からだの謎を誰も解き明かすことはできない。
なぜなら、誰も自らのからだを自分で生み出したのではないから。
だが、からだは祝福であり、恵みだ。
なぜなら、からだという器を得て初めて、私たちはこの地上の世界へと旅立つことができるから。
忘れてはならないことがある。
からだは私ではない。
からだという乗り物を得て、私はこの世の魂となる。
だが、じつのところ、私はこの魂でもない。
なぜなら、からだとの結びつきをとおして、魂という現象が起こったのだから。
さて、何がからだと結びついたのか?
「わたし/Ich」であり「あなた/Du」である霊が、からだと結びついたのだ。
からだは霊たちのやしろだ。
それは、「それ/Es」に他ならない。
さて、だれが「わたし/Ich」であり「あなた/Du」である霊を、からだに結びつけたのか?
「それは私だ」と言えるだけの確信が私にはない。
だからと言って、自然科学の唯物論的な説明を真に受ける気もない。私自身の直観と、それはあまりにも距離があるから。
受肉の事柄について、私は全面的に受け身だ。
気づいた時には、すでに受肉は完了しており、からだはどこまでも謎として私の前にあり続ける。