わたしは 無明の自我となり ペルソナとシャドーとに 分かれた。
このとき わたしは 闇の世界の住人となり わたしの時間が 時(とき)を刻み始めた。
わたしの地上の生が・・・ 今生が 始まったのだ。
ペルソナもシャドーも ともに 無明の自我の 反感に由来する。
わたしは 根源的な共感を 自分から 遠ざけることで 無明の自我となった。
全的霊性から 船出したのだ。
だから 無明の自我としてのわたしは 原初の反感に 端を発している。
反感が生み出した ペルソナとシャドーとは 相互に 反感を 抱くのみならず
異なるペルソナ同士も 反感を抱く。
異なるペルソナは お互いにとって シャドーなのだ。
反感のベクトルに はまれば 無明の自我が自己同一化するペルソナ以外の他者は すべて シャドーと化する。
シャドーとしての他者は ペルソナ/無明の自我に対して 常に 敵対的である(とみなされる/感じられる)。
だから ペルソナ/無明の自我は 外なる世界に対して 警戒を怠ることができない(と感じる/思い込む)。
過度に 自己防衛的になる。
場合によっては 自分を守るために 浮足立って 先手を取って 他者を攻撃する。
光は 自我から 来る。
しかし 無明の自我は その光を 失っているので 無明の自我からは 光が 出て来ない。
高次の自我だけが 光を発する源である。
その光に 照らされて 世界は 霊的に 輝くのだ。
つまり 高次の自我とは 反感の充満した 無明の自我の 対極にあるもの。
高次の自我の 優れて明らかな特性とは 最高度の共感である。
エゴイズムと マテリアリズムと 人間の体的特性とが 混ざり合って 種々の 情念のかたちが生まれる。