自我という永遠性 ・・・ 体の個体性/一回性
永遠性と一回性の危い/絶妙なバランス。その間(あいだ/ま)に、「わたし/Ich」は生きる。
そして、「あなた/Du」も同様に。
これは、人が傲慢にならないように、また、退屈もしないように、そのように人が生きることができるように、神が人間にもたらした他に代えがたい「 」である。恵みである。配剤である。
一人ひとりの人が、だから、二重の意味において、かけがえがない。
霊において、そして、体と向き合い、霊をも宿す魂として。
これが、人倫の基盤であり、カルマのベクトルである。
体としてのあなたは、一回限りの現象だ。そのあなたはある日生まれ、この地上に生き、やがて逝く・・・。そのあなたが、この地上に現れることは二度とない。
その意味において、そのあなたは唯一無二だ。
しかし、そのあなたは、神の配剤(はいざい)によって、現象と存在との不思議な間(あわい)に在って、ただひと時だけ・・・小さき者として、他者たちとともに生きる。
だから、あなたの隣に静かに佇んでいるその人に、そっと尋ねてみるといい。
「あなたはだれですか」 ・・・
もちろん、その人はあなたのその問いに答えられないだろう。
あなたも自分のその問いの意味を、実は知らないだろう。
魂というものは、霊への道行の途上ずっと、その問いを胸の内に潜めているのだ。