恐怖が支配する | 大分アントロポゾフィー研究会

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時代と民族とは、個々の人間よりも巨大である。

だが、時代と民族のミームをさらに凌駕してそびえ立つものこそ、霊的人間だ。

霊的人間は、一人ひとりの人間の中に潜在しており、その目覚めを待ち続ける。人間の内なる意識魂が目覚め、そこに純粋思考が生きるようになると、霊的人間はその姿を現す。

その姿について、この物質世界の個々の事物を物語るように叙述することはできないが、その現れを、まさしくその出現を、私たちは出来事と芸術の中に認めるのだ。それが現れたとき、「それだ!」と気づくことのできる感性をもっていなければならない。ミーム由来の諸々、迷信や恣意的な理論の類は、役に立たない。むしろ、それらは障害になる。ただ、直観と純粋思考だけが、あなたを前へと進めるのだ。

 

芸術(作品)において、思考と感情と意志とが再統合されるとは、古いミームに根差す思考と感情と意志とが、いわば換骨奪胎(かんこつだったい)され、脱構築されて、それらの部品が新たなるもの(芸術/芸術作品)を生み出すために、再利用されるということを意味する。霊的なる再利用だ。

この営みを推進するのは、芸術家の意識魂にはたらく直観と純粋思考である。直観は純粋思考の一部とみなせるから、シンプルに純粋思考と言ってもいい。

 

さて、悟性的思考がもっぱらアストラル体の内に展開され、そのアストラル体が個々人の主観の生みの親であって、人が悟性的思考のみを成すとしたら、その人は自らのアストラル体の空間、すなわち自らの絶対主観に囚われて、悪魔的な死と反感の装置、その迷宮の中で、ネガティヴな一人相撲に明け暮れるようになる。ミームの死の舞踏。

 

いずれにしても、この世は、この悪魔的な死と反感の装置が起動し、それがほぼ完全に機械的に回転して、展開して、・・・そうだ。これこそアルゴリズムというものだろう。・・・物事が進んでいく。経済的に、法的に、政治的に。そして、なんと精神は死んでいる・・・。

このような事態の進行を、全的に俯瞰することは誰にもできない。だから、この悪魔的な歩みは、誰にも止められない。

はっきり言って、恐怖が支配しているのだ。他者に対する恐怖。

 

人は、自分以外の何者か(「それ/Es」としての他者)に遭遇すると、必ず身構える。その他者から何らかの攻撃を加えられるのを恐れているのだ。これはまったく自動的な反応なので、人は自らの魂とアストラル体の内で進行している悪魔的な死と反感のアルゴリズムに無自覚だ。というか、この悪魔のアルゴリズムこそが、人間の主観を形成しており、人はこの絶対主観の囚われから、通常抜け出ることはないということなのだ。