絶対主観としての魂/アストラル体 | 大分アントロポゾフィー研究会

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アストラル体と同化した魂に、客観というベクトルはないので、そのアストラル空間は絶対主観と呼ぶにふさわしい。

その空間に本来の他者、霊としての他者は現れない。

絶対主観としてのアストラル空間に姿を見せるのは、悟性魂/心情魂に巣食った種々のミーム由来の恣意的なイメージである。物神化した物としての他者。

霊としての他者の名前が「あなた/Du」であるのに対して、物としての他者の名前は「それ/Es」である。

 

あなたが物としての他者を支配するために用いる魂の作法は、アーリマン由来の死と反感の装置、すなわちミームであり、それは悟性魂/心情魂と同期している。

しかし、そのようにあなたが振る舞えば、あなたは物としての他者によって、同じ死と反感の装置であるミームのしっぺ返しを食らうことになる。まるで一人相撲だ。

物としての他者は、あなたの魂に巣食ったミーム由来の恣意的なイメージにすぎないから、あなたは現実を相手にしてはいないのだ。

 

現実は、霊としての他者と共に姿を現す。

死と反感の装置というアーリマン的策略の真実/嘘を見抜かなければならない。

 

霊としての他者、「あなた/Du」と呼ぶべきその人が、あなたの魂の空間に現れると、あなたの絶対主観は音を立てて、崩壊し始める。

死と反感の側からではなく、共感と共に、その人が現れるから。

アストラル体からエーテル体へと、死と反感の流れが流れるのではなく、エーテル体からアストラル体へと、共感と霊的生命の流れが流れるから。