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大分アントロポゾフィー研究会

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生と死の深淵は、物質界-アストラル界-エーテル界の狭間に存在する。

 

アストラル界が物質界と結びつき、ミームの世界が現れる。

アストラル界は、人間の魂を媒介として、物質界と結びつく。そこは死の世界。かつてギリシア人が「影の国」と呼んだ場所だ。

反感が支配し、そこでは誰もが孤独に苛まれる(さいなまれる)。

 

ゴルゴタの丘で息絶えたキリスト・イエスは、この死の世界へと降りていき、その闇の世界を自我の光で照らし出した。エーテル光、生命の光だ。反感で充満した場所に生命と共感が注ぎ込まれたのだ。

つまり、自我とはそのようなはたらきを及ぼすもの、つまり、霊に他ならない。

霊はロゴスであり、そのロゴスを受け容れる魂はアニマである。

 

物質界-アストラル界-エーテル界の狭間では、そのような出来事が起こる。

三次元空間の中でのことではなく、重力と時間も意味を失うので、このような霊的出来事のための語彙を私たちはほとんどもっていない。

 

霊としての自我は共感によって生き、自ら共感を他者に向けて放ち、そのようにして霊的な結びつきが生まれる。

 

この地上の世界を生きる私たちの誰もが、他者と共感する力を多かれ少なかれ失っている。そして、そのように共感を失った度合いに応じて、死と病の境域をさまよい続ける。

他者と共感する力を失えば失うほど、人はエゴイズムに囚われ、自らと他者をともに蔑ろ(ないがしろ)にするようになる。

 

もともとは、自分をペルソナとシャドーとに分割したその時点で、反感の恐怖のメカニズムが起動したのだ。一度起動したら、その振り子のようなメカニズムを停止させることは、なかなか難しい。あなたはいわば悪魔に魂を売ったに等しい。

ここに、自己欺瞞に満ちたセンチメンタリズムが蔓延る(はびこる)のだ。すべて迷信だ。

ミームが、この自己欺瞞のセンチメンタリズムを正当化するシナリオ(迷信)を提供し続ける。反感によって煽られ、他者に対する敵意に満ちた自分の姿が見えなくなる。この欺瞞に満ちたシナリオは、どこまでも続く。

 

驚くべきエゴイズムのからくり。ここに、霊であるあなたの本来の自我は関与していない。あなたは自分を見失ったのだ。

自分を見失ったペルソナとしてのあなた、偽りのあなたは、自己欺瞞でしかないルシファーのセンチメンタリズムに浸り続け、そのアディクションをやめないのだ。

元はと言えば、他者を受け容れることができない・・・あなたのその弱さ。いやいや、そうではなく、