“人間の霊がさらに旅を続けていく様子を観察する前に、まず、霊がこれから入っていく領域そのものを観察することにしましょう。その領域とは「霊の国」です。霊の国は物質の世界とはまったく似ていないため、自分自身の物質的な感覚だけを信頼しようとする人は、霊の国について語られる事柄をすべて、空想じみた話だと考えるに違いありません。すでに「魂の世界」を観察する際に、このような事柄について記述する場合は比喩を用いなくてはならない、と述べましたが、今回は、これまで以上に同じことがいえるのです。多くの場合、感覚的な現実のみと結びついている私たちの言語には、「霊の国」に関して直接用いることができるような表現は、あまり豊かに含まれてはいません。ですからとくにここでは、筆者が述べる多くの事柄を大まかな説明として受け取るようにお願いしておきます。ここで述べる事柄はすべて、物質的な世界とはあまりにも異なっているため、このような方法で記述するほかはないのです。このような記述を行うとき、筆者は、「物質的な世界に向けられた言葉による表現手段は不完全なものであるため、このような叙述は霊的な領域における経験をいい表すのに適していない」ということをつねに意識することになります。
ここではとくに、「霊の国」は人間の思考を構成する素材から作り出されている、という点を強調しておかなければなりません(もちろんここでは、「素材 Stoff」という言葉も、きわめて比喩的な意味でもちいられています)。人間のなかで生きている思考は真の思考存在の影、あるいは幻影です。・・・人間の霊的な感覚が呼び起こされるとき、感覚的な目がテーブルや椅子を知覚するのと同じように、人間はこのような思考存在を実際に知覚します。このとき人間は、周囲を思考存在たちが取り巻く霊的な世界のなかを実際に動き回ります。・・・自分自身の霊的な目を用いることを学んだ人の前には、周囲の環境は新しい世界に満たされながら、つまり生きた思考や霊存在たちの世界に満たされながら、姿を現します。私たちはこのような世界で、まず最初に、物質の世界と魂の世界に存在しているすべての事物や存在の霊的な原像 Urbild を目にします。・・・”(ルドルフ・シュタイナー『テオゾフィー 神智学』松浦賢訳 柏書房 p. 123~125)
霊の国/霊界/精神界は、思考存在の世界であり、そこで私たちは、思考空間(これもまた比喩的な表現だが)を歩き回る(これもまた比喩的な言い回しだが)。この場合の思考空間とは、ミームのイメージ空間とは異なる。この点をしっかり確認しておかなければならない。