろで回すことにより厚みを薄くする技法を取り入れ、釉薬を使わず土の色を生かし、
平凡なやきものから一転、焼締陶器を開発する。

第4-2 チャイニーズ・レッド — 名陶工エルネスト・シャプレ

 
銅紅釉梅瓶形壺
アビランド社 ブロメ通り工房 エルネスト・シャプレ 1885年後半 磁器、 Y. &L. ダルビス蔵

フランス語で「牛の血の色」と呼ばれている銅紅釉は、18世紀初めに中国で完成された。

1885年半ば、アビランドの兄弟らは、パリのオートゥイユ工房とブロメ通り工房の実績に落胆していた。
オートゥイユ工房は、多色石版印刷術の業務に限定され、
ブロメ通り工房は、1886年初頭にはシャプレが買い取り、そこでチャイニーズ・レッドの銅紅釉の研究に没頭した。

バルボティーヌに、焼締陶器に、銅紅釉の開発。
エルネスト・シャプレ氏はどれだけ物すごい人物なのだ。

銅紅釉は、高温で酸素が豊富な酸化状態(窯の戸が開いている)と釉薬が緑色に発色し、
反対に、戸を閉じて煙を発生させるか、石炭が多すぎて還元状態になると、赤色になるらしい。

写真がないのが残念だけれど、
研究に研究を重ねた成果であろう作品らは、
ひとつの壺に、赤と緑の両方の色をあわせもっていた。

いちばん最後に展示されていたのは、
藍地に金彩や白泥で、睡蓮、花鳥、蝶、兎図などが描かれた、日本風の小皿たち。
白が、日本画みたいに透き通るように浮かんでみえて、幻想的だった。


全体を通して。
日本的な、梅、竹、笹、菖蒲、雀、白鷺、バッタ、コオロギにトンボと勢揃いしたモチーフが、
海を渡って欧風に鮮やかに描かれていて、新鮮だった。
余白を生かした構図や、色づかいのセンスも魅力的な陶磁器がたくさん、魅せられた。
印象派のお皿でご飯を食べたら、味がわからなってしまいそうだし、
大きなカサゴが描かれたお皿で、肉料理は絶対に食べられないけれど(笑)
装飾用だものね。

今回、汐留ミュージアムの公式サイトから
ジュニアガイドがダウンロードができるのだけれど、それがとてもためになった。
更には、プリントアウトして、簡単な質問に記入して受付に提出するとすてきなプレゼントが・・・
と記載してあったのでチャレンジしてみた
その結果↓


汐留ミュージアムオリジナルメモ帳GETヾ( ´ー`) 笑



ショップで購入したファイルは
お皿がたくさんのっていてお気に入り
ちなみに上から2列目の1番左がカサゴ(*゚ー゚*)
 
フランス印象派の陶磁器 1866-1886 ジャポニズムの成熟 @パナソニック汐留ミュージアム
(2014,4,5~6,22)


全部観るのにそこまで時間もかからないと思うので、
気軽に足を運べておすすめですヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ

前回の南部鉄器展に引き続き、愉しめました。
日本の美すばらしき。
ありがとうございました。



 

 開山・栄西禅師800年遠忌 特別展 
栄西と建仁寺 (2014,3,25~5,18)



 
明庵栄西坐像(みんなんようさいざぞう)鎌倉13~14世紀 神奈川・寿福寺

会場に入ってまず出迎えてくれたのが、この栄西像。
18歳のときに記憶力を驚異的に高める厳しい修行をして、
12㎝も頭が伸びてしまったらしい。
いくらなんでも伸びすぎでは・・・。
目や鼻の下あたりが、間寛平さんに似ていた。


栄西について何も知らなかったけれど、
今回の展覧会で
このくらい頭も伸びてしまうくらい素晴らしい功績を残した人物なのだと知った。

明庵栄西(みんなんようさい)(1141~1215)
日本に臨済宗を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した。
2度の渡宋で4年間の修業をつみ、
禅宗以外にも、戒律や密教、念仏など、幅広く普及させた。
東大寺開創にも尽くし、2代目責任者をつとめる。
宋から茶種を持ち帰り、日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を著し、
日本の茶祖としても尊崇されている。

等々、日本文化・社会発展にのものすごく貢献している。


建仁寺では、毎年栄西の誕生日4月20日に、
「四頭茶会(よつがしらちゃかい)」が行われる。
方丈の間で、正面中央に栄西像と龍虎図を掛け、
卓の上に香炉・花瓶・燭台を飾り、
栄西に献茶したのち4人の正客と相伴各8人(計36人)に茶を供す。
抹茶を入れて天目台にのせた茶碗を客にささげ持たせ、
そこに4人の法衣をつけた供給(くきゅう)僧が
正客から順次、浄瓶(じんびん)の湯を投じて点茶してまわる。


今回会場内では、現物の品をつかってその様子が再現されていた。
モニターで実際の映像も流されていて、すごくわかりやすかった。
抹茶は湯気をたてて美味しそうだったし、お茶請けには
ピリ辛こんにゃくと紅白の菓子がふるまわれるらしい。
三枚並んで掛けられた、栄西像、龍虎図は大きくて迫力がある。
螺鈿がほどこしてある卓も、両側に置かれた坐屏の山水画もきれいだったし、
浄瓶(じんびん)の注ぎ口には茶筅(ちゃせん)がさしてあって、
まるまる再現された空間は見ごたえがあった。


今展覧会の目玉である 

国宝 風神雷神図屏風 俵屋宗達 筆 江戸時代・17世紀 京都 建仁寺蔵

1番最後の展示なので、
始めからまわって疲れた目で観るより、初めに一見しておいた方が良いかも。
というか、前半は栄西の解説と建仁寺にまつわる展示で、
後半部に屏風や掛け軸などが展示されているので、
絵がすきな人は後半から観るといいかもしれない。


この日は本館に5月18日まで展示されている
尾形光琳筆の風神雷神図も、観にいった。 重文 風神雷神図屏風 尾形光琳 筆 
江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵


見比べてすぐ違いがわかるのは目線。
光琳の方は風神と雷神の目線が交差している。
絵のことはよくわからないが、
宗達の方が古いからか全体的にくすんでみえた。
でも、雷神のふんどしが単色でなくて、緑や紫色が混ぜて描かれていたり、
持っている雷も金色だし、全体的に白色が多いのもきれい。
たらし込みで描かれた雲は、
銀泥もつかってあるのだけれど、劣化して黒ずんでしまっているらしい。

光琳の方は、線がはっきりしていて
筋肉のむきむきに目がいく。

ちなみに先日
出光美術館「日本絵画の魅惑」で抱一の風神雷神図も観てきた。
 風神雷神図屏風 酒井抱一 筆 江戸時代 出光美術館蔵

抱一の風神・雷神は表情にしまりがなくてあまり迫力がない。
髭もじゃの面白そうなおじさんとういうような風貌なので、いちばん親しみやすい。

宗達の風神雷神図を70~80年後に光琳が模写。
それを110年余り後に抱一が模写したらしい。

宗達の、風神・雷神の間に余白が多くて、
その金地の空間もたのしめるのが気に入った。
屏風全体を少し距離をおいて眺めたとき
魅せられる、という意味では、いちばんであった。



他、心に残った作品。

 
雪梅雄鶏図(せつばいゆうけいず)
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)筆 江戸時代 18世紀 京都・両足院蔵


降り積もる雪の白色を、描きわけていて、
雄鶏の羽には貝殻を砕いた胡粉をつかっているらしい。
羽と、木に積もった雪の上辺の点々とほどこされた白色が
いちばん明るくてまばゆかった。
山茶花と、トサカにしたたる赤にも目がうばわれる。
若冲は、実写をたくさんしたいからと、自ら鶏を数十派飼っていたらしい。
雄鶏は、その羽1枚1枚丁寧に描写されていた。




 海北友松(かいほうゆうしょう)筆
重文 雲竜図(右4幅) 安土桃山時代 慶長4年 京都・建仁寺蔵

桃山画壇を代表する画家のひとりである海北友松。
画家として頭角をあらわしたのはなんと60歳をすぎてかららしい。
それまで何をしていたのだろう・・・。
建仁寺再建時に上の障壁画を描いた。
墨一色。
濃淡やぼかし方、線のうねりなんかで
ここまで迫力や躍動感を出せるとは。

今回展示されていたのは8幅あるうちの4幅だけれど
本当は
 ↑の左4幅と、阿吽の双龍が対峙するように配されているらしい。


海北友松の作品は他にもたくさん展示されていた。



竹林七賢図(海北友松)筆 安土桃山時代 慶長4年 建仁寺蔵

↑ぼかして描いてある木や背景に比べて
人物の衣の線が、濃く太くひいてあるのがおもしろかった。



 
竹林七賢図屏風 長谷川等伯(はせがわとうはく)筆
江戸時代 慶長12年 京都・両足院蔵

これは長谷川等伯が描いた竹林七賢図だけれど、
海北友松をお手本にしたらしい。
人物を描く線が太く、似ているけれど、こちらはもっとぱっきりと直線的。
友松の方がやわらかいイメージ。




 拾得および鶏図  伊藤若冲 筆 江戸時代18世紀 京都・禅居庵

左は、梅、雌鶏にひよこ2羽。
右は、竹と雄鶏。
墨の濃淡でみごとに描きわけられていて、鶏一家はみんな愛嬌たっぷり。
真ん中は、人の後姿らしいが、頭部がどうなっているのかどうしてもわからない。


他にも魅力的な作品がたくさんあった。


開山・栄西禅師800年遠忌 栄西と建仁寺 (2014,3,25~5,18)
東京国立博物館 平成館


このあと先に書いた
光琳の風神雷神図屏風みたさに本館の展示に移動したけれど、
他にもおもしろい作品にであえた。

光琳の風神雷神図屏風の展示は、5月18日まで。
ぜひとも本館にも足を運ぶべし(`∀´) 



金曜日だから閉館は8時までだったけれど
5時間半かかった(´_`。)
常備展まで観きれたことがないorz




   
 イエアメガエルのりるちゃん

これから待ちに待った食事である。



 
 おとなしくエサを待つ図

ここのところ、デュビア(エサ用ゴキブリ)の繁殖が遅れているため
家の近くでミミズを捕獲してきてあたえている。
雨が降った翌日、近所の公園の排水溝で、ミミズが多数出没するスポットを発見したのだ。


 
 たくさん捕まえてきたミミズは空き瓶に保存


 
 ミミズvsりるっち


 
 ピンセットでつまんであたえる

一度喰いつくと、高速で両手をワシワシして
飲み込みきるまで意地でも離さない。
喉ゴックンをくり返して徐々に体内へ。
 

 
丸飲み中


 
 高速両手ワシワシ(ブレまくり)


 
 食事完了!!


関係ないのかもしれないけれど、
エサをミミズにかえてから鳴き声が変わった。
以前は
「グェーグェー」

蛙らしい鳴き方だったのに
声高なかわいらしい声に。
うまく表現できないのだけど
「チャアォ」(!)だったり「ピチチ」(!?)だったり
予測不可能な鳴き方に(゜д゜;) !!

父いわく
「小鳥の鳴き声かと思うよな!」(゚∀゚*)ノ ゚・:,。☆
←それは言いすぎかと。。

ミミズって栄養ありそうだし、何らかの影響が・・・
と勝手に思い込んでいたけれど、
そういえば、ピンクマウス(ハツカネズミの赤ちゃん)を
あたえていた頃は、何もなかった

原因は謎であるが、何にせよ
りるがかわいいことにかわりはないので構わない( ̄∀ ̄*) 

愛嬌ある後ろ姿


ちなみにミミズも消化されてしまえばこのとおり↓
 
 りるの糞図



蛙にも声変わりってあるんだなぁ・・・( ゚⊿゚)
 
 
 

トーベ・ヤンソン生誕100年記念 MOOMIN!展
(4/16~5/6 松屋銀座8Fイベントスクエア)


  

会場入り口

全国10カ所をまわる巡回展だけれど、それぞれ会期わずか1か月程。
平日を狙っていったものの混んでいた・・・。
これはGW中なぞ恐ろしいことになるぞ((+_+))

計約200点の原画展示だが、ひとつひとつが小さなため、
絵が飾られた壁に沿って、並びながらの鑑賞になった。
しかしそんなことは苦にならない。
トーベ直筆!
初来日のオリジナル原画たち。
実際に本につかわれた挿絵や、スケッチや習作などが、
おもにインク、ときどき水彩で彩られたり、
スクラッチボード(黒いボードに、傷をつけて白い線で描く)
で描かれていた。

小説などどこかしらで観たことのあるイラストが盛りだくさん。
会場の奥に進むにつれて、
最後に読んでから久しい物語の、数々の場面がほろほろと思い出されてくる。

展示中最後の方で、
主なキャラクターたちの説明が、
1枚ずつこれも原画でされているので、
物語にあまり詳しくない人や忘れかけている人は、
先回りしてそちらに目を通すのも良いかもしれない。

ちっこいのからおおきいのまで
ユーモアあふれるキャラクターたちがたくさん。
脇役のキャラクターにもきちんとしたエピソードがあったり、
思わぬ関係性があったりする。
あれ?スノークのお嬢さんにはお兄さんがいたんだっけ・・・とか
ミイとスナフキンは異父兄弟だったんだ・・・とか。
そしてどのコもみんな可愛い。
モランですらその内情を知ると愛しく思えてくる。

細かいので目を凝らしていると、
背景、木や花などの植物や海や波、家具などの小物なども
実に緻密に丁寧に描写されているのに気づく。
両親ともに芸術家で、トーベ自身も若干15歳で雑誌の挿絵画家としてデビューしている。
美術学校に通ってたくさん勉強したであろうし、
きちんとした基礎があるのだろう。

美しいだけでない、むしろきびしいことの多い自然と共存し、
どんな小さな生きものの存在もひとつひとつ大切にし、
キャラクターたちの、一見風変わりだったり奇抜だったりする個性も、
決して否定せずに肯定してくれる、
そんなムーミンの世界観が大好きなのだけれど、

それは解説の
寒さが厳しいフィンランドという土地での生活や、
子供のころから夏には島の別荘で過ごしたりなど
自然と一体ともに暮らしてきたトーベの生い立ちや
「自然体型と同様に共存関係にある仲間たちを、
慎重かつ敬意をもって描く」
という説明で納得。

他のトーベについての詳細は
本で読んだり別の展覧会で知っていた情報が多かった。

あと何といってもみどころは
ムーミントロールの
現在のキャラクター化された姿ではなく、
もともとトーベがおばけとして空想していたころの原形が描かれた
水彩画や、雑誌「GARM」での掲載イラスト。

足と鼻が異様に長いぶさいくなヤツ(失礼)から
かわいらしく変化をとげていく様を
順を追ってたしかめることができておもしろかった。

初期作品「小さなトロールと大きな洪水」の挿絵でも
まだムーミンたちは本来の意味のトロール(怪物)ごとく、ブサイクぎみだった(失礼)。

他にもムーミン誕生秘話が知れたり、
トーベが来日した際に落書きしたホテルのランチョンマットの展示があったり。

Ⅰムーミン谷の四季
Ⅱムーミン谷の風景
Ⅲふしぎな生きものたち
Ⅳ自然のちから
の四部構成で、
途中随所で字幕付きのアニメがテレビで放映されていた。

最後の部屋には、
人形作家の谷口千代さん作のムーミン谷のジオラマや、
彼女宛のトーベ直筆の手紙などが展示されていたのだが、
嬉しいのはこの一室のみ撮影可能なこと。


「ムーミン谷の地図」 

↓ジオラマのもとになった、トーベとその弟ラルスが描いたボードゲーム
 


 
ムーミンパパとムーミン、モラン

 
ちびのミイとウサギ

 
スキーの好きなヘムルとめそめそ



1398828736575.jpg 
 スノークのお嬢さんとフィリフヨンカ

 
トゥーティッキとムーミン

↓今回、1番心に残ったキャラクターがこのこ
 
ティーテイ・ウー

小さすぎて名前をもっていなかったのだけれど、
スナフキンにつけてもらえたはい虫。
登場するキャラクターの中でいちばん小さい。



今回のムーミン展は、
たくさんのムーミンたちに囲まれて
ファンとしては幸せな時間だった。

そして、出口をでてからがまた、夢の続きが始まるのだ・・・!!


さすが人気のムーミン♪
すばらしい商品展開。
フロアにところせましと広がるグッズの種類、数半端ないです。
そんな営利目的商業戦略(なにそれ)にはひっかからないぞと、
いつもなら図録とポストカードと、買ってもファイルまでと決めているのだけれど、
今日はムーミン(´・ω・`)
I♡ムーミン(´・ω・`)
かれを目の前にして買わずになどおれない・・・(´:ω;`)

ということで、激選の結果、
図録以外にも
ポストカード(展覧会限定&タンペレ市立美術館輸入盤)
ファイル
トランプ
コルクボード
エコバッグ等色々購入してしまった。
 
ポストカードは、少し高めになるけれど布製や、背景が銀ピカのものがあったり
タンペレ市立美術館から輸入されたものがあった


 
 
図録は、正方形で表面にラメがほどこされており、乙女心をくすぐる
(銀ピカポストカード1枚付)


 
ムーミン谷の地図柄のコルクボード

本当にたくさんあるので、展覧会限定品にしぼらないと
きりがなくなってしまう。
会計をすませて時計をみて驚愕した。
展示鑑賞で3時間費やしたのち、グッズ選びに2時間かけている・・・(゜д゜;)

一緒にきていた友人いわく
「なんでも商品にすればいいってもんじゃないよねぇ。。」
とのことであったがとんでもない。

ムーミンであればどんなグッズでもアリなのです!!
物色していくうちに、ぬいぐるみもポーチもハンカチもポスターも鏡も菓子も・・・ヽ(;´ω`)ノ
となってしまうのでファンの方は本当に気をひきしめて買い物するべし。

無事お会計を済まし、気が付けば足の裏ジンジン膝はガクガクであったが、
本日最後のイベントがまだ残っていた。

その名も
「開催記念ワードラリー」

松屋銀座の店内各所に設けられている6つのスポットに書かれた文字を集めて
専用のプリント用紙に記入すると
会場入り口で景品のオリジナルステッカーがもらえるのだ。

散々グッズ選びで待たせたせいでヘロヘロになっている友人に頭をさげさげ
階を移動しながらのこのワードラリーにも参戦してもらった。

そしてゲットしたのがコチラ↓
 
オリジナルステッカー


すべてを成し遂げて(もらうものもらって)もう大満足(*´Д`)=з
ムーミン熱冷めやらぬ中、
購入したコルクボードでも首からぶらさげたい勢いだったが友人にとめられつつ
帰宅の途に着いた。

ありがとうございました。

トーベ・ヤンソン生誕100年記念 MOOMIN!展
(4/16~5/6 松屋銀座8Fイベントスクエア)


今年はトーベ・ヤンソン生誕百周年記念ということで、
自国フィンランドでも盛り上がっているみたいだけれど、
日本でも今度は
「トーベ・ヤンソン展 ~ムーミンといきる~」
(2014,10/23木~11/30日)
が横浜そごうで開催される。

そちらではもっと深く、トーベ自身のことや
ムーミン以外の作品に触れることができそうだし、
今から楽しみである。

ムーミンは小説だけでなくて、
英「イヴニング・ニューズ」紙に連載されていた漫画もおもしろい。
イラストがすばらしいのは然ることながら、
内容が大人向きなので、誰が読んでもたのしめると思う。
子ども向けとはまた違った奥深さがあり、シュールなところがたまらない。
弟ラルスとの共同作。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480770402/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4480770410&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=195TC0QKD8K5WN7YE5W1
ムーミン・コミックス 全14巻 トーベ・ヤンソン ラルス・ヤンソン(著)