例えば、ピアニストが鍵盤の上に指を走らせる。そのとき、ピアニストのペルソナはもはや自分の指の動きを逐一追っているのではない。指が次の瞬間にどのキーを押さえるか、ピアニストのペルソナにはもう分からないのだ。彼の体の動きは、今や自律的となり、演奏している作品と一体化する。そこで主導権を握っているのは、純粋思考だ。作曲家の純粋思考が一方にあり、かたやピアニストの純粋思考がいま一方にある。両者の純粋思考が共振することで、ひとつの霊的な磁場のような空間が生まれるのだ。この霊的磁場空間の生起を出来事と呼ぶ。
複数の演奏者が一つの曲を演奏するオーケストラのような合奏/協奏の場合、その熱量はただならぬものになる。指揮者も含めて、そのメンバーたちが交感し合って、瞬時に反応し合い、コンサート会場に一度限りの類稀なる霊的な磁場空間が出現する。メンバー一人ひとりの純粋思考が喚起され、それが共鳴するということが起こる。
ペルソナは置いていかれて、主導権を握るのは純粋思考となる。かく言う私も、自分の手が自在に動いて、優しい曲を即興する夢を何度も見た。純粋思考が私の体を動かせば、そんな感じになるに違いない。
さて、純粋思考はカルマに由来する、という言い方が可能だ。なぜなら、その両者の由来は同根だから。