こども展 ー名画にみるこどもと画家の絆ー @森アーツセンターギャラリー
(2014,4,19~6,29)前々から行きたかった企画展!
3分の2が日本初公開。
48人の名巨匠たち(モネ、ルノワール、ルソー、セザンヌ、ピカソ、マティス、ドニ)の作品計87点はすべて!
“こども”(とその家族)の肖像画のみ!
2009年にパリ・オランジュリー美術館で開催されたLes Enfants modèles(「モデルとなったこどもたち」と「模範的なこどもたち」のダブルミーニング)が、日本向けに再構成された今回の企画展。
パリでは20万人を動員して大盛況をおさめました。
モーリス・ドニ 《サクランボを持つノエルの肖像》 1899年 個人蔵数々の名画が並ぶ中、今回1番こころに残ったのがこのあどけない笑顔。
思わず抱きしめたくなるほど愛らしい。
―展示構成―
序章
第1章 家族
第2章 模範的な子どもたち
第3章 印象派
第4章 ポスト印象派とナビ派
第5章 フォーヴィスムとキュビスム
第6章 20世紀のレアリスト西欧諸国で、こどもの肖像画が描かれるようになったのは、16世紀頃。
当時、両親と子どもが一緒に過ごす時間はほとんどなく、
日常の世話は、女中や家庭教師に任されていた。
肖像画において重視されたのは、その子の跡継ぎとしての地位や格式のみ。
子ども自身の存在や感情は問題視されていなかった。
ルイ=レオポルド・ボワイー 《私の小さな兵士たち》 1809年 ドゥエー、シャルトルーズ美術館展示品第1作目。
写実性に優れ、セピア色の写真のよう。
なぜか困り顔の犬にも注目。
18世紀半ばに、思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)の教育論「エミール」によって、新たな教育法が説かれた。
ルソーは、子どもたちを固有の人格をもった自立した存在と認め、親たちが子どもとのふれあいを大切にするように奨励する。
今まで「小さな大人」としかみなされていなかった子ども。
この頃から漸く、教育の問題や、母親のあり方が議論されるようになった。
フランス革命(1789年)後、市民階級の出現と共に、子どもの肖像画も広まり、
19世紀になると、「子ども王様」(アンファン・ロワ)といわれ、子どもは家族の中心となっていく。
シャルル・ブラン《ジャルメール・ピショの肖像》1881年 ポワティエ、サント=クロワ美術館やわらかな白肌に、瞳の大きな美人さん。
抱かれた鳩は、こどもの無垢の心の象徴。
でもこうして肖像画に残されるのは、裕福な家庭の子どものみ。
19世紀後半、義務教育が本格化した。
しかしその反面、孤児も社会問題に。
貧しい子どもや捨て子は、孤児院や修道院に送られる。
アンリ・ジュール・ジャン・ジョフロワ 《教室にて、子どもたちの学習》 1889年 パリ、フランス国民教育省教科書を書き写したり、読み上げたり、生徒それぞれの様子がよく描かれている。
ベルナール・ブーテ・ド・モンヴェル 《ヌムールの寄宿舎》 1909年 ブーローニュ=ビヤンクール、1930年代美術館こちらは修道院の様子。
規律きびしく、そろいの黒い制服に身を包み、
上の教室の光景と比べると、どこか物悲しい雰囲気。
今回の副題は「名画にみるこどもと画家の絆」。
絵と共に、解説、音声ガイドを通じて鑑賞していくうちに、
巨匠たちの、職業は画家でもその反面、子を持つ親であり、
いつの時代も変わらぬ、親が子を大切にしていた愛情が感じられて、
温かな気持ちになった。
まずはルノワールの作品から。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《遊ぶクロード・ルノワール》 1905年頃 オランジェリー美術館女の子に見えるけれど、実際は三兄弟の末っ子。
当時フランスでは、男児も、8歳頃まで女の子として育てる風習があった。
ルノワールは、息子が学校に上がる年になって、金髪を切らなければならなくなるのを嘆いたそう。
あくまで自然な姿を好んだルノワールは、子どもたちにポーズをとらせる事はしなかった。
おもちゃで遊ばせたり、絵本を読み聞かせる家族の姿を描いたり。
子どもたちがアトリエ嫌いにならないように、叱らないようにしていたとのこと。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 《ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども》 1887年 オルセー美術館この絵のモデルは、女流画家ベルト・モリゾの一人娘、ジュリー・マネ。
モリゾは師であるマネの弟、ウジューヌ・マネと結婚している。
ルノワールは当時、印象派から離れて、古典主義的な画風に移行していた。
そのアングル風の優美な画風に魅せられて、モリゾ、ウジューヌ夫妻が愛娘の肖像画を依頼。
ルノワールもはりきって取り組んだらしく、本作の前に、くり返しデッサンを重ねたとのこと。
モリゾ自身も、この一人娘をかわいがり、くり返し描いている。

ベルト・モリゾ 《庭のウジューヌ・マネとその娘》 1883年 個人蔵しかしジュリーが16歳の時、モリゾは娘を残し、この世を去ることとなる。
ルノワールは、ジュリーの後見人として選ばれているが、
後にジュリーも、画家となった。
モリゾが亡くなる間際、ジュリーに残した手紙↓
「かわいいジュリー。
あなたが結婚するまで元気でいたかった。
優しい人でいてください。
あなたの事で、悲しい思いをした事は一度もありません。
あなたを抱きしめる以上に愛しています」
母親でありながら、働く女性の先駆けとなったベルト・モリゾ。
アトリエに早くいって場所を確保したりと、ウジューヌも優しい夫だったらしい。
そして今回楽しみにしていたのがこちら。
ポール・セザンヌ 《芸術家の息子の肖像》 1881‐82年 オランジェリー美術館セザンヌのひとり息子、ポールを描いたもの。
「リンゴのようにおなり!」
と人物を描く際にもモデルに言い聞かせたとされるセザンヌ。
彼にとっては愛する息子も、静物画を描くときと同じモチーフにかわりはない。
ポールは当時9歳で、初めての肖像画とのことだが、動かずにじっとできる年齢になるまで待ってのことだろう。
この時だって、遊び盛りのポール少年、さぞかし退屈したに違いない。
賢固で実直で重量感のある、セザンヌらしい肖像画。
右の椅子の背の存在も気になる。
先にみたルノワールの画風との、両極端の対比がおもしろかった。
アンリ・ルソー 《人形を抱く子ども》 1904‐05年頃 オランジェリー美術館今回の目玉、一度みたら忘れられない、インパクトある作品。
当時子どもの死亡率は高く、幼少のうちに半数は亡くなってしまう。
ルソーも7人授かった子どものうち、6人を夭折している。
この絵が描かれた当時、早世の子どもや最愛の妻の他界と不幸が続き、
少女の表情から、その悲しい気持ちが反映されているのでは、とのこと。
悲しみ、というよりも、もっと根底からみなぎる力というか、込められた思いというか、
力強く描かれたその表情からは、パワー感じた。
濃い眉、くっきりした瞳と眼縁、鼻筋や、鼻下、顎の影、がっちりした輪郭。
渾身こめて一筆一筆、忘れないように、見落とさないように、全力で描き残そうとした結果、
このような絵になった、、という気がした。
チラシでは、宙に浮かんだような態勢やら、身体に埋もれすぎな顔やら
諸々のおもしろい構図に目がいったけれど、
実物を目の当たりにすると、まずはこの迫力ある顔から目が離せなかった。
会場でみていて終始笑顔がたえなかったのがこちら。
モーリス・ドニ 《トランペットを吹くアコ》 1919年 個人蔵9人の子を授かり、子だくさん、子煩悩で知られた、ドニ。
明るい水色の瞳は、ドニ家の証。
子どもの純粋さ、、あどけない表情。
天真爛漫、無邪気に遊ぶ様子が、特徴のある曲線で、色彩豊かに描かれている。
モーリス・ドニ 《ボクシング》 1918年 個人蔵 確かな画力と、あとは親の100%の愛情が込められてこそ、完成した作品だと思った。
親は我が子の魅力を、傍で1番よく知っている。
描かれた子どもが、そこらにいたよく知らない子どもとかだったら、
ここまで魅力あふれる絵は、描けなかったに違いない。
1番気に入った作品をもう1度(笑)

モーリス・ドニ 《サクランボを持つノエルの肖像》 1899年 個人蔵
あ、愛くるしい!!
ドニは息子について、こう書き残している↓
「ドミニクの傍にいると、私はすべての不安を忘れてしまう。無気力にやる気の無いまま、
古い物をくり返しているアトリエで、
ドミニクはそこにいて、ゼンマイ仕掛けの馬を修理し、絵を描いている。」
クロード・モネ 《玉房付の帽子を被ったミシェル・モネの肖像》 1880年 マルモッタン・モネ美術館上のミシェルは当時2歳。
マネ自ら描いた子どもたちの肖像画は、プライベートで大切に、最後まで手もとに残した。
友人に宛てた手紙から↓
「今のあの子の、何とかわいいことか。
この小さな生き物が大きくなっていくのを見るのは、実にわくわくすることだ。
そうとも、息子がいて、僕はとても幸せだ」
他におもしろかった作品がこちら。
アンリ・マティス 《ピエール・マティスの肖像》 1909年 個人蔵被っているのはインディアンの羽根飾り。
できるだけ簡素な描線で、表情をとらえているとのこと。
ピエールは後に、ニューヨークで画廊を開き、当時の前衛的な作家を支援して活躍する。
この前行ったバルテュス展でも、ニューヨークでバルテュスが初めて個展を開いたのは、
彼の画廊であったと解説されていた。
20世紀に入ると、ダダイズム、シュルレアリスム、抽象絵画、ポップ・アート等、
前衛的な芸術活動が盛んになるが、
エコール・ド・パリの画家たちなど、具象、レアリスムの動きも活発であった。

キスリング 《オランダ娘》 1933年 日本テレビ放送網(株)蔵日本人のエコール・ド・パリ作家といえばレオナール・フジタ。
レオナール・フジタ 《機会化の時代》 1958-59年 パリ市近代美術館たくさんの子どもたちが、ミニカー、ラジコン、飛行機、ミシン、電話、掃除機等、それぞれ操っているが、
機械化・電化の時代のオマージュである。
額の大きな、無愛想なこども像で有名なフジタだが、
彼自身は、3度の結婚でも子に恵まれなかった。
第一次世界大戦が終わった1918年頃から子どもを描き始め、晩年まで描き続けた。
フランス人形のコレクションを大事にし、時には一緒に寝たそう。
フジタのことば
「私の子どもは、この世に存在している子どもではない。
私ひとりだけの子どもだ。
私の絵の子どもが私の息子なり娘なりで、1番愛したい子どもだ」
以上。
他にも、ピカソとその愛人、フランソワーズ・ジローの間に生まれた子どもの兄妹が、
ふたりそれぞれの手で描かれていた。
ピカソは自分もそうして育ったように、紙に直筆で描いたイラストを切り抜き、
こどもたちの玩具とした。
その切抜きも展示してある。
大きくなった息子いわく、今その話をすると、そのあまりに贅沢な玩具に皆驚くらしい。
そりゃそうだ。。
会場入り口に飾られていた
レゴ認定プロビルダーの三井淳平さん作
アンリ・ルソーの「人形を抱く子ども」
こちら、実物の作品を観た後に再度みてみると、実によく特徴を掴んでいる!
実物鑑賞後というのがポイント。
こども展 名画にみるこどもと画家の絆 @森アーツセンターギャラリー
(2014,4,19~6,29)
音声ガイドは、子ども向けバージョンも設置されて、親子で楽しめるようになっていた。
会場には、ちいさなお子さんや、赤ちゃんを連れて来場されているお母さんがちらほら。
実際に子を持つ親からすると、よけいに感慨深いものがあるんじゃないかなぁ(*´ω`*)
どんな子どもも、皆隔てなくかわいい。
大人になったら消えてしまう、あの純真さはどこへやら。
とてもほっこりした時間を過ごせましたε=(。・д・。)
ありがとうございました。